15.恋の苦しさ
その場で試飲が功を奏したのか、買ってくれるお客さんが増えた。
ケイトやジルベルトが紹介してくれたらしいお客さんが購入してくれることもあり、シュリアのソロスペースは順調に売上を伸ばしていた。価格も相場に合わせる代わりに、纏め買いや、使い終わった空瓶を持ち込めば割引くことにした。この空瓶回収は思ったよりも反響が大きく、慌てて買った本数以上の回収は受け付けないことに訂正したほどだった。ヒビなどないかはその場で確認し、新たに購入するより安く買い取るために、薬の原価もぐっと抑えられて経済的になり、利益率も上がるという良いサイクルになっている。
最近のシュリアは、専ら回復薬の形状を変える研究に没頭している。
「研究は捗ってるか?」
「1つだけ試作品が出来たんだけど、またジルさん使ってくれる?」
「勿論。代金を払ってでも使わせて欲しい」
「代金はいらないから、感想よろしく! いつも実験台になってくれてありがとう」
火曜日の昼。休みが合えば、ジルベルトはこうやって昼食を持ってきてくれる。研究に没頭してしまうと昼食を忘れることも多いとうっかり漏らしてしまったところ、気遣って差し入れてくれるようになった。
ステーキサンドが特段好物でないとジルベルトが知ったのは、つい最近のことだった。それまでは毎回色んな店のステーキサンドだったので、シュリアの方もジルベルトの好物かと思い込んでいた。お互いに勘違いだと分かった時は、2人して大笑いしたものだ。
「これは?」
「軟膏の回復薬。蜜蠟から思い付いたんだけど、小さい傷には直接塗って、大きい傷には湿布みたいにしたらどうかなって」
「それならこの容器よりチューブにするのはどうだ?」
「なるほど…確かに。ちょっと今から空のチューブ買ってくる!」
「ちょっと待ってシュリア! とりあえず昼にしないか? そのあと買いに行こう」
そうだった。折角持って来てくれたのに忘れるところだった。
今日持ってきてくれたのはフィッシュバーガー。シュリアが作るハーブ水は、最近ジルベルトの好みの柑橘系の味になっている。
シュリアは再びお礼を言ってからかぶりついた。臭みやパサつきは全くなく、魚なのにジューシーだから凄い。半分程食べると、シュリアは自家製のハーブソースをかけて食べた。ジルベルトは文句を言うどころか同じ様に試し、それを見てシュリアは嬉しくなった。
昔こうやってアレンジして怒られたことがあるのだ。
「これも売れそうなくらい美味い」
「良かった。これはひいおばあちゃんが遺してくれたレシピなんだ」
「あの花と同じ名前の?」
「そう。ひいおばあちゃんは魔力がなかったらしくて、漢方薬専門だったんだけど、料理が趣味だったんだって」
他愛ない話はいつも尽きない。
こうしてちょくちょく来ては話し相手になってくれたり、アドバイスをしてくれたり、時には優しく諫めてくれるジルベルトにシュリアはとても感謝して頼りにしていた。ケイトやオリーブと同じ様に、なくてはならない大切な人の1人になるのにそう時間はかからなかった。
「そう言えばアルノールが感激してたよ。シュリアの作った紅茶風味の回復薬」
「良かった! ソロスペースにも置いてみようかな」
「ああ、それが良いと思う」
乗り合い馬車に揺られながら、ジルベルトは顔には出さずに浮かれていた。初めて2人で出掛けるなんて、まるでデートだ、と。例え、その行き先が容器専門店だとしても。例え、彼女にはそんな気配が全くなかったとしても。
アルノールで思い出したが、ジルベルトはシュリアに彼をどう思うか恐る恐る聞いたことがあった。それに対する彼女の答えはこうだった。
「空飛べるっていいよね。魔梟だからやっぱり口から攻撃するの?そういえば虫とか食べるのかな?」
見事に魔梟に関することのみであった。
気を良くしたジルベルトは、友人の名誉の為に虫は食べないことだけは伝えた。
「あ〜寒い〜! ジルさんはいつも平気そうだよね…」
「毎日外で鍛えてるからな。シュリアは販売中辛くないのか?」
「テントがあるからマシだけど、やっぱり辛いよ。保温性の高い水筒、コーヒー入れとくのに買おうか迷ってる」
馬車を降りた瞬間、寒さに少し背中を丸めたシュリア。12月になってから飾り付けてある店がどんどん増えている。
来週の12月15日と16日は4大祭典の1つ、女神祭の日だ。
春の花祭り、夏の建国祭、秋の収穫祭、そして冬の女神祭。どの祭典でも飲食店以外の多くの店が休みになる代わりに、マーケット前の交差するメインストリートに露店が並ぶのだ。マーケットは軒並み休みになり、屋台は端に移動し休憩所替わりになる。
ジルベルトの所属する第5騎士団は、15日の午後のみ休みだと団長から発表されたばかりだ。発表されてからというもの、ジルベルトはシュリアをどうやって誘おうかと頭を悩ませ続けている。
お目当ての容器専門店は、生活用品マーケットのすぐ西側にあるらしい。そこに向かう途中、彼は何度も女神祭の話を振ろうとしては撃沈していた。
シュリアの買い物はとても早く、女性は買い物が長いと思っていたジルベルトはとても驚いた。シュリアは空のチューブを見つけると、数種類全ての形と値段をメモし、その中から3つ選んで購入した。その際に纏め買い価格と納期を確認し、それもまたメモしていた。
「付き合わせてごめんね」
「俺がついてきたかっただけだから、気にするな。さっき言ってた水筒、生活用品マーケットに見に行くか?」
「え、いいの?」
「俺も丁度遠征用の革袋が欲しかったんだ」
「良かった! それなら早速行こう!」
嬉しそうに笑うシュリアを見て、ジルベルトは満たされていくような気持ちになった。寒さなんて、彼女といたら感じない。驚くことに騎士団での鍛錬も任務も、今まで以上に熱が入っている。
彼はとても浮かれていた。
生活用品マーケットに着くと、先に見つけたのは水筒を売っている屋台だった。一緒に見ようかとも思ったが、「買い終わったらそっちに行くよ」と先に言われてしまい、結局自分の買い物が終わり次第ここに戻ってくると言ってしまった。
後で悔やむことになるとも知らずに。
ジルベルトは今までで一番早く買い物を終えると、シュリアがいる屋台へと急いでいた。自然と速足になる自分に、自分がこんな男だったとは、と少しだけ苦笑しながら。屋台の前に袋を下げたシュリアが見え、声を掛けようとしてそのまま固まった。
彼女が自分の知らない男性と話していたからだ。それも、認めたくないことに自分に向けるのと同じような笑顔で。
ジルベルトは足に根が生えたかのように、その場で動けなくなった。
喉がカラカラに乾いて声が出ない。
シュリアと男性はすぐに笑顔で手を振り別れた。そしてすぐにジルベルトに気付くと、笑顔を見せた。そうして漸く動ける様になったジルベルトだが、どくんどくんと重く響く心臓が苦しくなっていくのを感じた。
彼は固唾を呑みながら逡巡する。
さっきの男は誰だと聞いてもいいのだろうか。
恋人だったら?
片想いの相手だったら?
只の知り合い?
買ったらしき水筒はあいつが選んだのか?
そもそも、聞く権利が自分にはあるのか…?
「さっき高等学校のクラスメイトに会ったんだ」
「…っ! そう、なのか」
「王宮の研究所で働いてるんだって。ジルさんとすれ違ったことあるかもしれないね」
「あぁ…」
「どうかした? ジルさん?」
心配そうに覗き込むシュリアから視線を逸らしてしまった。
聞きたい。
聞きたくない。
苦しい。
こんな気持ちになったのは、初めてだった。
「しんどい? ソロスペースから回復薬取ってこようか?」
「……恋人じゃ、ないのか?」
「え?」
「いや、何でもな――…」
「まさか! いたら家にずっと籠もってないよ。そんなことよりどこか温かいお店に入ろ。すぐに回復薬取ってくるから。顔色悪いよ」
シュリアがジルベルトの腕を引いてゆっくりと歩き出す。
触れられたところが熱い。真剣な顔で心配している彼女に誘導されるがまま、ジルベルトは少し軽くなった足を動かした。
彼女が、自分の心配をしてくれてる。
そう分かっただけで、また苦しくなった。けれどそれはさっきとは違う、幸せな苦しさだった。




