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薬師と従魔  作者: 春夏しゅん
本編
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4.魔狼の回想

 ジルベルト・グランヴィス。

 軍部大臣を多く輩出している伯爵家の三男に生まれ、彼自身も第5騎士団に所属している。

 少し焼けた肌。背は高く優に180cmは超える身体は、無駄な肉が少しもない程鍛えられている。濃紺色で癖のない硬めの髪は、視界の邪魔にならない程度に無造作に伸びている。少しつり目の精悍な顔付き。吸い込まれるような深い群青色をした瞳は、さながらタンザナイトの様だ。


 その瞳には今、憂いを潜めていた。



(こんなの、言葉以外でどうやって説明すれば…)


「ジルベルト。何読んで…」

「アルノール」


 声をかけたのは、騎士団独身寮で同室のアルノール・ビアズリー。

 王族の出身で、彼自身も王位継承権を9番目に持っている。その出で立ちはさながら物語に出てくる王子様そのもので、ふわりと癖のある白金の髪と黄金色の瞳は王族の証だ。恐ろしく整った中性的な美貌は、見る者を虜にする。事実非常にモテる。ジルベルトだけでなく、第5騎士団員なら誰でも一度は仲介を頼まれたことがある。


 そんな彼は、ジルベルトが覗き込んでいる本を見て噴き出しそうになるのを懸命に堪えた。


『犬と狼の違いについて』


 そう、ジルベルトは魔犬ではなく魔狼(エルウルフ)に変身することができるのだ。

 どうやらこの前の一件について、彼女の最後の一言は彼の矜持を傷つけたらしい。



 魔獣に変身できる者、所謂"従魔"は騎士団には多いが、その他にはあまりいない。習得するにはかなり厳しい訓練が必要だからだ。

 イグアス国と隣接する3国とは、各国魔獣対応があるために建国当初から不可侵条約を結んでおり、騎士団は主に魔獣対応が仕事である。魔獣に変身しているとその魔獣の特技を使うことができるため、討伐の際に何かと役に立つのだ。


「大男が背中を丸めて小さくなってると思えば…そんなこと気にしてたのか」

「大きな問題だろう。俺は犬じゃない」


 正直似たようなものだろ、と心の中でアルノールは呟いた。口に出せば確実に怒られるからだ。

 ジルベルト自身も明確になぜ嫌なのかは分からない。ただ何となく、勘違いされているというのが釈然としない。


「というか、また行く気なのか」

「アルノールは行かないのか?」

「行く理由はないだろ?」


 言われてみれば確かにそうだ。

 あの日偶然助けられ、お返しに薬の材料になると聞いたものを持って行った。これで貸し借りなしだ。


「なんだ、気になるのか」

「ああ」


 潔く認めたことにアルノールは驚いた。

 この男は上二人が優秀な三男坊なので、そこそこ整った顔にも関わらず余り浮いた話を聞かない。その上貴族出身のくせに御令嬢が苦手だという。そのため一部ではあらぬ噂さえあるらしい。

 一言で言えば、周りが悪い。正確に言えば、彼の周りには顔や家柄の良すぎる人間が多い。親友が王族の美丈夫のアルノール、上の兄2人も理想の騎士様を模した様な男前で、役職も良い。彼の性格が真面目で堅物なのも一因かもしれない。


「凄く美味かった」

「…は?」

「あの回復薬。アルノールもそう言ってただろう」

「え、ああ、まあな」


 そっちかよという突っ込みが顔に出ていたが、ジルベルトは気付かない。腕を組んで眉間に皺を寄せながら、あの日のことを思い出した。




 あの日第5騎士団は、ラウエストの東にあるヴィルドルからAランクの魔白蝙蝠の討伐を終えて帰っている途中だった。運悪くAランクの魔赤大猩々(エルレッドゴリラ)の群れに会い、負傷者が続出した。ジルベルトを含む若手3人が、先に軍部に知らせるために魔獣になって城へと急いだが、その先でも敵襲に遭うという悲惨な状況だった。

 文字通り命からがらあのマルリッツの森にたどり着き、あと少しで森の城門があるというところで足の力が抜けた。湖に落ちる寸前だった。


 その時聞こえたのは、魔烏の鳴き声だった。


(魔烏は確かBランク……ここまでか…)


 魔梟のアルノールは少し前に気を失っている。離れたところに人の気配はするが、人に戻るだけの魔力も残っていない。


『お前たち、ニンゲンか』

『…!?』


 突如頭の中に聞こえてきた声に驚愕する。頭上を飛ぶ灰色の魔烏だとすぐに分かった。

 魔獣に変身した者は魔獣の声が聞こえる様になるのだが、魔力を飛ばされないと通じないため、ほとんど魔獣に変身した者からしか聞こえてきたことはなかった。

 それに、今まで人間だと見破られたことは一度もなかった。


『助け、呼んでヤル』

『……』


 なぜ、と返事をする魔力すら残っていない。魔烏を黙って見送り、じわじわと襲ってくる寒気に耐えることしか、今のジルベルトにはできなかった。

 朦朧とする意識の中、ぼんやり見えたのは若い女性だった。そして段々感覚と視界がなくなり、死を覚悟した瞬間、不意に身体がふんわりとした温かさに包まれた。


 この感覚はよく知っている。いや、知っている以上に優しく熱く心地いい。

 ゆっくり目を開ける。先程の女性がこちらを見て安堵したのが見えた。


(本当に、助けてくれたのか…? あれは確かに回復薬で治る感覚だった。それに魔烏を平然と頭に乗せるなんて…一体彼女は……)


 その時アルノールも目覚めた気配がし、ジルベルトは立ち上がった。

 動ける。これで城へ行ける。考えるのは後だ。


「グアアアアアア!!!」


 雄叫びをあげながら、傷だらけの魔熊のバーレットが飛び出した。どうやら敵だと思っているらしい。驚いた女性が少し後退ったのが視界の端に映る。


『敵じゃない! あの人は、助けてくれたんだ』

『何言ってるんだ! 俺たちは今魔獣だぞ!?』

『そこのは回復薬らしい。飲んでみろ』


 バーレットは明らかに戸惑い、今度はアルノールを見つめた。彼もそうだと言わんばかりに頷いたが、それでもバーレットは動かなかった。ジルベルトとアルノールは、彼に見せる様に順に回復薬を一舐めする。

 苦くない、というより美味い。味は濃いのにさっぱりしている。時間がないため一口しか飲めないのが残念なくらいだ。恐らく初級回復薬なのだろうと推測する。普通は効き目が良い程苦い。

 そうしてやっとバーレットも口にし、一度振り返ってから動き出した。ジルベルトもそれに続き、振り返りたい衝動をぐっと抑えて城へと急いだのだった。



 城に戻って報告した後すぐに軍医に診てもらったが、傷の状態はかなり良いとのことだった。これには医者も驚いていた。


「回復薬が効果が早いのに苦くもなくて美味かった?」

「はい。初級回復薬かと思う程苦味はありませんでした」

「ふむ…。この効き目は上級回復薬で間違いない。誰が作ったか分かるか?」

「マルリッツの森の湖近くで助けてもらったことしか…」

「恐らくウォルナッツのところだろうな。あそこは代々腕のいい薬師がいる。運が良かったな」

「はい。何かお礼をしようと思います」

「可能なら魔白蝙蝠の巣で採れた岩角を持って行くといい。きっと喜ばれる」

「ありがとうございます。掛け合ってみます」


 とてもいい情報が得られた。

 そのあと、第5部隊が全員無事救護隊と合流できたと聞いて、ジルベルト達は漸く肩の力を抜いた。



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