43.望まぬ再会
もうすぐシュリアの誕生日だ。ジルベルトはその日にプロポーズをしようと決めていた。
空き時間を利用して、訪れたのはシュリアとお揃いのネックレスを買ったあの老舗の宝石店。その時と同じグリーントルマリンとタンザナイトの取り置きをお願いしにきたのだ。
最初はサプライズで指輪を用意しようと思っていたのだが、それはそれはアルノールの猛反対を受けた。曰く、女性の中には指輪に並々ならぬ夢や希望を抱いている場合があると。具体例として、サプライズで用意したが気に入られず喧嘩別れした歴代の先輩隊員たちの話を聞いて、ジルベルトは冷や汗をかいた。
最近話をするようになった、自分と同じ貴族の出身だが四男で、騎士として身を立てている既婚者の先輩隊員にも反対された。
「良かれと思って、じゃ駄目だ。『良い!』と言われたことだけしろ」
というありがたい言葉までいただいた。
そしてダメ押しのように、宝石店の店主にも「それがよろしいかと思います」と言われた。先輩隊員の言葉を肝に銘じようと思う。
無事に取り置き注文を終え、ジルベルトは足取り軽く店を後にした。
シュリアの照れながらも喜ぶ顔を想像すれば、頬は自然と綻んだジルベルトだった。
それから数日後の火曜日、シュリアは1通の手紙を読んで肩を落としていた。
朝一番に配達員が来たと思えば、ジルベルトからの今日のデートのキャンセルを詫びる手紙が届いたのだ。
本来なら今日は少し郊外に出てみる予定だったのに。
(急な討伐要請が入っちゃうの仕方ないって、分かってるつもりだったけど……)
今までも急な招集に呼ばれて帰ってしまったことは何度もあった。
騎士団が魔獣討伐を主な仕事にしていることも分かっているし、そのおかげで自分たちが平穏に暮らしていけてることも分かってはいる。魔獣が、オリーブやイチゴみたいな人懐っこいものばかりではないことも。
分かっていても、つい溜息をついてしまう。
(デート、したかったな……)
心配そうに擦り寄ってくるイチゴに、シュリアは苦笑しながらその背を撫でた。
「急な任務が入っちゃったんだって」
ジルベルトとのこれからを考えているのだから、ちゃんと割り切らなければいけないことだ。シュリアは自分にそう言い聞かせるようにして、気持ちを切り替えるために薬作りを始めた。
あの時、薬師を諦めなくて良かった。それも全て彼のお陰だ。シュリアは目を細めた。さっきまでのがっかりした気持ちはとうに消えている。
早速冒険者ギルドに納品にでも行こう。本来は明日持って行こうと思っていたが、今日してしまえば明日楽だ。数種類の薬を作り終えると、シュリアは鞄に詰め込み、出掛ける準備をした。
せっかくだからどこかでお昼ごはんをテイクアウトしてこよう。そして2匹と一緒に湖の近くでピクニックでもしようか。シュリアは思い付いた計画に満足しながら、鞄を肩に掛けた。
「すみませーん、ウォルナッツさーん!」
「あ、はーい。今行きます!」
扉を開けた途端、少し離れたところから声が聞こえた。恐らく配達員だろう。それを合図に、庭で遊んでいたオリーブとイチゴが姿を隠す。シュリアはそれを傍目で見ながら、門まで急いだ。
大きく古い幌馬車の後ろに、帽子を被った男が人懐っこそうな笑みを浮かべて立っていた。確認して欲しいものがいくつかあると言いながら、幌を捲る。シュリアは戸惑いながらも中に入ると、奥にもう1人人影が見えた。
「久しぶりだな、シュリア」
聞き覚えのある声に顔を上げ、シュリアは一歩後退った。その瞬間、後ろから口元を布で覆われた。その独特の匂いにシュリアはすぐに息を止めたが遅かった。
霞んでいく視界と、力が抜けていく身体。ガシャンと何かが割れた音が聞こえたと同時に、シュリアは意識を手放した。
「なんだ。もう目が覚めたのか」
「なんでこんなこと……いたっ」
この声はダニエルだ。名前すら口に出したくない。
ぼんやりとした頭のまま目を開ければすぐ近くに靴が見え、シュリアは自分が床に寝転がっていることに気付いた。
ガタガタと揺れる荷馬車。手足は縛られ、揺れるたびに両膝と頭が痛いのは、睡眠薬を嗅がされて倒れた時に打ったのだろう。腰の周辺が濡れている。せっかく作った薬も、倒れたタイミングで壊れたらしい。
あれからどのくらい経ったのか分からないが、ダニエルの口ぶりからそう時間は経っていないのだろうと推測した。
「お前が素直に言うことを聞いてたら、俺だってこんなことせずに済んだんだ」
恨みの籠った視線を投げつけられる。どうして自分がそんな目で見られないといけないのか、シュリアにはさっぱり分からなかった。
「女は、黙って男の言うことを聞いておけばいいんだよ。それが女の幸せなんだから。それなのに、お前も、あの女も、勘違いしやがって」
「……あの女?」
「あの傲慢な伯爵令嬢に決まってるだろ! こっちが下手に出てるからって調子に乗りやがって……!」
ぽつりと呟いたシュリアの言葉に、ダニエルは盛大に反応した。かなりイライラしているらしく、靴先が小刻みに上下している。シュリアの記憶では、ダニエルはいつも磨かれてピカピカの革靴を履いていたはずだ。同一人物の靴とは思えないほどの艶のなさと汚れに、なぜか妙に驚いてしまった。
「今に見てろ。あっちは俺を、ガスリー商会を利用した気でいるだろうが、こっちが利用してる方なんだ。じゃなかったらこんな面倒なこと……」
ブツブツと譫言のように言うダニエルを見て、シュリアは怖くなった。こんな人ではなかったように思う。こんな、誰がどう見ても余裕のなさそうな姿を見せる人ではなかった。
逃げよう。どうにかして絶対に逃げないと。
どこに向かっているかは分からない。荷台全体が幌で覆われているせいで薄暗く、外は見えない。
多分従魔になったことは知られていないはずだ。知っていたら今頃きっと檻にでも入れられていただろう。
幸いなことに5分くらいなら変身していられるようになった。タイミングを間違えては駄目だ。
日頃使っていない筋肉を総動員して、なんとか身体を起こして床に座る。
未だにブツブツと独り言を繰り返しているダニエルの言葉を聞きながら、シュリアはじっとその時を待つことにした。




