40.従魔に
「いっちゃんの、魔力……」
「シュリアに受け取って欲しいんだろう。一度出してしまえばもう戻せない。ただ、受け取るということは……」
「うん」
少し心配そうなジルベルトの声に、シュリアはイチゴの魔力を見たまま頷いた。
受け取るということは、従魔になるということ。
シュリアは迷わなかった。
両手でそれを包み込むと、途端に身体に熱が駆け巡る。シュリアは思わず目を固く瞑った。
「シュリア!」
「……大丈夫。いっちゃん、今度こそ飲んで」
イチゴはもう抵抗せずに口を開け、薬を飲み込んだ。
無事に治って欲しい。シュリアはただその一心で傷口にも治癒魔法をかけた。
徐々に傷口が塞がり、呼吸が落ち着いてくる。そっと抱きかかえると、イチゴは気持ちよさそうにそのまま眠った。シュリアはその寝顔を見てひと息つくと、途端に涙が溢れてきた。
良かった。間に合って良かった。
ジルベルトがシュリアの肩を抱き寄せる。オリーブも腕に顔を擦りつけた。
「ジルさん、ありがとう。もう大丈夫」
「無事で良かった」
「うん。オリーブも、ありがとう。知らせてくれて」
「カァ」
起こさないように抱きかかえて立ち上がる。今日はもうこのまま家に連れて帰ろう。
「シュリア。明日は難しいが、明後日は夕方には来れるから、またソロスペースに行っていいか?」
「うん。分かった」
「それまでは絶対に従魔の練習はしないと約束して欲しい。最初はコントロールが難しいんだ」
何度も何度も念を押し、ジルベルトは玄関までシュリアを送ると帰っていった。
そうだ。従魔になったのだった。
言われてみれば、確かに身体がまだポカポカと温かい気がする。いくつか読んだ従魔の本によると、魔獣の魔力が馴染む最中だったはずだ。
シュリアは不思議な気持ちのまま、すやすやと気持ち良さそうに眠るイチゴを見つめた。
2日後、約束通りソロスペースに来てくれたジルベルト。シュリアは結局待ちきれずに、いつもより早く店仕舞を始めた。
気持ちが急くままに家へと帰れば、庭でオリーブとイチゴが待っていた。イチゴは昨日目を覚ましてから、万全とはいかないが元気そうだ。
2匹に見守られながら、ジルベルトの従魔講義が始まった。本での知識とジルベルトの丁寧な説明により、シュリアはすぐに魔リスに変身することが出来た。
喜んだのも束の間、すぐに戻ってしまった。
「今日はこれくらいにしておこう」
「……もう一回」
結局この日は何度試しても1分と持たなかった。回を重ねる毎に伸びている気はする。数秒程度は。
シュリアは大きな溜息をついた。簡単にいくとは思っていなかったが、こうも難しいとは。日頃シュリアがコントロールするのは掌でだけだ。それが全身になると、どうも安定しない。
気合を入れ直してもう一度変身してみたが、今度は10秒程で元に戻った。
ぐらりと視界が揺れる。典型的な魔力切れ一歩前だ。
「おっと、大丈夫か?」
「ありがとう。大丈夫。回復薬飲めばまだ出来るよ……わっ!」
支えてくれたはずのジルベルトに抱きかかえられる。そのまま問答無用に家へと連れていかれ、ゆっくりとソファに降ろされた。
ジルベルトは笑顔なのに、その瞳はちっとも笑っていなかった。
「……ごめんなさい」
「これからも絶対無理はしないと約束して」
「はい」
素直に頷くと、ジルベルトの瞳はようやく優しい色に戻った。シュリアの鞄から回復薬を取り出すと、封を開けて渡してくれる。シュリアは自分の手が少し震えているのが情けなかった。
「飲ませようか?」
「もう。そこまでじゃないよ」
「残念」
くつくつと笑うジルベルトを傍目に、回復薬を一気に飲む。途端に温まる体。
シュリアは深呼吸をして気持ちを切り替えた。練習あるのみ。
「さてそろそろ帰ろうかな」
「え、晩御飯くらい……すぐ作るから」
「いや、遅くなる前にお暇するよ」
「でも……お礼くらいは」
そういえば家に入ってからジルベルトは立ったままだ。シュリアが立ち上がろうとすると、ジルベルトはソファの背もたれに両手をついた。
近くなる顔と顔。その群青色の瞳を見て、シュリアは目を閉じた。
いつもの優しいキスが、段々と深くなっていく。背中がぞくぞくして、熱に溺れそうな感覚になる。
「ん……」
少しの合間に空気を求めれば、自分から発せられたとは思えない程、鼻にかかった甘い声。恥ずかしさで先程とは違う目眩に襲われた。
ようやく唇が離れ、下を向こうとしたシュリアの額にジルベルトのそれがくっつけられる。シュリアは羞恥で潤んだ瞳のまま視線を合わせることになった。
「このままだと帰りたくなくなるから」
真っ赤な顔のまま小刻みに頷くシュリアに、ジルベルトは額を離すとその髪の毛を混ぜるように撫でた。
そしてひとりでは絶対練習しないようにと先生のような顔でシュリアに言ってから、そっと玄関の扉を閉める。
外に出れば、2匹の魔獣がじっとこちらを見据えている。ジルベルトは騎士の顔を貼り付け、2匹に短く挨拶しながら横を通り過ぎた。
湖を越えて、立ち止まる。
ジルベルトは深く長い溜息をつきながら、その場でしゃがみ込んだ。
「ああ、もう……」
どうにか取り繕えた自分を褒めてやりたい。
夜に男を引き止めるようなことを言うものだから。お礼なんて可愛いことを言うものだから。つい調子に乗ってしまった。
そしたらどうだ。
上気した顔に、うるうると濡れた瞳。
何よりあの時漏れた声。
『飛ばし過ぎると後々辛くなるからな、身体的に』
アルノールの言葉の意味がようやく分かったジルベルトは、何かを振り払うように頭を掻いた。




