26.それなのに
少しの間デモデモダッテが続きます
ジルベルトが予約してくれた店は、新しくオープンしたハーブ料理専門店だった。
その気持ちが嬉しくて、シュリアは綻んだ頬のままお礼を言うと、彼も嬉しそうに笑った。
2冊貰ったメニューを見て、あれこれ話しながら注文を決める。よく食べるジルベルトと一緒だと、色んな料理が楽しめる。
美味しい料理と、そこから広がる薬草の話。
目が合えば微笑まれ、シュリアも照れながらもそれを返す。
甘酸っぱくて擽ったい時間。
それなのに。
「そういえば、前貰った軟膏の回復薬は売らないのか?」
「うーん、売りたいけど、悩んでる。もうなくなった?」
「いや、もう少しあるよ。ただ、凄いことにまだ効能が落ちてない気がするんだ」
「え、ジルさんも? あれ作ったの2ヶ月前だから、液体より持つってことだよね」
「ちょっと待て、シュリア」
もしかしたら今度帰ってくる母に良いプレゼントが出来るかもしれない。そんなことを考えていると、ジルベルトがこちらを見て笑顔を作った。笑ってるのに怖い気がするのはなぜだろう。
「一応聞きたいんだが、シュリアはどうやって回復薬の効能確認してるんだ?」
「え? それは、指先をちょっと切って…」
「…他の方法に変更は?」
「足なら見えない? そ、そんな目で見ないでよ。仕方ないじゃない、自分でも確かめたいんだから」
ジルベルトはシュリアを見たまま大袈裟に溜息をつく。シュリアは高等学校で先生に叱られた時のような居心地の悪さを感じた。
「シュリアは止めてもするんだろう。頼むから、大怪我なんてしないでくれ」
「大丈夫だよ。指先くらい…分かった。分かりました!」
咎めるような視線にシュリアが慌てて承諾すると、途端に優しい顔をして頭をポンポンと撫でられた。
大きな掌が触れている。激しくなる鼓動と、顔に集まる熱。
また、だ。
嬉しいのに。それなのに。
「またうちの隊で希望者募ろうか?」
「それは助かるけど、迷惑じゃない?」
「団長に相談してからにはなるが…アルノールくらいならすぐにでも協力させるよ」
「くらいって。でもありがとう。今日渡していい? さっき渡すって言ってたアルノールさん指定の茶葉の回復薬も作って。すぐに出来ると思う」
「…あぁ、きっと喜ぶよ」
店を出て歩き出す。今日はこれから少し離れた図書館に行く予定だ。ジルベルトから従魔についての本が多いのは南西図書館だと教えて貰ったからだ。付き合わせることを申し訳なく思いながら、シュリアは同時に安堵していた。
休みに一緒に過ごしたいと思っても、目的がないと誘えない。せめて相手の興味を惹くものについていくという体でいないと、誘う勇気が湧かない。前回はジルベルトの好きそうな、冒険者用ではあるが遠征グッズの臨時販売会に行かないかとシュリアが声をかけた。
そうやって、休みを暗黙の了解のように合わせながらも、共に過ごす理由を探している。お互いに。
ふと手が触れる。いつものように平静を装ったまま会話を続けようとしたシュリアだったが、出来なかった。
右手が大きな手に包まれたからだ。
呼吸が止まり、言おうとしていた言葉も、さっきまで話していた内容も、全て消えた。そのあとに追い打ちをかけるように鳴り響く心臓の音。
会話が止まったことなどお互いに気付かず、ただ繋がれた手にだけ意識が集中した。
乗り合い馬車の停留所までが長く感じたような一瞬だったような、不思議な気分になった。お金を払う為に、手と手が離れる。温もりが消えた掌は、いつもより冬の寒さを感じた。
「すぐに出る馬車があって良かった」
「うん。そうだね」
漸く会話が出来る。
乗り込む時に差し出された手に、シュリアはいつの間にか自然と重ねることが出来るようになった。いつもと違ったのはそこからだ。
揺られる馬車の中、繋がれたままの手。窓の外を見るジルベルトと、反対側の窓を見つめるシュリア。
海が見えて、初めて乗り過ごしたことに気付いた2人だった。
「シュリア、この本はどうだ?」
「どれどれ…あ、いいかも、面白そう」
「一旦これくらいにしておくか?」
「うん。ごめんね、持たせちゃって。ありがとう」
従魔に関する本を5冊持ってくれているジルベルトと席を探す。専門書ばかりを扱っているこの図書館は古く、平日のせいもあってか、利用客はさほど多くない。テーブル席は1つしか埋まっていなかったので、そこから離れたテーブルを選んだ。
「ジルさん、向こうの棚に」
「うん?」
「あ、あの、向こうの棚に戦法関係の本あるみたいって…」
「ありがとう。見てくるよ」
ジルベルトが聞き返すと同時に、シュリアの方へと身を屈めた。不意に近くなる距離に、耳と首筋に、シュリアはどぎまぎした。
動揺を隠すかのように、シュリアは1番上の本を急いで手に取った。先程ジルベルトが見つけてくれた本だ。少し分厚い本だが、彼女は開いてすぐに虜になった。
『従魔についての考察』
多分この作者は従魔もしくは魔獣が好きだったんじゃないかと思うほど、事細かに記載されている。もはや論文だと言ってもいい。そもそも従魔とは何なのかから始まり、まずは従魔になる前と後の違い。従魔の仕組み考察、魔獣そのものからの考察。従魔訓練について。最後に従魔とは、で纏められている。
訓練については、シュリアもこれまで本で読んだり、ジルベルトやバーレットから詳しく教えて貰ったことである程度は知っていた。確かに過酷だった。
まず1対1で闘うのだが、魔獣に決して致命傷を与えてはいけない。もちろん魔獣は殺す気で来るので、ぎりぎりのところで応戦しなければならないそうだ。魔力も気力もじわじわと削いでいき、最終的に魔獣が戦意喪失して、その魔獣の魔力を分け与えるまで続く。魔力を分け与えるとその魔獣の魔力の総量が減ってしまうので、魔獣にとっては最終手段らしい。反対に、従魔になるとその分の総量が増える。従魔訓練は早くて3日、長いと1週間以上かかると聞いた。逃げられたりしても最初からになるので、騎士団にはそれ専用の練習場があるとジルベルトが話していた。
訓練自体は昔からあまり変わらないようで、この本でも同じ様な内容だった。ただ、闘うのは弱り切った魔獣では駄目なことや、分け与えた魔獣は魔力が約2〜4割も減るとはこの本で初めて知った。
やっぱりオリーブに従魔になりたいと気軽に言わなくて良かった。こんなことも知らずに話していたら、優しい彼のことだ。魔獣を弱らせて持ってくるなんて危ないことでもしそうで話せなかった。そんなことしたら、怪我でもしていたかもしれない。オリーブに万が一のことがあったらと思うと恐ろしくなった。
シュリアは恐怖と安堵が交錯した感情を抱きながら最終章を捲る。
『従魔とは』。作者は言う。
従魔とは、人間と魔獣を繋ぐ絆となり得る存在である。それが例え一部であろうと信頼関係を作ることができれば、戦争等による有事の際にも、お互いに協力することができるのではないか。それは果たして魔獣の大発生が起きたとしても、恐るるに足りないのではないか。従魔ではなく、共魔になれれば。お伽噺と笑われようが、そんな世界を望む、と。
「その本、そんなに良かったのか?」
「うん。凄く」
本を閉じたシュリアは、漸くジルベルトも向かいに座って本を読んでいたことに気付いた。その手には『騎士戦法百計』と書かれた本がある。いつ彼が戻ってきたのかも気付かないくらい、どうやらかなり夢中になっていたようだ。
その姿を彼がちらちらと見ていたことにも、もちろん気付くはずもなく。
シュリアは次の本を手に取りながら考える。
人間と魔獣を繋ぐ絆なら。闘わずしても従魔になれたのなら。
それこそが本当の共魔ではないだろうか。
そのヒントを少しでも得たくて、シュリアは次の本を開いた。
結局読み切れなかった2冊は借りることにした。シュリアの家から1番離れた図書館ではあるが、王都内のどこの図書館で返してもいいので便利だ。
木製の大きな扉をジルベルトが軽やかに引き、シュリアが礼を述べながらも先に出る。と、出てすぐにある階段に足を取られてバランスを崩した。しかし、転げ落ちる前にジルベルトの手によって助けられた。
「大丈夫か?」
「う、うん。ありがとう」
「全く。目が離せないな」
また、だ。
仕方ないなと笑うジルベルトを見て、シュリアは今日助けて貰ってから感じる違和感のようなものの正体が漸く分かった。それはまるで染みのように、ぽたりと一点落ちた瞬間にじわじわと心に広がっていく。
深く考えないなんて、無理だ。
(もしかして、ジルさん、私のこと手のかかる妹みたいだと思ってる…?)




