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薬師と従魔  作者: 春夏しゅん
本編
39/47

39.魔力

 ソロスペースでの販売は少しずつ固定客が増え、冒険者ギルドへの納品も増えている。この前父にきちんと成分確認してもらった軟膏の回復薬は怖いくらいに売れている。特に母のような長期で出掛ける者にはとても喜ばれ、まとめ買いする人も少なくない。第5騎士団員もジルベルト経由でかなり買ってくれた。


 昨日久しぶりに魔リス(エルスクワール)のイチゴが遊びに来てくれた。冬眠前に見た時よりも小さくなった気がして心配したが、今回もいつものようにお腹に飛びついたので安心した。重くて可愛いのも健在だ。


 穏やかな日々だ。それはまるで嵐の前の静けさのように。



 今日もジルベルトが昼前にご飯を持って来てくれている。彼はいつもよりも機嫌が良さそうだった。


「お兄さんから手紙が?」

「そう。父がモーリック伯爵家に正式に、しかもこれまでと違ってかなり厳重に抗議したらしい」

「それってつまり……?」

「ああ。そう簡単には手を出してこないと思うよ」


 シュリアは何がどうなったか想像出来なかったが、そんなことよりジルベルトが嬉しそうなことに目を細めた。父という単語と共にこんな穏やかな表情を見たのは初めてだった。


 段々暖かい陽射しが強くなってきた。あと1ヶ月もすれば、今日みたいに昼休みにソロスペースのテントを締め切ることも出来なくなるだろう。ここなら堂々と2人きりになれるので、少しだけ残念でもあった。


「それとガスリー商会だけど……何か噂は聞いてる?」

「うん。薬部門止めるってことは」


 この噂はホーリーがわざわざ教えに来てくれた。なんと彼は来月から斜向かいのソロスペースに移ってくるそうだ。回復薬を止めて、評判の良かった武器や防具の手入れ薬専門に変えたらしい。


「あとは彼がシュリア自身を諦めてくれれば良いんだけど」

「薬部門がなくなるから、もう興味ないと思うよ」

「まあ、いずれにせよ手放すつもりはないけどな」


 目を閉じれば案の定キスが落ちてくる。いつの間にか視線だけで分かるようになった。


 けれどいつもと同じ啄むキスだったのは初めだけ。

 シュリアの下唇にジルベルトの舌が触れた時、シュリアの身体が小さく揺れた。徐々に顔に集まる熱と、脳が痺れていくような感覚。そっとこじ開けるように入ってくる舌に、シュリアはついジルベルトの服を掴んだ。それを合図のようにジルベルトの両腕が腰に回されて、より密着する身体。服が擦れる音ですら羞恥を増幅させた。

 シュリアの舌にそれが絡められた時、背中がぞくりと震えた。息が出来なくなる寸前で離される唇に、とどめのようにちゅっと音が立てられる。

 シュリアは隠すようにジルベルトの胸に顔を押し当てた。


「シュリア、耳まで真っ赤」

「だ、だって」

「俺も、死ぬほどドキドキしてる」

「うん……」


 早鐘を打つ心臓がふたつ。

 あんなキス初めてだ。熱くて蕩けそうで、それなのに不快どころか……

 シュリアはそこで考えることを止めた。ダメ。無理。心臓が止まる。


「シュリアのお母さんが次帰ってくるの、いつかな」

「多分4,5ヶ月後くらいだと思う。なんで?」

「次は()()()()挨拶したいなって。早い?」

「う、ううん」

「じゃあそれまでに、シュリアに()()()()申し込み、しないとな」


 ジルベルトの腕の中で小さく頷けば、彼が嬉しそうに笑ったのが分かった。

 心臓が余計に煩くなる。破裂しないか心配になるほどだ。


 貴族と違い、庶民の間では付き合って半年以上経てば婚約や結婚に進んでも早くない。シュリア自身もいつかそうなればと日を追うごとに思っていたのも事実だった。


 ただ言葉に出されると恥ずかしさの方が勝って、どうしても顔が上げられない。

 楽しそうに笑う声が上から聞こえてきても、シュリアはしばらく顔をうずめたままだった。




 馬車を降り、手を繋いで家へと歩を進める。少しずつ暖かくなったとはいえ、この時間はもう薄暗い。古びた門が見えた途端、カラスの鳴き声が聞こえた。

 その声が届いた瞬間、シュリアは妙な胸騒ぎを覚えた。


「……この声、いつものオリーブと違う気がする」

「急ごう」


 急いで門を開ければ、すぐさまオリーブが飛び寄ってきた。その脚にはタライが握られている。シュリアがそれを確認した途端、オリーブは案内するように湖の方へと向きを変えた。


 家から少し離れたところでオリーブが止まる。大きな声で叫びながら旋回し、シュリアが着くのを待っていた。

 息を切らしながら懸命に走るシュリアだが、薄暗くてよく分からない。オリーブが飛んでいる下では何かが横たわっている。

 両手に収まるくらいの大きさの、あれは縦縞――……?



「うそ……いっちゃん……っ!?」



 嫌な汗が背中を伝う。

 いやまだ分からない。イチゴと決まった訳じゃない。シュリアは必死にそう自分に言い聞かせた。


 それでも知らない魔獣かもしれないという心配は消え失せている。シュリアはその魔リスの前で両膝をついた。深い傷が刻まれた身体は血だらけで、呼吸も浅く荒い。


 うっすらとその瞳が開く。瞳の色が何色かなんて、薄暗くても分かった。今朝見たばかりの、綺麗な赤色。

 シュリアは息をのんだ。


「すぐ治してあげるから。大丈夫だからね」


 なるべく優しく声をかけようとして、声が掠れた。

 今日引き上げた回復薬が2本あったはずだ。震える指先で鞄を開けようとしているせいか、もたもたしている気がして余計に焦る。


 怖い。


 もし、なんて考えたくもないのに、勝手に鼻の奥がツンとする。

 ジルベルトの大きな掌が背中に置かれて、シュリアはようやく回復薬を手に取ることが出来た。



「いっちゃん! 動かないで!」



 シュリアが薬を開けようとした時、イチゴが動いた。痛みで顔を歪め、余計に血が流れる。


 その時だった。


「え……?」

「これは……」


 イチゴが温かな光に包まれた。そしてそれが段々と彼女の身体から離れ、小さな光の塊だけがふわりと浮かんでいる。


「何、これ……」


 初めて見る光景にシュリアは戸惑った。その顔のままイチゴを見れば、彼女は少し微笑んだように見えた。


「これは魔獣の魔力だ」

「……え?」

「彼女が、自分の魔力を出したんだ」



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