33.久しぶりの家族
(もしかしてまだ諦めてくれてないの!? あんなにはっきり断ったのに!?)
接客中、視界の端にちらちら映るダニエルの不機嫌面に、シュリアは内心驚愕していた。
前回来た時から2週間経っており、シュリアは正直忘れかけていた。前回も前々回も明確に拒否したし、心配してくれた知り合いにも全力で否定したので、もう済んだものだと思っていた。
客の切れ間に近付いてくる。シュリアは嫌悪感でいっぱいになった。
「なぁ、お前本当にあの男…グランヴィス家の三男と付き合ってるのかよ」
「そうだけど、もう関係ないでしょ」
「しかも魔付きなんだろ? やめとけよ」
「え、調べたの?」
シュリアはついあからさまに嫌な顔をした。なんだってそんなことをするのか。
不快感を全面的に出したシュリアに、今度はダニエルが苛立ちを露わにした。
「お前の為だってなんで分からないんだよ! 貴族だって言っても、三男なんか跡継げないんだぞ? その上魔付きとか……そもそも、いつかあいつは同じ貴族と結婚して、お前は捨てられるに決まってる。絶対騙されてるんだって!」
「跡を継がないのも知ってるし、従魔の何が駄目なの? 私は尊敬してる」
「はあ!?」
心底意味の分からないといった表情を浮かべるダニエルに、シュリアは溜息をついた。恐らく彼とは分かり合えない。最早分かり合おうとも思わない。
早く帰ってほしい。もうそれだけだった。
「何度も言ったけど、私は絶対にガスリー商会には行かない」
「だからそれはあいつに騙されて…」
「彼は関係ない。私の意思で行かないって言ってるの」
「……絶対に後悔するぞ」
「それでも行かない」
誰かが呼んでくれたであろう、見回りの衛兵が走り寄ってくるのが見える。ダニエルは盛大に舌打ちすると、シュリアを睨みつけて吐き捨てるように言った。
「俺は諦めないからな」
それからダニエルがソロスペースに来ることはなかった。
少しずつ春の訪れを感じられるようになった3月の終わり。シュリアは今週届いた2通の手紙を見て、目を細めた。
両親が揃って帰ってくる。
先に手紙が届いたのは、母からだった。来週末に帰ってくると書かれた手紙に、シュリアは声をあげて喜んだ。そしてその2日後には父からも、母に合わせて休みを取ったからという手紙が届いた。家族3人が揃うのは9ヶ月振りだ。シュリアもそれに合わせて、その土曜日にマーケットの運営にバイトを申請した。
何を作ろう。味を付けた回復薬や、軟膏タイプの回復薬をプレゼントしたら喜んでくれるだろうか。それから、母の好きなスコーンと父の好きなクッキーは多めに作るとして、あとは何にしようか。上手く焼けるようになったステーキも食べてもらいたい。
「楽しそうだな、シュリア。いいことでもあったか?」
「うん。もうすぐ両親揃って帰ってくるんだ。お母さんに会うの、去年の7月振りだから楽しみで」
「シュリアのお母さんって、確か上級冒険者の…」
頷いて母の話をする。
冒険者である母ユッタは、上級クラスになった時からなぜか魔亀を捕るのが上手かったらしい。
魔亀は超が付くほどの高級素材で、森の最奥の沼で群れを成して生息しているSクラスの魔獣だ。亀といっても、大人の人間と変わらないくらいの大きさで重さは人の2倍以上、それなのに動きは機敏で集団攻撃してくる厄介な魔獣らしい。
母の冒険者パーティは、ほぼ魔亀専用パーティと化していると言っていた。依頼主の多くは王宮研究所からで、父ともそこで出会ったそうだ。
「魔亀を捕れるのは凄いな。コツがあるなら是非とも教えて欲しいくらいだ」
「多分あんまり参考にならないと思う。うちの母、かなり感覚で生きてるから。私も一度聞いたことがあるけど、『ガーっとやって、バーっとやる』って言われただけだった」
ジルベルトが声を出して笑う。
2人の付き合いは順調だった。今日も一足早い春を感じようと、王都の南側の広場にお弁当を持ってピクニックに来ている。
これまでと変わらず週に一度は必ず会い、火曜日に休みが合えばデートをし、それ以外の曜日にはジルベルトがソロスペースを手伝ってくれる。段々と恋人繋ぎで歩くのが普通になり、髪や頬、もちろん唇にも落とされる優しいキスにも、恥ずかしさはまだあるがそれも少しずつマシになっていた。ただ、どうしても自分からは出来なかった。
「挨拶するのは、早い?」
「へ? あ、挨拶って…それは、その…」
「お付き合いさせてもらってますって。……もちろん、俺はそっちでも良いが」
「……意地悪」
余裕綽々の様子に、シュリアは赤い顔のまま拗ねた声を出す。ひとり勝手に期待したみたいで、何だかきまりが悪い。ジルベルトが目尻を下げて笑いながら、シュリアの髪を撫で、掠めるようなキスをした。
「悪かった。機嫌直してくれ」
「ぜんっぜん悪かったと思ってないよね」
もうすぐ付き合って2ヶ月になる。
ひとつ分かったことは、ジルベルトは想像以上に触れるのが好きらしいということだった。気持ちを確かめるというより、受け入れられるかを確かめているような。触れる直前、いつも一瞬だけ不安そうな表情になる。それに気付いたのも、シュリアに少しずつ余裕が出来てきた証拠だろう。
だからシュリアはいつも黙って受け入れていた。もちろん、シュリア自身も彼に触れられるのが好きだからというのが大きいが。
「でも挨拶したいのは本当だから、シュリアさえよければ行ってもいいかな。できれば土曜日の夕方くらい」
「う、うん。ありがとう…金曜日に帰ってきた時に伝えてみるね」
「念の為、返事はまだ馬車宛てに」
「分かった」
馬車宛て、とは乗り合い馬車で働くアンドレ宛てに手紙を送ることを指す。このアンドレというのはグランヴィス家の使いの者の名前らしく、伯爵令嬢対策のひとつだ。ジルベルト宛ての手紙は上からアンドレ宛てで包み、また返事もアンドレの名前で届く。大袈裟と言われるかもしれないが、前回の手紙が盗られた疑惑にシュリアは結構堪えた。だからこそこの対策がありがたかった。名前だけでは男性か女性か分からなかったが、出したその日には届けられているという働き者のアンドレにシュリアは感謝していた。
ふわりと吹く風に、かすかな花の香り。4月には4大祭典のひとつ、花祭りがある。ジルベルトが休みが分かり次第一緒に行こうと誘ってくれ、シュリアはとても心待ちにしていた。
その前に大きなイベントが出来てしまった。彼氏を両親に会わせるなんて、想像しただけで緊張する。ジルベルトをちらりと見れば、甘い笑顔が返ってくるだけだ。シュリアは不意にその頬を抓りたくなって、やっぱり恥ずかしくて止めた。
金曜日、1時間早く店仕舞をしてシュリアが帰ってきたにも拘らず、既に家の明かりがついていた。シュリアは綻んだ顔のまま玄関を開けると、そこには母と、驚いたことに父ももう帰ってきていた。
「おかえり、シュリア」
「ただいま! お母さんも、お父さんも、おかえり!」
両手を広げた母の胸に飛び込めば、懐かしくて安心する香りに包まれる。顔を上げれば、優しい眼差し。
けれどそれは一瞬だった。急にきらりと鋭い視線に変わる。母から発せられた一言は、シュリアには予想もしない言葉だった。
「ねえシュリア。ジルって、誰?」




