20.君が為
ジルベルト視点です。
女神祭が終わってからというもの、ジルベルトの機嫌はうなぎ登りだった。
彼女が少し自分を意識してくれている気がする。
気のせいかもしれない。それでもそう考えるだけで勝手に心が躍るのだ。
引き出しに仕舞ってある緑色の造花の薔薇。それを見なくても、不意に首まで紅潮させたシュリアを思い出して、片手で口元を隠す。アルノールに何度「隠せてない」と言われても気にならなかった。
その表情を見られたことが嬉しくて、つい調子に乗って髪に触れてしまった。勇気を出して差し出した腕を取ってもらえた時、それにも照れていた彼女を見た時、どれほど嬉しかったか。
「お前がこんなに単純だって知らなかったよ」
「俺も知らなかった」
日々の鍛錬には力が入り、任務では無理なく最短で帰れるように頭を働かせる。怪我なんてもっての外だ。下手をして彼女に会えなくなるのは困る。
最初は火曜日ばかり休み希望を出すジルベルトに渋い顔をしていた団長も、分かりやすい成果に最近は進んで休みを入れてくれるようになった。今まで全くなかったジルベルトの春に、隊員たちも応援気味だ。
残念ながらこの前の火曜日は会いに行けなかった。女神祭に次いで年末年始も交代で休みを取らなければならないため、どうしてもこの間は毎年遠征が入る。それでも今度の火曜日は休みをくれると言っていた。それを糧にジルベルトは任務をこなしていた。
目的地手前で隊長が隊を止めた。ダグラット・マーヴァー第5騎士団隊長。40歳になったばかりだと聞くのに、未だ衰えを知らない強靱な肉体で、ジルベルトより低い身長もそうとは感じさせない程威圧感がある。黒々とした髪は短く切り揃えられ、闇夜のように黒い瞳は鋭く吊り上がっている。口は悪いが部下思いな為に尊敬し憧れる者も多く、ジルベルトもその内の1人だ。
「全員よく聞け!回復術士の怪我が思った以上に酷い。先に帰すことになるだろう。全員回復薬のストックを確認しておけ」
隊全体に緊張が走る。約4ヵ月前の隊全滅の危機を思い出したからだ。しかも相手まであの時と同じ魔赤大猩々だ。あの時はまだ近場だったが今回は違う。
「ジルベルト!作戦会議に加われ」
「は!」
いつも研究に勤しむシュリアを見て触発され、ジルベルトも任務に役立ちそうな本をよく読む様になった。団長に作戦を立てる過程も知りたいと言ったところ、喜んで加えてくれた。
彼女に負けないように、自分も頑張ろう。彼女と会う度にそう思うようになった。
前回とは違い、今回はスムーズに討伐が完了した。数は多かったものの、前回の失敗を反省し、何度も何度も想定訓練を繰り返したおかげだろう。
今日はこのまま野宿だ。全員手慣れた様子で準備をし、討伐した魔獣の肉を食べる。シュリアが知ったら引くだろうか。
夜は若手とベテランがペアになって交代まで見張りをするのがこの隊の決まりだ。以前なら苦手だったこのベテランとの見張りも、今は色々と勉強になるからと楽しみにしていた。ベテランは若手がちゃんと聞いているかを目聡く見分けるし、そうと分かると喜んで多くを教えてくれると最近知った。
いくつもの討伐を終え、見慣れたマルリッツの森に入ると漸く戻ってきたという気分になる。不思議なことに、この森には群れを成して悪さをする魔獣は出ない。
「なあ、シュリアちゃんに俺もまた紅茶味の回復薬欲しいって言っといて」
「自分で買えばいいだろう」
「言ってくれるなら、とっておきのデートスポット教えてやるけど?」
「乗った」
「勝った」
アルノールと軽口を叩きながら城門を潜る。
本当ならこのままシュリアの顔を見に行きたい。けれどそれは流石に思うだけに留めている。碌に風呂にも入っていない身体は返り血だらけだし、何よりまだ恋人でも何でもない。
「おいジルベルト、まだ回復薬は余ってるか?」
「はい、あります。隊長」
「1つくれ。金は出す」
「支給された物なので金は受け取れません」
「そっちじゃない。お前の想い人が作った方だよ。……おいおい、貴族様がそんな露骨に嫌な顔すんなよ」
とうとう隊長まで言い出した、とジルベルトは嘆息した。
最近は遠征の度に誰かしらそう言ってきては断ってきたが、隊長にまで言われるとは思わなかった。
「…………どうぞ」
1番小さい上級回復薬を渡そうとしたのに、横から1番大きな5回用の薬を奪われた。阻止できる余裕なんてない程素早く。一纏めにしておいたのが拙かった。これからは分散しよう、とジルベルトは諦めながら心に決めた。
「おーし、欲しい奴はコップ持って並べー! 金も払えよ!」
「おいアルノール、お前まで並ぶ必要ないだろう」
「いやだって、シュリアちゃんがお前の為だけに作ったやつ、俺も飲ませてもらってないし」
そう。俺の為だけに作ってくれた薬なのに。だから誰にもあげたくなかったのに。ジルベルトは忌々しい目でアルノールを睨んだ。
結局列にはジルベルト以外の全員が並び、一舐め程しか飲めなかったというのに大絶賛だった。隊長と副隊長は真剣に隊での購入について話し合いだし、ジルベルトは複雑な気分になったのだった。
無事に遠征から帰って、やっと明日会えると思っていた月曜日の夕方。シュリアからの手紙を受け取って、ジルベルトは明らかに落胆した。彼女からの初めての手紙が、まさか断りの手紙だなんて。
けれど同時に違和感を感じた。その短い文を何度も読んで、いよいよその思いは強くなった。
何もなければそれでいいと、翌日ジルベルトは昼前にシュリアの家へと向かった。城門を出ればいつも魔狼になる。その方が早いからだ。
『待て! オマエ、聞きたいコト、アル!』
湖に着いたところで、いつもとは違う様子のオリーブが待ち構えるようにして立っていた。その声は完全に怒気を含んでおり、驚いて駆け寄った。
昨日の違和感が思い出されて不安が過ぎる。
『どうした? シュリアに何かあったのか?』
『オマエ、何シタ! シュリア、泣いてタ!』
『泣いてた? 何があった!!』
『オマエ、ホントに、知らないカ?』
訝しんだオリーブ色の瞳に、確信を込めて頷く。
知りたい。貸主に裏切られたと分かった時でさえ泣かなかった彼女が泣いた原因を。そしてできるなら、それを自分が取り除いてやりたい。
『あの女、オマエ、名前、言ってタ』
『あの女? 俺の名前?』
『髪、キンイロ! 魔白兔、着てタ。シュリア、泣かセタ!』
『落ち着け。他には? もう少し何かないか?』
『来い! 女、ニオイ、まだクサイ!』
勢い良く飛んだオリーブについていきながら、心当たりを考える。魔白兔ということはかなり上等な毛皮を着られる身分、つまり貴族か?金髪の貴族の女で、匂い…香水がキツい、なんて山程いる。
『もう少し何かヒントになりそうなこと覚えてないか?』
『ココ! ニオイ、まだスル!』
魔獣は鼻が利くものも多く、魔狼も例外ではない。オリーブが示した場所は門から玄関までの小道で、確かに甘ったるい香水の匂いが残っていた。
ジルベルトは、不意に胸騒ぎを感じた。
『思い出しタ。女、言った』
『何て言ってた?』
『コンヤクシャ、言った。オマエの』
身体に稲妻が落ちたかのような衝撃が走った。心当たりは1人しかいない。3年前に向こうから婚約希望を出してきたにも拘らず、向こうから取り消してきた上に、その後も忘れた頃に何度も打診してくる相手だ。
同時にシュリアの手紙の違和感の正体が分かった。敬語だ。自分が貴族だと分かった時と同じ、他人行儀な敬語が引っかかったのだ。
自分に婚約者がいると嘘を聞いて、彼女は衝撃を受けたのだ。
だから泣いて――……?
『…オイ、何でテレル』
『いや、悪い。ちょっと待ってくれ』
『シュリア、泣いた! テレル、おかしい。コンヤクシャって、ナンダ!』
『分かってる。すまない。だが…その…それは…』
だから、泣いた?それはつまり…いや待て、落ち着け。そうだ、怒るなら分かる。婚約者のいる奴の行動ではないと呆れ、憤慨するのなら。
それが、泣くだなんて。それじゃあまるで、俺に婚約者がいることがショックで泣いたみたいじゃないか。
勘違いしてもいいのだろうか。シュリアも、自分を意識してくれていると。
『オイ! 今、ニヤニヤ、してル!』
『ちょっ! 痛っ! 突付くな! 誰の仕業か多分分かったから!』
『ホントか!? 俺、復讐スル! 許さナイ!!』
『まず俺が確かめてくる。もう暫く待ってくれるか?』
『…早くシロ。待つ、キライ!』
気を抜かなくても緩んでいる顔をなるべく引き締め、納得しきってはいないオリーブを宥める。
明日からはまた遠征だ。今日中に誤解を解きたかったジルベルトだが、アルノールから急遽呼び戻されたことにより、それは叶わなかった。




