30.接触
翌日からのシュリアは、頬の緩みを抑え込もうと必死だった。顔馴染みの客からだけでなく、納品に行った冒険者ギルドでも「良いことあった?」と言われる始末。
一足早い春に水を差されたのは3日後のことだった。元彼のダニエルが突然ソロスペースにやってきたのだ。
「まあまあ売れてるんだな、お前の薬」
接客が終わるまでじっと見張るように眺めていたダニエル。それだけでもいい気はしなかったのに、意外だと言わんばかりの言い方にシュリアはムッとした。
「でもまぁ、そう長く続くはずないんだ。今の内にガスリー商会に来いって。まだ意地張ってんのかよ」
「行かないって言ってるでしょ。何があってもガスリー商会にだけは行かない」
「はあ? なんだよそれ。あの男の影響か?」
そう言いながら、ダニエルはきょろきょろと辺りを見回した。どうやらジルベルトがいないか確認しているらしい。本当にいたらいいのに、とシュリアもついダニエルの視線の先を追ってしまい、慌てて視線を戻す。その行動に何を思ったか、ダニエルは急に意地悪い笑みを浮かべた。
「ああ、分かった。あの男、お前が雇った偽物だろ? あのグランヴィス家なんていう凄い貴族とおまえが付き合える訳ないもんな」
「え、なんでそうなるの?」
「とぼけなくてもいいって。とにかく、お前はガスリー商会に来ればいいんだよ。それがお前の為になんだよ、絶対」
「行かないったら行かない。しつこいよ」
「どうした、シュリアちゃん。困りごとか?」
苛立ちで顔を赤くし、まだ言い返そうとするダニエル。そこに助け船を出してくれたのは、上級冒険者のマットだった。母の知り合いであり、ホーリーのレンタルスペースにいた時にサンプルを渡してからシュリアの回復薬を気に入ってくれ、今では冒険者ギルドでも継続契約をしてくれている。以前、冒険者用マーケットで掘り出し物を探すのが趣味だと言っていたが、今日もその一環かもしれない。
筋肉質な大きな体に、日に焼けた肌。常に眉間には皺が入っており、見た目は結構怖いおじさんだ。話してみると実はマイペースな人だと分かるのだが、初めて会うダニエルはその姿に思わずたじろいだ。
「な、何ですか! 俺は別に何も…!」
「困らせているように見えたが。客じゃないなら、もういいか? シュリアちゃん、仕事の話をしよう」
「はい! マットさん、何かありましたか?」
ダニエルは悔しそうにシュリアを睨んだが、すぐに背を向け去っていった。シュリアはひと息つくと、改めてマットにお礼を言った。仕事の話というのは本当だったらしく、今冒険者ギルドで契約しているコーヒー風味だけでなく、ミント風味も少し置いて欲しいという話だった。シュリアはもちろん二つ返事で引き受けた。
ダニエルは悪態をつきながら歩いていた。彼女が断るなんて想定外だ。イライラしながらマーケットの出口へと足早に向かう。
(シュリアの為だって言ってんのに! 女一人でなんか、絶対にいつか騙されて痛い目見るに決まってるのに! なんであいつはそんなことも分からないんだよ!)
学園祭前、カップルが増え出して焦っていた時に、同じクラスだったシュリアとたまたま話す機会があった。地味だけどよく見るとまぁそれなりに可愛い顔立ちだったし、好きなことには一生懸命なところも好感が持てたから告白した。付き合ってから、よく照れてよく笑う彼女が可愛いと思ったし、すぐに人を信じる彼女が騙されないように自分が守ってやらなければと思った。魔獣と友達だなんて馬鹿げたことを言う変わったところもあったから、よく心配したものだ。
確かに勢いで別れてしまったけれど、同窓生や同業者に聞いても彼女に恋人が出来たなんて話は聞かなかったから、もしかしたらまだ自分のことが好きなのではと思っていた。いや、正直今は確信している。
(じゃないと、俺があの男を探そうとしたら焦る訳ないんだ)
今日も来ているんじゃないかとあの男を探そうとした時、彼女もそれに合わせるかのように視線を彷徨わせ、慌てていた。それを見た時にピンと来た。
そもそも誰もが知っているグランヴィス伯爵家の人間が、平民の彼女と付き合う訳がない。何のメリットもないからだ。どうしてわざわざそんな名家を選んで使ったのか知らないが、そんなすぐにバレるような嘘をつかなくてもいいのに。
(まだ拗ねてんのか? それとも試してるつもりか?)
そう思うと少し腹立たしいが、今は良しとしよう。専属の薬師がことごとく辞めてしまい、父親にも早く次を探してこいとせっつかれている。募集しても中々応募はないし、スカウトしてもにべもなく断られる。ほとほと困り果てた時に、シュリアがソロスペースで順調だという噂を耳にした。
その時に思い出した。そうだ、あいつがいるじゃないかと。
薬を作るのが好きで、性能もまあまあ良くて、お人好しのあいつが。
(シュリアが、俺の頼みを断る訳ないもんな)
口の端を持ち上げて笑う。癪ではあるが、毎日お願いに通えば、お人好しの彼女のことだ。きっと最終的には頷くはずだ。
そうすれば世間知らずの彼女が騙されないように守ってやることができるし、ガスリー商会で安定した収入が得られるなんて彼女にとっても良いことのはずだ。
いくらか気分が良くなったダニエルがマーケットを出た時だった。知らない老人に話しかけられたのは。
「ダニエル・ガスリー様ですよね? シュリアリース・ウォルナッツのことでお話が……」
一方のジルベルトは、すぐに長兄に会いにいき、事情を説明してシュリアの警護を依頼した。自分と比べて数段整った顔で大喜びで了承してくれた兄に、ジルベルトは一瞬心がざわついた。
その後すぐに第5騎士団の隊長に恋人が出来たことを報告した。これは第5騎士団での決まりでもあった。恋人が出来たりプロポーズが成功したり子供が出来たり、そんな時は無意識だったとしても浮かれて怪我をしやすいので、周りに知らしめて注視とフォローが出来るようにという隊長の意向だった。もちろんその逆でもだ。
最終会議が終わり、各自部屋に戻って出発の準備をする。団員の中でも若手である2人は準備するものが多く、慣れた手つきでどんどんと揃えていく。
準備を終えると、話す内容はやっぱり今日のことだ。モーリック伯爵令嬢がまたシュリアの家に来ていたこと、きちんと想いを伝え合えたこと、出した手紙が届いていなかったこと。もちろんキスをしたことまでは言わなかったが、恋愛経験豊富なアルノールには察するものがあったらしい。にやにやと意地の悪い笑みを浮かべている癖に、それすら綺麗な顔なのが忌々しい。
「恋愛初心者のお前にひとつ忠告しといてやるよ。飛ばしすぎると後々辛くなるからな、身体的に。どうせ結婚するまで我慢しなきゃならないんだから」
「そういうもんか?」
ジルベルトは真面目な顔で聞いていたが、その時はあまりピンと来なかったのが実際だった。そもそもこんな恋愛をしたことも初めてだ。恐らく、両想いになったことも。
辛いことなんて何ひとつない。繋ぎたい時に手を繋げる。抱き締めてもキスをしても拒絶されることなく、照れながら受け入れてもらえる。それがこんなに満たされて幸せな気持ちなれるなんて、初めて知った。今までの苦しみはこのためにあったのかと思える程。
ただただ、幸せだ。
「ま、今に分かるさ」
「肝に銘じておくよ」
意味ありげな言い方に、深く考えることなく返事をする。
アルノールの忠告の意味が分かるのは、もう少しだけ先のお話。




