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薬師と従魔  作者: 春夏しゅん
本編
31/47

31.恋人の日1

 待ちに待ったジルベルトからの手紙が届いたのは金曜日の夜だった。いつかと同じ様に、配達員から直前手紙を受け取り、すぐに返事が欲しいと言われた。シュリアは急いで、それでいて出来る限り丁寧に丁寧に封を開けた。

 そこには、日曜日の昼前にご飯を持ってソロスペースに行ってもいいかと書かれている。

 すぐに了承の言葉を配達員に伝えると、配達員は消えるように帰っていった。

 家に入り、カレンダーを見て気が付いた。今度の日曜日は『恋人の日』だ。シュリアは心に喜びがこんこんと湧き上がるのを感じた。


『恋人の日』は、男性から女性にプレゼントと共に愛を伝える日だ。2代目の王が王太子の時に、その婚約者に愛の言葉とプレゼントを贈ったことが起源とされている。その贈り物はアクセサリーだったともチョコレートだったとも言われ、それが今や男性が女性にチョコレートを贈り、お揃いのアクセサリーを身に着けるのが主流になっている。最近は女性から男性に贈ることも増えてきたらしく、その情報源であるケイトはここ数年好きな演者に渡していると言っていたことを思い出した。


 シュリアはキッチンに向かい、食材を確認していく。前に渡せなかったオレンジピールのクッキーを作ろうと、目を細めて決意した。ビターチョコと合わせようか、ホワイトチョコもいいかもしれない。


 ああ、こんなに楽しみな『恋人の日』は初めてだ。



 手紙が届いた日から悩みに悩み、黒のハイネックセーターに、膝下まである細身のカーキ色のスカートで出勤した。本当は温かいズボンを履きたいところだが、彼に会うのにそれは相応しくない気がしてやめた。薄く化粧をして、髪を緩く巻く。シュリアに出来る精一杯のお洒落を詰め込んだ。


 待ち合わせまであと30分。そわそわしながら、接客の間に何度も鏡でチェックする。


(やっぱり口紅塗った方がいいのかな。でもそれだとキスしたらジルさんに付いちゃうかもしれないし…やめとこうかな…)


 鏡の中の自分と目が合う。シュリアの顔はみるみる茹でだこのように真っ赤になった。


(今のナシ! 今のナシ!! まるで期待してるみたいじゃない…!!)


 顔に集まった熱を必死に取ろうと手で仰ぐ。客が来る前に、彼が来る前に、この顔をなんとかしなければ。世の中の女性はどうしているのだろう。違うことを考えようとして視線を彷徨わせても、目に留まるのは歩く女性の口元。

 結局シュリアの願いは叶わず、すぐに来た客に「顔が赤いけど風邪かい?」と言われてしまうのだった。


 ジルベルトが見えたのは、その接客が終わってすぐだった。目が合うと小さく手を挙げてくれ、シュリアは顔を綻ばせてそれに応えた。


「今日は一段と可愛いな」


 蕩けるような声と目元に、シュリアは去ったばかりの熱が顔に戻ってくるのを感じた。

 急いで来てくれたのか、ジルベルトは騎士団の練習着だ。「ジルさんだって格好良いよ」なんて思っても、恥ずかしさが邪魔をして口に出来ない。シュリアはただ小さな声でお礼を言うのがやっとだった。


 正午になると、閉める店がちらほら出てくる。昼休憩に入るのだ。寒さ対策になっているテントの前部分まで閉めてしまい、中で昼食をとる者もいれば、台に板をはめてきっちり鍵をかけてから出掛ける者もいる。中には昼寝する者もいて、夕方近くまで開かない店もある。もちろん閉めずに開ける店もあるのだが、人通りも減るので、シュリアはいつもテントを閉めた中で昼ごはんを食べ、午前中の帳簿をつけることにしていた。

 ジルベルトにどうしたいかと尋ねるといつも通りで良いと言うので、シュリアはテントの前部分を閉めて休憩中の札をかけた。


「これ、久しぶりのステーキサンド。スープもあるから」

「ありがとう! コーヒーは持って来たけど、食後かな?」

「そうしよう。でもその前に……」


 優しく抱き締められる。会いたかったと小さく聞こえた声に、シュリアは腕の中で頷いた。バクバクと壊れそうな程に鼓動する心臓の音がふたつ。目を閉じれば感じる、爽やかな香りの中に少しだけ混じる汗の匂いに鼓動がより早くなる。いつか慣れる日が来るのだろうか。今は全くもって落ち着かないけれど、それでも間違いなく今一番幸せな時間だと思う。

 少し身体が離れた瞬間、頬に添えられる大きな手。抗うことなく上を向けば、何も塗られていない唇に優しいキスが落とされた。


「いつもそんなに可愛い格好で接客してるのか?」

「…違うよ」

「なら、俺の為?」


 照れながらも小さく肯定すれば、ジルベルトは目尻を下げて破顔した。自分でも分かっている。これは、誰がどうみてもバカップルだ。シュリアは自分でも驚いていた。まさか自分がこんな、正しく恋する乙女のような状態になるだなんて。


 身体の大きなジルベルトは今にもテントの天井に頭がつきそうだ。急にテントの中が狭く感じて、そんな空間に二人きりなんだと意識して余計にドキドキした。誤魔化すように後ろの作業テーブルをてきぱきと片付け、昼食をとるスペースを空ける。販売台の下から折りたたみの椅子を出して、並んで腰掛けた。ジルベルトが持ってきてくれたステーキサンドは、色々食べた中で2人が1番美味しかったと意見が一致した店のものだった。好みが合うこと、またそれを覚えていてくれたことにシュリアは嬉しくなった。


 あっという間にステーキサンドを平らげ、シュリアはあの時に買った水筒からコーヒーをコップに注いだ。テントの中に籠もっていたパンの香りが、たちまちコーヒーの香りへと変わっていく。


「ありがとう。俺からはこれを。今日はその、『恋人の日』だろう? だから……口に合うと良いんだが」


 コップの隣に、綺麗にラッピングされた小さな箱が置かれる。恐らくシュリアが少し期待していたチョコレートだろう。ダニエルと付き合っていた時は春から夏にかけてだったので、恋人の日に異性からチョコレートを貰うこと自体シュリアにとって初めてのことだった。こんなに胸がきゅんとするなんて知らなかった。

 シュリアも容器に入ったクッキーを取り出して、ジルベルトの前に置く。


「ありがとう。私からも、これ。最近は女性からも渡すって聞いたから」

「シュリアが作ってくれたのか? ありがとう。食べたいが勿体ないな……」

「いやいや、こんなので良かったらいつでも作るから。開けてもいい?」

「もちろん」


 箱についた赤いリボンをゆっくりとほどく。艶々とした真っ白い蓋を開けると、見るからに高級そうな、色とりどりの丸いチョコレートが5粒並んでいた。


「うわあ、美味しそう…! こっちの方が食べるの勿体ないよ…!」

「アルノールに聞いた店だから、きっと美味しいと思う。あいつはそういうのに詳しいから。どれが美味しそう?」

「うーん、真ん中かなぁ」


 そう言うとジルベルトが取り出してくれる。シュリアは掌をジルベルトに向けた。


「はい、口開けて」

「へ? え? えっ!?」


 純粋な瞳のまま口元にチョコレートを運んでくるジルベルトに、シュリアは顔だけでなく身体全体が熱くなるのを感じた。


(ど、ど、どうしよう…!? どうするのが正解!?  恋人ならあーんくらいするもの!?)


 否定的なことを言ったら、あの時やあの時みたいに「俺がするのは嫌?」と言われてしまうのだろうか。あの寂しそうな表情には弱いのに。


 一向に引く気配のないジルベルト。ずっとこのままなのも気が引けて、シュリアは意を決して小さく口を開けた。途端に口の中にチョコレートを入れられる。少しだけジルベルトの指が唇に触れて、シュリアは余計に顔を赤らめた。それにはジルベルトも気付いたらしく、朱の差した耳を誤魔化すように早口で言葉を紡いだ。


「今日はチョコレートをこうやって食べさせ合うとあいつから聞いたんだが…違ったか?」


(それ絶対にアルノールさんにからかわれてるから…!!)


 正直味がよく分からない。美味しい気はする。多分。

 シュリアははたと咀嚼を止めた。さっきジルベルトは「食べさせ合う」と言わなかったか。ということはつまり……。ちらりとジルベルトを見れば、クッキーに手を付けずにこちらを見て待っている。心なしか少しそわそわしているような気がする。いや、どうやら気のせいではないらしい。長い指をもじもじと動かしているのが見える。


 シュリアはごくりと喉を鳴らすと、恐る恐る口を開いた。


「ジルさんも、食べる…?」

「いいのか…!?」


 明らかに嬉しそうな顔をされてきゅんと来たシュリアは腹を括った。いつかどこかで聞いたことのある台詞が浮かぶ。

 女は度胸だ。


「はい! あーん!」

「あ、あーん…」

「「……」」


 しまった。あーんは流石に言わなくて良かった。どうにかジルベルトの口にクッキーを入れることが出来たが、2人とも顔を赤く染めて黙り込んだ。


「これは、結構恥ずかしいな…」

「うん…」

「普通に、食べるか…」

「うん…」


 お互い貰った方に手を伸ばす。漸く味が分かった2人だった。



ぐええ甘々…

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[一言] あ、あまい…
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