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薬師と従魔  作者: 春夏しゅん
本編
32/47

32.恋人の日2

 結局時間の足りなかった午前中の帳簿付けは、接客の合間に行い、ジルベルトはそれを横から眺めていた。教えた頃よりもすっかり早くなった一連の流れに目を細めながら。


 顔馴染みの客にジルベルトのことをからかわれたりもしたが、売れ行きは好調。夕方には今日の売上目標を達成したこともあり、いつもより少し早く店仕舞にした。今日のイベントに関係のない冒険者用マーケットは全体的にいつもより人通りも少なく、同じ様に早めに閉める店もちらほらあった。


 ジルベルトに手伝ってもらいながら片付け、台に施錠し終えると、流れるように指を絡めながら手を取られる。


 2人並んで歩く。行き先はアクセサリーの店が多くある通りだ。王宮へと近付く程に高級になっていき、マーケット近くにはイベント用にチープなアクセサリーが並ぶ臨時屋台が出てくる。シュリアはそこでお揃いのブレスレットか何かが買えればいいなと思っていたので、ジルベルトからそこに行かないかと言われた時は飛び上がりそうになるほど嬉しかった。

 少しずつ人が増えていく。アクセサリー店の多い通りはもうすぐのようだ。


「ジルさんどんなのがいいとかある?」

「そうだな……シュリアの瞳の色なら、エメラルドかペリドットか? それを内側に入れたいかな」

「内側? 何の?」

「指輪だろう?」

「ゆ、指輪!? それはその、ちょっと、早くないかな…?」

「あ、ああ、そう、か…」


 この国では恋人に指輪を贈ることは、プロポーズであり婚約を意味する。それは誰でも知っている話だし、それは貴族も平民も関係のない話でもあった。真面目なジルベルトが軽々と口に出したとは思えず、想像もしなかった単語に、シュリアは心臓が飛び出るかと思うくらいに驚いた。ジルベルトはジルベルトで、想像と真逆の反応に引かれてしまったのではないかとかなり動揺していた。


 しばしの沈黙。

 やっと動悸が落ち着いたシュリアがちらりとジルベルトを見ると、彼はまだまだ明らかに落ち込んでいた。


「ごめんなさい、言い方が悪かったよね……嬉しくないとかじゃないから! ほんとに、ただ驚いただけで…」

「いや…俺こそ悪かった。言いにくいが、その、貴族社会では付き合うとはそういうことだったから…」

「そうなんだ…」


 またしても訪れる沈黙。

 フォローが何も浮かばない。貴族と平民の違いに心がざわつく。

 ぐっと手を引かれて小路に入ると、ジルベルトは向かい合うようにして立ち止まった。


「ごめん。貴族を気にしてるシュリアに言うことじゃなかった。俺は本当に、貴族として生きていくつもりはないんだ。それなのに、ごめん」

「ううん。それより、本当に? その、私に合わせてとかじゃ…」

「違うよ。元々貴族は向いてないし、もうずっと騎士として身を立てていくと決めているから。三男はスペアのスペアだし…あ、いや、卑下してるんじゃなくてそういうものなんだ。家を継ぐのは嫡男だけだから」


 心の引っ掛かりが綺麗になくなった訳ではなかったが、ジルベルトの言葉に嘘はなさそうだった。シュリアもまた、必要以上に気にしないように気を付けようと決めた。


「そういう常識しか知らなかったから、さっきみたいなことを言ってしまうかもしれない。その時は教えてほしい」

「うん、分かった」

「でも、いつか()()なれたら、と思っているのは本心だから」

「うん……ありがとう」

「じゃ、改めて。シュリアは何か考えてたものあるか?」



 人の流れに乗って再び歩き出す。いくつもの屋台や店を覗いては、あれはどうだこれはどうだと話し合う。

 いくつか候補に挙がったものの、結局2人は老舗でお揃いのネックレスを買った。トップに光る小さな石は、お互いの瞳の色の宝石――タンザナイトとグリーントルマリンだ。決して安くはないが、高くもない、小さな小さな宝石。ジルベルトの首元に光る自分の瞳と同じ色のそれに、シュリアはくすぐったい気持ちになった。


 夕食はどこに行こうといいながら、元来た道を戻っていく。すっかり暗くなったというのに、お揃いのアクセサリーを買おうと見て回るカップルはまだまだ多い。ふと目に入った指輪を見て、シュリアは少し前の会話を思い出した。


 まだ想いを伝え合ってから1週間と経っていない。流石に早すぎると思う。それなのに付き合ったら婚約だなんて貴族はすごいなと考えて、心の中で頭を振った。


(ダメダメ。なるべく気にしないようにと決めたばかりなのに)


 あの伯爵令嬢はまた来るかもしれない。その時に、前みたいに動揺して弱みを見せたくない。泣き喚く姿も見せたくない。

 首元の小さなタンザナイトに触れる。シュリアは気合いを入れるかのように、大きく息を吐きだした。




 以前に2人で行ったことのある店で夕食をとり、手を繋いで帰り道を歩く。いつもなら馬車に乗るところだが、今日はなんとなく歩いて帰ろうという話になった。ひんやりと冷えた夜空に浮かぶ月。息を吐けばまだ白むほどの気温だが、2人には全く気にならなかった。


 2人で色々な話をする。シュリアは継続契約が増えたことを、ジルベルトはこの前の討伐のことを。それが終わると、話は自然とあの伯爵令嬢が来た時の話になった。

 もうすぐ家に着く。見慣れた道を寂しく思ったのは初めてだった。


「今までの話を聞いてたら、なんかまた来そうだね」

「一応兄たちには話をした。相手は貴族だから、兄2人が動いてくれてる。ただ、シュリアも気を付けて。こんなことで巻き込んですまない」

「ううん。私も啖呵切っちゃったし」

「あれは、嬉しかった」


 シュリアは顔を染めて俯いた。結果的には良かったが、今思い出しても聞かれていたこと自体は恥ずかしい。

 家の前に着く。小さな門を開けると、ぎいと軋む音がした。


「結構最初からいたよね。声をかけてくれれば良かったのに」

「オリーブが呼んでくれて慌てて来たから、息を整えてたのもあるし、その、シュリアの返答も気になったし…」

「やっぱりあの時オリーブいたよね? あのご令嬢に見つかってないといいけど……それにしても本当に仲良いよね、2人とも。いや、2頭とも? いいなぁ」

「どっちに嫉妬してるか気になるな」


 玄関前に来る。噂のオリーブは姿を見せてくれない。いつもなら、あの門の軋む音が聞こえた瞬間に飛んできてくれるのに。

 甘い声で名前を呼ばれて顔をあげる。シュリアの予想通り、いや、期待通りに優しいキスが降ってくる。一瞬で消える唇の温もり。それでも心が満たされていくのが分かる。


「今日もありがとう。おやすみ」

「こちらこそ、ありがとう。気を付けて帰ってね」

「ああ、また連絡する」


 シュリアが遠慮がちに扉を閉めたのを見てから、ジルベルトは歩き出す。


 湖を通り過ぎると、オリーブがこちらをじっと見つめて待っていた。ジルベルトはなんとなく予想していたので、特に驚きはなかった。むしろこの前来なかったことに拍子抜けしたほどだった。

 すぐに魔狼に変身し、オリーブの言葉を待った。


『シュリア、泣かす、許さナイ』

『ああ、分かってる』

『オレダケ、チガウ』


 オリーブの言葉尻が強くなった瞬間、感じるいくつかの気配。魔獣だ。何頭かいる、のではない。何頭もいる。


 自分も今は魔獣のはずなのに、ジルベルトは背中に汗が流れるのを感じた。



ひい、ストックが…

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