19.新年
翌日の火曜日、シュリアはマーケットのソロスペースにいた。
思い出しては痛む胸を直視しないように、出来るだけ忙しく過ごした。積極的に声を掛け、客がいなければ研究案をメモして考えた。
昨日の夕方、シュリアはジルベルトに手紙を書いた。出来るだけ簡潔にと、『明日都合が悪くなりました。ごめんなさい』これだけ書くのに10枚以上書き損じた。
もうすぐ新年だ。
今年は父も31日の夜に帰ってきて、1日にまた王宮に戻る予定だとかなり前に手紙を貰った。新年最初の日は、別名"家族の日"。ほぼ全ての店が休みになり、普段休むことの出来ない王宮や騎士も前後合わせて3日の内に1日は必ず休まなければならないらしい。
ジルベルトはもう何年も実家のある領地に帰っていないと言っていた。新年も騎士団の宿舎で過ごすのだろうか。
そこまで考えて、シュリアは頭を振った。気付けばすぐ彼のことを思い浮かべるようになったのは、一体いつからだろう。本当は自分の気持ちを分かっている。ただ、認めたくないだけで。
以前と少し味の違うハーブ水。多めに作るようになった作り置き。すぐに視界に入るようになった青い薔薇。毎日つけている帳簿でさえも。
全て彼を思い出す。彼に繋がっている。
初めてジルに会ってから、もうすぐ4ヶ月。
最後に会った日から、2週間。
会いたい。
会いたくない。
会いたい。
会いたくない。
「シュリア痩せたか? 面白い研究でもしてるのか?」
久しぶりに会った父は相変わらずだった。すぐに薬関係に結び付けるところが父らしい。白髪の混じった茶色いボサボサの髪と、1週間は剃っていないであろう無精髭。青白い顔と新緑色の瞳は、シュリアがしっかりと受け継いだ。
「研究は色々してるよ。時間が足りないくらい」
「ほう。あとで研究ノートを見てもいいか? 屋台はどうだ? あれから順調か?」
「ノートはいつもの所に置いてあるよ。ソロスペースになってから順調。味付けた回復薬がよく売れるんだけど…」
親子揃ってリビングにいたのは一瞬。すぐに隣の研究室に引っ込むと、シュリアが売っている薬や研究ノートのこと、父の研究についてばかりを話し込んだ。きっとこの場に母がいたら、呆れながらも笑うだろう。
父との話はいつも薬に関することばかりだ。
父の専門は薬草の性質についてだ。成長具合で効果は変わるのか、乾燥させれば、煮れば、焼けば、粉にすれば――。それに対して、シュリアの興味は治療薬のみだ。それを知っている父は、治療薬に役に立ちそうな薬草についてあれこれ教示してくれる。そうしている内に2人とも居ても立ってもいられなくなって、結局研究し出すのだ。
時間も忘れ、いつの間にか新年の朝を迎えた。
研究室の机に突っ伏して眠るシュリアに、父バルガーは毛布を掛けた。相変わらず自分と同じ研究馬鹿の娘を優しい眼差しで見つめながら。そしてシュリアの研究レポートをもう一度じっくり眺めた。
「また、魔獣の友達が出来たのか」
苦笑しながらレポートを読む。しかも普通の魔獣ではなく、従魔のようだ。シュリアは昔から普通の動物よりも魔獣に懐かれ易かった。最初の頃は心配したが、なぜか1匹としてシュリアに殺意を向けたことはなく、またシュリアは知らないが上級冒険者の妻ユッタは従獣でもあるので、こっそり妻がその都度直接話をして大丈夫だと判断した。ユッタから魔獣についての知識を徹底的に詰め込まれたこともあって、彼は静観することにしている。娘の薬を解析させたこともあったが、高品質なこと以外は特筆することは何もなかった。高品質なものを作れる薬師は珍しくはない。
それにこの子の良さはそこではない。生きた薬草もしくは朽ちたばかりの薬草の力量を正確に見分け、組み合わせ、"相乗効果"を引き出せることだ。シュリアが作れば、普通はA+B=2になるものが4にも5にもなる。そしてアレンジもお手の物、味を変えられるなんて中々凄いことだ。
しかしそれは同時に弱点でもある。朽ちて時間が経ったものには通用しないのだ。以前大金を叩いて竜骨などの超高級素材を掻き集め、超高品質の回復薬を作らせたところ、何の変哲もない普通の超高品質回復薬になっただけだった。
だからこの子の良さを活かせるのは自然がすぐ近くにある場所だ。本人には言えないが、王宮研究所の就職に落ちて良かったとさえ思っている。
バルガーはシュリアが破棄する予定だと言っていた上級回復薬を手に取る。ラベルには『柑橘風味』と書かれている。栓を抜くと封蠟がぐにゃりと伸び、開けたことがすぐに分かるようになっていた。
「おお、美味い。腕を上げたな」
苦味がほとんどないどころか、後を引く美味さだ。売れる理由もよく分かる。
シュリアの柔らかい髪を撫でる。
この子にはこのまま、ここで自由に好きなことをして欲しい。ここなら1人で住んでいても安心だ。直接姿を見せる見せない関係なく、この森にはシュリアと友達になった魔獣が沢山いる。その才能を活かそうと冒険者にしたがった妻と数え切れないほど喧嘩をし、その度にシュリアが「仲直りの薬」という名のおやつを持ってきてくれたことを思い出す。
次に妻が帰ってくる頃には、無理矢理にでも休みを取ろう。そして3人でおやつを囲もう。
穏やかな寝顔に目を細めながらバルガーは心に決め、シュリアの研究ノートを手に取った。
シュリアが目を覚ますと父の姿はもうなく、付箋が貼られた研究ノートの上に手紙が置いてあるだけだった。
シュリアは少しの寂しさを感じながら手紙を開く。いつまでも変わらない右上がりの癖字に笑みが零れた。研究ノートを開くと、同じ癖字で書かれた付箋が沢山貼られている。帰ってくる度に、こうして付箋に父の考えを書いておいてくれる。照れくさいのか、それはいつも父が帰った後に発見されるようになっていた。
明日からまた頑張ろう。シュリアはメモをひとつひとつ丁寧に見てから大きく伸びをした。
あの貴族令嬢が来てから1週間経ち、シュリアは少し冷静に考えられるようになってきていた。
1番の変化は、ジルベルトに直接聞こうと決めたことだ。
やっぱりどうしても信じられなかった。どうしても彼が、婚約者に誤解を招くようなことをする人に思えないのだ。
万が一そんな人だったら、あの令嬢が言うように独身中のおいたなら、きっぱりともうここには来ないで欲しいと言うと決めた。
そんな決意を後押しするように、昼過ぎにジルベルトから手紙が届いた。
まず新年の挨拶がきちんと書かれてあるのが真面目な彼らしい。そういえば父とはそんな挨拶すらしなかった。
『新年おめでとう。シュリアにとって良い年になることを祈っている。
次の火曜日、もし良かったら出かけないか? 返事をくれると嬉しい。 ジルベルト』
手紙を見ても、シュリアは素直に喜べなかった。
この日が、彼と会う最後の日になるかもしれないのだから。




