45.ふたりで
「ジルさんは戻らなくていいの? 今日は緊急任務だったんじゃ……」
「そんなことよりも先にシュリアの治療だ。魔力もかなり使っただろう?」
「いやでも、わっ!」
横抱きにされると、顔と顔が近くなる。有無を言わさない圧のある笑顔に、シュリアは黙って従った。
「え? 薬を追って?」
「そうらしい」
オリーブとイチゴを伴い、家へと向かう道中で、どうしてジルベルトたちが助けに来てくれたのかを聞く。
シュリアが攫われてすぐのこと。
オリーブとイチゴはシュリアが配達物を受け取って戻って来ないことを不審に思い、人がいないことを確認してから門の外へと出た。
不自然に濡れている地面からは、よく知るシュリアの薬の匂い。それは荷台でシュリアが倒れた拍子に、ギルドに納品する予定の薬瓶が割れ、そのまま滴り落ちていたものだった。点々と続く薬を追うと、その先には1台の幌馬車が見えた。イチゴは素早く前に回り込み、御者席に座る男の顔を確認した。
あの時、イチゴを襲った2人組に間違いない。同時にシュリアは攫われたのだと分かったイチゴは、馬車をオリーブに見張らせると、マルリッツの森へと駆けた。
運良く、シュリアに助けて貰ったことのある魔獣がすぐに見つかった。
『シュリアが攫われた。オリーブが見張ってる馬車がこの森に入ったら、出られないように協力して』
頷いた魔鹿を見て、イチゴは他の魔獣を探しに駆けた。同じことを何度か繰り返し、あの魔狐にだけ違うことを付け加えた。この魔狐が1番人間の気配に鋭い。
『今日騎士たちはこの森を通らなかった?』
『騎士なら朝通った』
『ジルという魔狼の従魔が必要なの』
『聞いてこよう。あの魔烏に高く飛んでいるように伝えろ』
『ええ。よろしく』
そうしてジルベルトたちを呼ぶことができたということらしい。シュリアは目尻を下げ、助けてくれた魔獣たちを思い浮かべた。
「シュリアは愛されてるな、あの魔獣たちに」
「え?」
「あれだけの数がいれば、俺を呼ばずに助けることだってできたはずだ」
確かにあの時、御者席の男は「同じところを走らされている」と言っていた。あれはジルベルトを待っていたのか。
「呼びに来てくれた魔狐が言ってたよ。『自分たちが人間を襲えば、あの子が悲しむから』と」
「そっか……」
オリーブとイチゴに視線を送れば、2匹とも肯定するように頷いた。シュリアは改めて2匹にお礼を言いながら、早く数匹同時に直接話せるようになりたいと思った。
家に着き、リビングではなくそのまま奥の研究室に連れていってもらう。回復薬を飲むと、たちまち傷は癒えていく。
「それにしてもあの魔獣たち全部、シュリアの知り合いなのか?」
「多分そうだと思う。確かここに……あ、これ。このノートに書いてある子たちだと思うよ」
「見ても?」
「どうぞ」
ジルベルトは最初のページを開いた。幼い字で大きく『イチゴちゃん』と書かれており、下に行くほど段々と字が小さくなっていた。スペースが足りなかったようだ。
「最初の魔獣の友達はイチゴだったんだな」
「ちょっ! そんな最初から見なくても!」
照れて焦るシュリアをかわし、ジルベルトはページをめくっていく。次はオリーブ、その次はあの時いた魔鹿に……
最初は恥ずかしかったシュリアだが、一緒にノートを覗く内に懐かしさの方が勝ってしまった。
ジルベルトがあるページで手を止める。シュリアは慌てて取り上げようとしたが、どうしても返してもらえなかった。
「俺のページはじっくり読まないと」
「ちょっと待って! ほんとに恥ずかしいから!」
わざと手の届かない位置でノートを凝視するジルベルトに、シュリアは諦めて顔の赤いままそっぽを向いた。
「……シュリア、ずっと言うのを忘れていたんだが」
「何?」
「俺は、魔狼なんだ。魔犬じゃなくて」
「え? えええ!?」
啞然とするシュリアに、ジルベルトは苦笑した。それは彼女にだけではなく自分に向けてでもあった。最初の頃はどう訂正しようかと、あんなにも悩んでいたのに。
「ワンちゃんとか言って、ごめんなさい……」
「そんなこともあったな」
「ずっと魔犬だって……ああもう、ノートも直しとく」
「はは、それともうひとつ。ここ、緑色の魔狸と書いてあるが、多分魔熊だと思う」
「え、嘘……まさか……」
「バーレットだろうな」
思わず顔を覆う。恥ずかしいやら情けないやら、申し訳ないやら。以前バーレットがソロスペースに来た時に「魔熊を見たことは?」と聞かれ、思いっきり否定した。向こうは覚えていたのかもしれないと思うと、今すぐ穴を掘って入りたくなった。
「そう落ち込むな。あいつなら勘違いしてたと知っても怒らないだろう」
「うう……」
その後、ジルベルトに付き添ってもらいながら王城に行き、きちんと証言をしてきた。
捕らえられた3人についてはほとんど教えてもらえなかったが、そうすぐには解放されないということで、いくらかホッとした。
どこからか連絡がいったのか、事情聴取が終わると父が迎えに来てくれ、顔を見るなりきつく抱き締められた。待っている間にジルベルトから事情は聞いたらしく、しばらくは家から通うと言っていた。多忙な父なのでそれはそれで心配だが、今回は素直に甘えることにした。
翌日シュリアは熱を出し、3日ほど寝込む羽目になった。思っていた以上に精神的に疲労していたらしく、何度も魘されては目を覚まし、父に心配をかけた。
熱もすっかり下がり、明日から仕事も再開しようと思っていた頃に、ジルベルトが何度目かのお見舞いに来てくれた。リハビリを兼ねて湖まで散歩しないかという彼の提案に、シュリアはすぐさま了承した。
久しぶりの外の空気を胸いっぱい吸い込めば、自然と笑顔が零れる。
歩きながらジルベルトの話を聞く。寝込んでいる間に色々なことが判明し、色々なことが終わっていたようだ。
ダニエルと男2人は、数年の強制労働が科せられることが決まっているそうだ。
誘拐を企てた理由は、やはりシュリアをガスリー商会に入れるためだった。モーリック伯爵令嬢に、シュリアを商会で監禁するなら出資してやると言われ、彼女の用意した冒険者崩れの2人と共に犯行に及んだそうだ。結局ガスリー商会は店を畳むことになってしまったが。
なんて杜撰な計画なんだとシュリアが漏らせば、ジルベルトは苦笑した。ダニエルが焦ったのは、ジルベルトが宝石店から出てきたところを偶然目撃したからだと聞けば、シュリアは何も言えなくなった。
誤魔化すようにモーリック伯爵令嬢のことを尋ねれば、彼女はこの数日の内に田舎の子爵家の後妻になったらしい。かなり訳ありの家らしく、二度とその領地からは出られないだろうということだった。それが罰になるのか分からないシュリアだったが、ジルベルトによると貴族にとってはこれ以上にない罰だと言っていたので、頷くだけに留めた。
「なんか、色々早すぎない?」
「多分グランヴィス家の圧力だろうな。ジェフ兄さん、妙に張り切ってたから」
「えええ、なんか申し訳ない」
「いや、グレイ兄さんの分もきっちり返せると、ある意味喜んでた」
湖に着く。今日も水面は穏やかだ。
「……ここで、初めてシュリアに会ったんだな」
「なんかもう随分前のことみたい」
「ああ。でも俺は一生忘れないと思う」
「うん、私も」
湖の手前。魔犬――ではなく魔狼のジルが倒れていた場所に立ち、シュリアは目を細めた。あの時の群青色の瞳は、今でもはっきりと思い出せる。
繋いでいた手を持ち上げられ、絡めていた指がするりと抜ける。そしてそのまま、ジルベルトの大きな掌に乗せられた。
「シュリア」
顔を上げれば、優しい顔をしたジルベルトと目が合う。そして女神祭で薔薇を交換した時のように片膝を突くと、あの時よりも真剣な瞳で口を開いた。
「俺と結婚して欲しい」
目を見開くシュリアに、ジルベルトはただ真っ直ぐ彼女を見つめていた。
触れている掌が甘く痺れているような感覚。シュリアは一度きゅっと唇を結び、目尻を下げた。
「はい」
そのまま手を引かれジルベルトに抱き締められると、シュリアは目を閉じた。じわじわと幸せが胸に、全身に広がっていくのを感じながら。
「本当はシュリアの誕生日に言おうと思ってたんだ。でも、待てなかった」
「ふふ。私も、誕生日にちょっと期待してた」
「その日は指輪を見に行こう。二人で」
「うん……嬉しい」
「カア!」
タライを持ったオリーブが見えた。きっとまたどこかの魔獣が怪我をしたのだろう。
顔を見合わせて頷き合うと、同時に駆け出す。
繋いだ手の温度に、この先に何が待っていてももう怖くない気がした。
――end――
これにて本編完結です。お付き合いいただきありがとうございました!
後日、番外編を載せる予定です。




