42.バーレット
「バーレット、話がある」
「……ああ」
まるで予想していたかのように、バーレットはジルベルトの呼びかけに素直に応じた。
食堂を出て、人気の少ない中庭の隅。そこまで2人は無言で歩いた。あの日シュリアに助けて貰うまでは、お互いに他愛もない話が出来ていたはずなのに、今はどうしていたか思い出せない。
「魔リスが男2人組に襲われた日、お前が助けにきたと聞いたが、本当か」
「……ああ」
一向に目を合わせないバーレット。彼の気持ちを考えると、それは仕方のないことかもしれない。
「あの魔リスを助けてくれて感謝してる。シュリアも」
「……やっぱり、あの魔リスも彼女の知り合いか」
「今はペットに昇格した。それどころか、その魔リスから自主的に魔力を貰ってたぞ」
バーレットが驚いた顔でやっとこちらを見た。ジルベルトは苦笑した。
「……彼女、一体何者なんだ」
「俺も知りたい」
「そうか……彼女も従魔に……」
少しだけ嬉しそうなバーレットに、ジルベルトはどこかで複雑な気持ちになった。
彼の気持ちは彼のものだ。そう分かっていても、どうしてももやもやしたものが湧き上がってくる。彼女を見つめるのは自分だけで、彼女が見つめる先も自分だけがいい。
醜いほどの独占欲だな、と分かっているが今だけ蓋をした。
「……俺は、お前よりもずっと前に彼女に会ったことがある」
先程までとは打って変わって、吐き捨てるように呟くバーレット。それはまるで「自分の方が先だったのに」とでも言いたげな雰囲気だった。
「従魔になったばかりの頃、あの森で初めて彼女に会った」
視線を東の方向へと向けるバーレットは、その時のことを思い出して目を細めている。ジルベルトはじっと彼を見つめた。
自分の知らないシュリアを知っている。仕方のないことなのに、無性に腹立たしくて悔しくなった。
親とはぐれてしまったバーレットは、不安に襲われながら徘徊しているうちにあの湖に出てしまった。見たこともない場所。転んで怪我したばかりの膝が痛い。泣くもんかと歯を食いしばっていると、少し離れた場所から楽しそうな女の子の声が聞こえた。
咄嗟に変身してしまった。こんな姿、誰にも見られたくない。まだ子熊サイズとはいえ、魔獣の姿を見たらきっと逃げていってくれるはずだ。
「カァ」
「どこ行くの、オリーブ」
木陰からこっそり覗いて驚いた。予想に反してこちらにやってくる、なんてどうでもよくなった。
その少女は魔烏と並ぶようにして歩いている。仲が良さそうに見えるのは気のせいか。魔烏に笑顔で話しかけているように見えるのは幻覚か。
「怪我してるの?」
身体が勝手にびくりと揺れた。少し離れたところに少女が立っている。魔烏は少女を守るようにしてこちらを見つめている。
呆気に取られ、黙って立っているバーレットに対し、彼女はニコリと笑ってこう言った。
「ちょうどさっきね、お薬作ったの! あげる!」
小さな瓶を掲げ、嬉しそうに言う少女。バーレットはかなり動揺した。
変身が解けたのか? いや、この手はどう見ても魔熊の手だ。
怪我を心配した? 薬を作った? あげる? は?
俺が、怖く、ないのか?
気になっていた幼馴染のあの子は、従魔になったと分かった瞬間離れていった。怖い、と。凄いなと言いながら恐怖の色が隠せていない友達だっている。
瞬きすら忘れていると、ポトリと足元に小瓶が落とされた。見上げると、魔烏が飛び去る様子が見えた。
前を向けば、まだニコニコとこちらを見ている少女。心なしかワクワクしているようにさえ見える。
バーレットは恐る恐る前足で小瓶を寄せた。きちんと閉まっていなかったらしく、液体が掌についてしまった。その瞬間、じんわりと温かくなる掌。転んだ時に擦りむいていたらしい掌の傷が、少しずつ塞がっていくのが分かった。
小瓶の口をペロリと舐めると、まるでハーブ水を飲んだかのような爽やさが口いっぱいに広がった。少し薄いけれど美味しい。バーレットは夢中になって小瓶の蓋を口で開け、歯で挟むと一気に上を向いた。
ゆっくりだが確実に治っていく膝の怪我。
「あ、オリーブ待って! またね、バイバイ!」
少女は満面の笑みでバーレットに手を振り、魔烏を追いかけて去っていった。
バーレットには全てが信じられなかった。
それは彼だけではなかった。どうにか帰り着いた家で父にこのことを話しても、大笑いこそすれ信じてはもらえなかった。夢でも見ていたのだろう、と。
幼かったバーレットは、誰に言っても信じてもらえなかったこともあり、次第に夢だったのではと思うようになった。
そうして少しずつ記憶も薄れ、思い出すこともなくなっていた頃、もう一度彼女に会ったのだ。
たったひと舐め。それだけであの時の思い出が蘇った。
あの時は時間がなかったせいで話せなかった。後日ジルベルトに、彼女のところへ一緒にお礼に行かないかと誘われたが、ひとりで行きたかったから断った。
けれどいざ行こうとすると足が竦んだ。先に行ったジルベルトたちの話では、やはり彼女は3匹を魔獣だと思い込んでいるという。彼らもその体で行ったというし、それなら自分も倣おうか。いやそれでは昔のお礼も言えない。だからといって突然人間の姿で会いに行けば困惑するだろう。
そうこう悩んでいるうちに、彼女とジルベルトはどんどん仲を深めていった。彼が来ない日を見計らって、魔熊の姿で何度もあの森に行ったが、結局勇気が出なくて彼女の前には行けなかった。
ようやく直接会いに行けたのは、ジルベルトを通して彼女の回復薬を買ってからだった。なんと彼女は従魔でも態度を変えなかったと聞いて、バーレットは正直「しまった」と思った。
あの時、いや初めて会った時に、彼女に従魔であることを明かしていれば。ジルベルトが時折見せる幸せそうな表情をしていたのは自分だったかもしれないのに。
どこにもぶつけられない感情を持て余しながらも、どうにか会いに行ってまた打ちのめされた。
初めてひとりソロスペースに行き、緊張しながらも自己紹介をすると、彼女は嬉しそうに「あの時の!」と弾ける笑顔を見せてくれた。
「あの時は吠えて悪かった。助けてくれたのに」
「いえ! 気にしないで下さい。あの薬、ちゃんと効きましたか?」
「ああ、とても。この前の回復薬もとても良かったからまた買いに来たんだ」
「ありがとうございます!」
嬉しそうな彼女を見て、身体が熱くなるのが分かった。
まだ間に合うはず。まだ2人は付き合っていない。自分の方が先に会っていたことを伝えれば、まだ入り込む余地はあるかもしれない。
「……魔熊を見たのは初めてか?」
「はい、初めてです」
「そうか……」
そう言い切る彼女に、心がザワザワと煩い。それなのに周囲の雑音が一気に消えたような、急に足元が不安定になるような、嫌な感覚に襲われた。
覚えて、いなかった。
それでもまだ。まだ諦めたくない。
従魔について気になっている素振りの彼女に体験談を話せば、真面目に話を聞いてくれる。マーケットに行って顔を見せれば、笑顔で挨拶してくれるし、名前だって呼んでくれる。
けれど、行けば行くほど気づいてしまった。
バーレットが彼女のソロスペースに行くと必ず、彼女はすぐ自分の隣に視線をやるのだ。それが誰を探す視線なのか、深く考えなくても分かった。
ほどなくして2人が付き合ったと聞いて、バーレットは彼女のソロスペースやあの森に行く頻度をかなり減らしたが、どうしてもゼロには出来なかった。
昔のお礼をまだしてないから、とか。
別に2人が結婚した訳でもないんだから、とか。
気持ちの整理をつけるため、とか。
色んな言い訳をしては、魔熊に変身してこっそりあの森へと通った。それが役に立つとは思わなかった。
あの時、かすかに彼女の名前を呼ぶ焦ったような声が聞こえ、思わず走り寄った。怪しい男が2人と、その足元で倒れている魔リス。同じタイミングで飛んできた魔烏を見て、もしかしたらあの魔リスも彼女の知り合いかもしれないと、つい威嚇する声を出した。慌てて逃げて行く男2人に、彼女を呼びに行った魔烏。
その魔烏が戻ってくる時に、彼女だけの気配でないことに気付いたバーレットは、逃げるようにしてその場を去った。
「その2人組の男だが、特徴は分かるか?」
「いや……ただ、魔熊と魔烏を見てすぐに逃げ出したから、騎士や上級じゃない気がする」
「そうか……」
会話が止まる。
何か言おうとしても、何も出てこない。先に口を開いたのはバーレットだった。
「あの森には来るなと言われるのかと思った」
「言ったところで聞くのか?」
「それは……聞かないだろうな」
ニヤリと笑うバーレットにジルベルトもつられて苦笑した。少しだけ、以前のような空気が2人の間に流れた気がした。
「お前と話したら少しスッキリしたよ」
「諦めてくれるか?」
「さあ、それはどうかな。お前が彼女を泣かせるようなことがあれば、やっぱり遠慮しないから」
「怖い怖い」
冗談半分本気半分。軽口を叩けるようになったことへの安堵感が広がって、ジルベルトは心が軽くなるのを感じた。




