16.女神祭1
明日からの女神祭に向けて、シュリアは早めに店仕舞いをしていた。念の為商品は全て引き上げ、屋根部分は届かなかったのでそのままだが、台の飾りも外した。ケイトに初めてこの飾り付けを見せた時、彼女はかなり興奮しながら褒めてくれた。顔が見えなくなる程たくさんの造花を持ってきてくれたジルベルトを思い出して、シュリアは笑みを零した。
お祭りの露店は申し込まなかったので、シュリアは2日間の休みだ。その間ひたすら研究に没頭するつもりだ。
ただ、ケイトのいる劇団は毎年イベント露店で薔薇がモチーフの小道具を売り出しており、ケイトも売り子をするから遊びに来て欲しいと手紙が来ていた。息抜きに差し入れを持って行くつもりだ。
この女神祭は、ここイグアス国の国教である女神信仰の女神様の生誕を祝うお祭りだ。
イグアス国創世記によると、遥か昔、各国戦争を繰り返し戦勝国も戦敗国も疲弊していた頃、魔獣の大発生に見舞われた。戦争によるダメージから国どころか人類の危機に陥った時、女神様の出現により世界は救われた。その後、女神に認められた王によってイグアス国が出来たと言われている。
女神様が好きだったと言われる薔薇がいたる所に飾られ、国全体で女神様に感謝を捧げ、国の平和と反映を願う。
この2日間にメインストリートに近付くと、色とりどりの薔薇の造花を持った人が何人もおり、道行く人にその人の瞳と同じ色の薔薇を手渡していく。貰った人は、恋人募集中ならその薔薇を見える所に着ける。恋人がいる人や一緒に来ている人は、その人と薔薇を交換する。家族や瞳の色が同じカップルの場合は、その薔薇にお揃いのリボンなどの装飾を着けるのが一般的だ。
どの祭典も、家族や恋人との親睦を深めるものであり、パートナーを探す場でもあるのだ。
高等学校時代、ケイトを含むクラスメイト3人と一緒に軽い気持ちで参加したところ、大変な目に遭った。"パートナー募集中"であれば、男女問わず異性に声をかけまくる輩がかなりいるのだ。自分たちもしつこく声をかけられたし、かけているのも何度も目撃した。慌てて全員で薔薇を交換したことを思い出した。
15日の朝からシュリアは差し入れ用のクッキーを作ってから、研究に取り組んでいた。元々は、シュリアと同じく研究に没頭したら食事を忘れる父の為に練習に練習を重ねたクッキーだったが、いつの間にかケイトの好物にもなっていたものだ。彼女の好きなナッツをふんだんに使った厚めのクッキーの他にも、プレーンやチョコレートなど数種類用意した。オレンジピールを使ったものは多めに作ってある。シュリアは無意識に、形の綺麗なものばかりを選んで容器に入れていた。
行き詰ったところで一休みし、お昼にしようとキッチンへ向かった。窓の向こうでは朝からちらちらと降る雪の下にオリーブと…魔犬のジルが見えた。シュリアは驚いてすぐに玄関に向かった。従魔だと知ってから、彼は一度も魔犬の姿で現れたことはなかったというのに。
口元が少し緩んでいることに、彼女自身は気付いていない。
「こんにちは、ジルさん。その姿久しぶりだね」
ジルと一緒にいたオリーブは、シュリアを見るなり腕の中に飛び込んできた。そうしてすりすりと大きな体を擦りつけると、満足したと言わんばかりに煙突の横へと飛んで行った。毎年冬になると、その場所がオリーブのベストポジションになる。
「寒くない? オリーブへの用が終わったなら入る?」
少しの間があったものの、ジルは頷いてシュリアの後に続いた。部屋に入るなり変身を解いた彼は、少し気恥ずかしそうにシュリアに許可を得ると、手を洗いに行った。部屋中に漂う甘い香りに、少しだけ暗い気持ちになりながら。
「忙しかったか? いつも急ですまない…」
「ううん、大丈夫。ジルさんは休み?」
「いや、昼まで任務だった。その、オリーブの野暮用が済んだらすぐ帰るつもりだったんだ」
「あ、ごめん! 引き止めちゃって!」
「い、いやそうじゃなくて、今日は女神祭だろう?シュリアも参加してるかもしれないと…」
シュリアが慌てて謝ると、歯切れの悪いジルベルトがそれ以上に狼狽え、段々と小さくなる声で否定した。彼女が夕方頃行くつもりだったというと、彼は顔には出さずに動揺した。
「友達が露店で売り子してるから、差し入れついでにご飯でも買って帰ろうかなって」
「まさかとは思うが、1人でじゃないよな?」
「え、1人でだよ」
今度こそ彼は顔に出して動揺した。そんな彼を見て、何が悪いか分からないシュリアも目を白黒させた。
ジルベルトは気合を入れるかのように息を深く吸い込むと、頭の中を忙しく回転させながら言葉を選んだ。手にはじっとりと汗をかいている。
「……シュリア。その、お昼はもう食べたか?」
「ううん。ずっと研究してたからまだ」
「もし、本当にもし良かったら、その……今から一緒に行かないか?」
「え、いいの? 私は助かるけど」
シュリアのあっさりとした承諾に、ジルベルトは拍子抜けを通り越して眩暈を起こす勢いだった。ぎゅうぎゅうに絞り出した勇気はなんだったのかと思う程に。
その次に来た感情は、一緒に行ける嬉しさと、意識されていない苦しさだった。
急いで準備してくる!と背を向ける彼女を見て、ジルベルトは1人苦笑を零した。
女神祭はシュリアが想像していた以上に人で溢れていた。2人とも例に漏れず造花の薔薇を渡され、あまり目立たないように腰に着けた。着けなければ着けないで、色んな所で何度も造花を渡されそうになったからだ。
まずは目当てのケイトの露店へと向かう。途中何度か声を掛けられたが、ジルベルトが横にいると分かると、皆一様に「頑張れよ」と彼の肩を叩いて去っていった。その意味を、シュリアはまだ分かっていなかった。
「ケイト!」
「シュリア! 来てくれてありがとう! クッキーだと嬉しいわ!」
「あはは、ちゃんと持ってきたよ。皆で食べてね。ケイト、この人が前話したジルさん」
自己紹介をしているジルベルトを見て、彼が貴族であることを久しぶりに思い出した。綺麗な仕草で挨拶をする姿を見て、シュリアは少し彼を遠くに感じた。
もう少しケイトと話したかったが、劇団のファンらしき団体が来た為に早々に店を後にする。
「そういえばジルさんはもうお昼食べた?」
「いや、まだだ。露店で何か食べようか。寒さは大丈夫か?」
「大丈夫! ジルさん食べたいものある?」
あれもそれも美味しそうと盛り上がった2人は、結局いくつかシェアすることで落ち着いた。各自食べたいものを買って、休憩所前で待ち合わせることにした。
シュリアは何度かナンパに遭いながらも目当てのフライドチキンを買い、その次に魚介の串焼きを買った。味付けがレモンバジルだったので、ジルベルトが気に入ってくれたら嬉しいと思いながら待ち合わせ場所へと急いだ。
「なぁ、1人だろ。奢るから一緒に食べようぜ」
「待ち合わせしてるんで、結構です」
「その子も一緒でいいからさ。何食べたい? てか名前は?」
「間に合ってます」
今日1番のしつこいナンパに辟易しながら、待ち合わせ場所目前まで来た。
けれどジルベルトの姿を見て、足を止めた。数人の女性に囲まれて声をかけられている。彼は素っ気なくあしらっている様だが、彼女たちは構わず熱視線を送っているのがここからでも分かった。しかも美人揃いだ。
「友達どこ? その子も誰かに着いてったんじゃない? 俺らも遊ぼうぜ。な?」
ナンパの声を遠くに聞きながら、彼から視線を外した。
どうやってジルベルトに声をかけよう。
ふと落とした視線を自分の服に向ける。もう少しお洒落すれば良かった。自分じゃ、彼の横には合わないんじゃないか――…
シュリアは下唇を無意識に噛んだ。
ジルベルトが格好良いことは分かっていたことだ。モテるであろうことも想像がつく。
なのにどうして、こんなに胸がざわつくのだろうか。




