34.紹介
「ねえシュリア。ジルって、誰?」
「え? え!? お母さんなんでジルさん知ってるの!?」
「なんだなんだ? また新しい魔獣の友達か?」
「とりあえず座りましょ」
暖炉の前に手を引かれて移動する。
シュリアと同じ胡桃色の髪。シュリアや父とは正反対の、日に焼けた健康的な肌。いつも豪快に笑い飛ばす大きな口。大好きな母だ。
「で、ジルっていうのは誰なの? まさかシュリアの彼氏?」
「かっ、かかか彼氏!? 魔獣じゃなくて!?」
「えーと、両方正解、かな…」
「従魔なの!?」
「彼氏なのか!?」
嬉しそうな母とは対照的な父。シュリアは照れながらも肯定し、明日の夕方に紹介したいと伝えた。
「彼氏……挨拶……嘘だろう……」
「何言ってんの。貴方だって私がシュリアくらいの時には指輪をくれたじゃない。シュリア、楽しみにしてるって伝えといて」
「いや、そんな大層な感じじゃないから。ほんとにただ紹介するだけだから」
両親に断ってから手紙を書いて、今回は直接乗り合い馬車に持って行こうとしたが、運良く家の前で配達員に会えた。少し震える手で渡した手紙は、きっと今日中には届けられるのだろう。
ダイニングテーブルにはもうたくさんの料理が並んでいた。3人揃って椅子に座り、女神様に感謝の言葉を述べてから食べ始める。久しぶりの母の味は格別に美味しい。母は料理が上手く、冒険者パーティでも調理担当だと言っていた。
暫くは料理を褒めながら和気あいあいと食べていた3人だが、母はジルベルトの話を聞きたがり、父は一生懸命に薬草の話にしようと試みては母に怒られていた。
「それにしても、お母さんはなんでジルさんのこと知ってたの?」
「帰ってすぐにオリーブに聞いたからね。『シュリアを、ジル、とった!』って騒いでたわよ」
「まったく、オリーブは……え? ちょっと待って、お母さんも従魔なの!?」
「そうよ〜、知らなかったっけ? 魔洗熊なのよ。可愛いでしょ」
従魔について聞きたいシュリアと、ジルベルトの話を聞きたい母の攻防が続く。聞きたくない父は、ひとりブツブツ言いながらお酒を飲んでいた。
翌日、シュリアは朝から朝食を作り、ギルドとソロスペースに顔を出し、昼食を作ってから掃除をし…と忙しい1日を送っていた。何かしていないと落ち着かない。何度も時計を見ては母に笑われ、父は落ち込んでいる。
いても立ってもいられなくなったシュリアは、ひとり湖でジルベルトを待つことにした。
「シュリア!」
手を上げて早足でこちらに向かってくるジルベルトに、シュリアも小さく手を振って応える。今日はいつもの練習着ではなく、初めて見る制服だった。紺色の詰襟に銀色のボタン。体格や姿勢の良さも相まって、絵に描いたような格好良い騎士そのものだ。シュリアはつい見惚れそうになった。
「遅かった?」
「ううん、私が待てずに来ちゃっただけ」
「シュリアが緊張してるのか?」
「緊張というか、落ち着かないというか…ジルさんは平気そうだね」
「いや、これでも緊張してる。今更だが、反対されたら、とか…」
「それはないと思うよ。むしろ言われるとしたら、私には勿体ないって方だと思う」
「まさか」
「ほんとほんと。想像出来る」
苦笑いするシュリアにつられて、ジルベルトも笑みをこぼし、2人は自然に指を絡めて家へと向かう。その空気も少しの間。家に近付けば近付く程、2人の口数は減っていった。
扉の前に立ち、揃って深呼吸する。
「開けるよ」
「……ああ」
シュリアが扉を開ける。笑顔の母と、表情の硬い父――が急に間の抜けた声を出した。
「あれ? 君、もしかして第5騎士団の……」
「ウォール研究員のチーム長、ですよね?」
シュリアは母と顔を見合わせる。次いで父、ジルベルトと視線を投げたが、全員似たような――鳩が豆鉄砲をくらったような顔をしていた。
「え、知り合いなの?」
「とりあえず座りましょうよ。さ、入って」
「お邪魔します」
父の部下が第5騎士団の薬担当で、ジルベルトが薬を取りに行く時に顔を合わせたことがあるらしい。世間は狭い。
ジルベルトが持ってきたのは有名老舗菓子店のケーキで、甘いものが好きな父が反応したことにシュリアは気付いた。そのケーキとお茶を運んできた母がソファに座ったのを見て、シュリアは改めて両親にジルベルトを紹介した。
「え…?」
「グランヴィスって、あの…?」
空気が固まる。
シュリアは何かフォローをしようとして言葉を探したが、何ひとつとして浮かばなかった。シュリアと同じく、両親も貴族が苦手だった。
「はい。ただ、私は三男なので、一介の騎士としてこれからも生きていきます。家を継ぐことはありません」
「それならよかった。この子には貴族なんて無理だからね」
「ああ、それなら安心だ」
今度はジルベルトが虚をつかれたような顔をする番だった。貴族でなくなることに安堵されるとは思ってもみなかったからだ。
けれどジルベルトは気持ちをもう一度締め直した。言わなければいけないことはもうひとつある。
「それから、私は……その、従魔でもあります」
「あら、一緒ね!」
「え?」
「魔洗熊なんだって。私も昨日初めて聞いた」
驚いた顔のジルベルトに、シュリアが呆れ顔で母を見ながら言った。けれど彼が驚いたのはそこだけではない。
「あ、もしかしてあのレポート書いたのは君?」
「1番詳しく書いてくれたのがジルさんだよ。あと、味付きの回復薬を売るように助言してくれたのも。今は軟膏の回復薬にも協力してもらってて…」
「「軟膏の回復薬?」」
リビングにある棚の抽斗から薬を取り出すシュリアを視界の端に捉えながら、ジルベルトは目眩を起こすような気分になった。
拍子抜け。その一言に限る。
ふと視線を感じた方に目をやれば、シュリアの母が微笑んでいた。
「大丈夫よ。私たちは気にしない」
「そうそう。むしろシュリアは喜んだんじゃないか? あ〜あ、実験に付き合わされるポジションを取られた気分だ…」
「そんなの父親より彼氏に決まってるじゃない!」
「そんなすっぱりと言い切らないでくれよ……」
ジルベルトが述べたお礼は、シュリアの母の大きな笑い声にかき消されてしまいそうなほど、とても小さな声だった。ただ、胸がいっぱいだった。
タイミングよくシュリアが戻ってくる。数種類の薬が机の上に並べられると、そこからはもうシュリアの研究発表会の場と化したのだった。
「ごめんね、こんなに遅くまで付き合わせちゃって」
「いや。俺も楽しかったよ」
結局ジルベルトは夕食もご馳走になるほどに話が弾んだ。特にシュリアの母とは魔獣の討伐方法について盛り上がり、騎士団と冒険者との違いに楽しそうだった。シュリアは、もちろん薬作りについて父と議論が進み、たまにジルベルトを見ては顔を綻ばせた。その度に父は少し寂しそうな顔をしていたことをシュリアは知らない。
夕食中はシュリアの小さい頃の話になり、大いに慌てたことだけは予想外だったが。
キッチンで母にこっそり言われたことを思い出す。
「良かったわね、素敵な彼氏で」
「うん」
「格好良くて優しくて、あんたの実験にも付き合ってくれるなんて中々いないわよ。お母さん安心した」
母にそう言ってもらえたことに、嬉しさと少しの安堵が胸に広がった。
正直なところ、最初は挨拶なんてまだ早いのではないかと思っていた。でも今はそう申し出てくれたジルベルトに感謝している。
「私の両親に会ってくれてありがとう。嬉しかった」
「いつか、俺の兄たちにも会ってくれると嬉しい」
「…うん。ぜひ」
ジルベルトは滅多に両親の話をしない。母親を病気でなくしたこと、父親とは反りが合わずに疎遠気味なことくらいだ。
「仲の良い家族で羨ましい」
ぽつりと零したジルベルトは、とても寂しそうな微笑みを浮かべていた。
とうとうストックがなくなりました…




