44.魔獣たち
ジルベルトの所属する第5騎士団は、マルリッツの森を少し出たところで別の隊と合流していた。先に討伐に向かったその隊によると、どうやら「魔獣の大発生により村人が襲われている」という通報は悪戯だったようだ。これから帰って通報者探しになるだろう。魔獣に関する嘘の通報は大罪だ。
その時、魔狐がたった1匹で姿を現した。
隊全員に動揺が走る。魔狐はランクこそ高くないものの、山奥で数匹で行動し、滅多に姿を見せないことで有名だからだ。その上、魔獣が纏う独特の殺気がない。隊員たちが不思議に思っていると、第5騎士団の隊長ダグラットが大きな魔鷲に変身した。それを合図に、若手数名が魔獣に化ける。魔獣の数が少ない時はこうやって数で威嚇するのも作戦のひとつになる。ジルベルトもいつものように隊長に倣った。
まるでそれを待っていたかのように、魔狐は従魔たちを見て口を開いた。
『争うつもりはない。ジルという魔狼の従魔はいるか』
視線が一斉にジルベルトへと集まる。ジルベルトは驚きの余り、一瞬声が出なかった。
『……俺がそうだ』
『シュリアが誘拐された。手を貸せ』
『な……!』
『行って来い! お前らもついていけ』
『ありがとうございます!』
ダグラット隊長がアルノールとバーレットにも視線を投げた。2人は頷くと、ジルベルトと共に魔狐の後を追った。
『どういうことだ!? 彼女が今どこに……!』
『あいつらが足止めしてるはずだ。マルリッツの森から出ないように』
『この森にいるのか!』
『突っ切るつもりだったようだがな。あの魔烏と魔リスがすぐに気付いたお陰で、すぐに森中に知れ渡り、こうやってお前を呼べた』
『彼女は無事か!?』
『無事だろう。奴らは今、それどころじゃないはずだ』
その頃シュリアは、馬車の外の様子がおかしいことに気が付いた。御者2人が何やら言い争っているようで、その声が少しずつ大きくなっている。それにはダニエルも気付いたようで、苛々した顔を隠しもせずに前方の幌を開けた。
「おい、うるさいぞ。何があ……っ!?」
大小様々な魔獣が、まるで取り囲もうとするかのように、左右に分かれて並走している。少し見えただけでも10匹はいそうだ。御者席にいる男が馬車を止めないようにと必死で手綱を握っていた。背中だけでも緊張感が伝わってくる。
「なんなんだよこいつら! 同じとこぐるぐる走らせやがって!」
「おい! 俺はこんな危険な仕事だなんて聞いてないぞ!」
「あの2人を囮にすりゃいい! あのお嬢様からは最悪2人共始末していいと許可は得てるんだからな!」
「それならさっさと2人を引き摺り落とせ! くそっ! この森なら魔獣に襲われないんじゃなかったのかよ!」
「な……っ!?」
戦慄するダニエルに対し、シュリアは少しも恐怖を感じなかった。
どの魔獣も、見覚えがある。
その時聞こえた魔烏の鳴き声に、シュリアは口元を緩ませた。もう大丈夫だ。
「なんでこんなことに……!? なんで、なんで俺がこんな目に合わなきゃならないんだ!!」
ダニエルの顔色が青から赤へと変わっていく。
そしてギッとシュリアを睨みつけると、髪の毛を引っ掴んだ。
「いた……っ」
「お前が! お前が全部悪いんだ!! お前が断らなければこんなことにならなかった!!」
「離して!」
「お前のせいでこうなったんだ! せめて最後くらい囮として役に立てっ!!」
強引に後ろへと引き摺られ、シュリアはそのまま外へと蹴り出された。
けれどこれはチャンスだ。素早く魔リスに変身すると、同時に身体が何かの上に乗ったのが分かった。
嗅ぎ慣れた匂いに目を開ければ、灰色の羽が見える。オリーブだ。
『オリーブ、ありがとう』
『無事、ヨカッタ……ホントに、ヨカッタ!』
「なっ!? シュリアお前まさか……うわあっ!!」
幌馬車が急に停まる。馬が前足を高く上げ、大きく嘶いた。
シュリアは前方を見て、肩の力が抜けていくのが分かった。
見知った魔獣が4匹。ジルベルトとアルノール、バーレットまでいる。あの魔狐は2年ほど前に薬をあげたあの魔狐だろう。
ジルベルトはシュリアの姿を確認すると、変身を解いた。それに倣うようにしてアルノールとバーレットも騎士の姿に変わる。3人ともすぐにでも抜剣出来る体勢だ。
「大人しく連行された方が身のためだと思うよ。ここにいる魔獣、全員彼女の味方だから」
場違いなほどのんびりと告げるアルノールと、それに応えるかのように一斉に唸り出す魔獣たち。ジルベルトの視線はずっとダニエルだけを捉えている。そのまま射殺せそうなほどの恐ろしい視線に、ダニエルはただ顔面蒼白のまま動けないでいた。
3人は抵抗することなく、されるがままにアルノールとバーレットにきっちり縛られ、そのまま荷台に放り込まれた。意気消沈する2人と違い、ダニエルだけは最後まで喚いていた。
「なんで俺まで! 俺は騙されただけで……!」
「あ~はいはい。言い訳はあとで衛兵にでも話して」
彼はシュリアを見つけようと必死に視線を動かしていたが、最後まで叶わなかった。魔リスのままのシュリアは、何匹かの魔獣に守られるようにして隠されていたからだ。
ダニエルの姿が見えなくなって、シュリアはようやく変身を解いた。軽く眩暈がするのは、緊張のあまり思っていた以上に魔力を使っていたからだろう。
駆け寄ったジルベルトに手足の縄を解いてもらうと、そのまま抱き締められた。彼の腕に、温度に、匂いに安堵すると、急に鼻の奥がツンとした。
「本当に、無事でよかった」
「来てくれてありがとう。ジルさん」
「怪我はないか? 痛むところは? ああ、跡が赤くなってる」
「大丈夫だよ」
バーレットが荷台に乗り込むのを見届けてから、アルノールが手綱を引く。彼はキラキラした笑顔でシュリアに「またね~」と手を振り去っていった。まるで遊びに行った帰りのような爽やかさだ。
馬車が離れていくにつれ、魔獣が1匹、また1匹と減っていく。シュリアは慌てて大きな声を出した。
「みんな、ありがとう!!」
いくつかの返事のような鳴き声が聞こえ、シュリアは満面の笑みで誰にともなく手を振った。




