14.前書きだけで充分
「今日も恩人ちゃんのとこ行ってたのか?」
「ああ」
「で、どこまで進んだんだ?健気なワンちゃん」
少し呆れながらもからかう様に尋ねるアルノールに、ジルベルトは至極真面目な顔をして答えた。どこまで、と聞かれてジルベルトは首を捻る。
4日に一度は彼女の元に足を運ぶが、マーケットも少しずつ売れているらしい。そのことはアルノールには既に報告済だ。
「ああ、俺用に回復薬を作ってくれる話か? それはまだだ」
「それじゃない。そんなの心底どうでもいい。お前と恩人ちゃんの仲の話だよ」
「仲? 良いと思うが?」
そういえば魔犬ではなく魔狼だとまだ訂正していなかったことを思い出した。けれど最近は正直些細な問題だと思っている。
「…やっぱりお前、自分が彼女に恋してるって気付いてないのか?」
「は? 恋?」
「そう」
「俺が? 彼女に?」
貴族の恋しかしたことがないジルベルトには、彼の言っている意味がよく分からなかった。確かに彼女のことは気に掛けてはいる。恩人だし、回復薬のファンだし、何より危なっかしくて心配なのだ。恋というより親鳥の心境だと思う。
貴族はほとんどが政略結婚だ。許婚を決められ、好きになれる様に努力する。そうして情が湧いていく。それが貴族の恋だとジルベルトは思っていた。
「従魔だとバレても態度を変えない相手なんて貴重だぞ。別に好きになっても可笑しくない」
「それは安堵したし嬉しかった」
「…彼女ともっと一緒にいたいとは思わないか?」
「確かにそうだな。それは思う。彼女は真面目で素直だから、一緒にいて楽しい」
「……彼女の笑顔をもっと見たいとは?」
「それは、まぁ…誰でも笑ってる方がいいだろう?」
大袈裟に溜息をつくアルノールに、何が言いたいんだと険しい顔をしてもどこ吹く風だ。むしろ益々呆れた感じさえある。
ダメ押しの様にもう一度大きな溜息をつくと、彼は1冊の本を投げて寄越した。背表紙には『王宮図書館』と書いてある。くるりと表紙を向けると『恋とは』と大々的にタイトルが書かれていた。
ジルベルトは思わず眉をひそめた。
「どうせ俺の話だけだと認めないと思って」
「用意周到だな。これを読めと?」
「まぁ、騙されたと思って読んでみろよ。すぐに読める」
お前も読んだのか、と心の中で突っ込んだ。どんな顔して借りたのかと考えたが、王族の彼なら誰にでも頼めるだろう。
ペラペラと捲ると、確かに文字は大きくてイラストも多いため、すぐに読み終わりそうではあった。真面目に前書きから眺めていく。
『相手のことが気になって頭から離れない――そんな経験はありませんか?
相手の笑顔、喜んだ顔を見たい。相手の役に立ちたい。良いところを見せたい。相手のことをもっと知りたい。
そう思うことは友人に対してでもあるかもしれません。
でももし貴方が、落ち込んだ顔も泣いた顔も、「もっと見たい」と思うのなら。その相手と一緒にいてドキドキするなら。他の異性と話しているのを見て、いいえ、想像するだけでモヤモヤとした気持ちになるのなら。自分だけが知りたい。相手に触れたい。でも誰にも触れられて欲しくない。
そう思うのなら、それは間違いなく“恋”です。
この本では『第1章 落ちかけ』、『第2章 落ちている最中』、『第3章 落ち切った後』の3部構成で貴方の今の恋の状態をお教えします――』
ジルベルトはそっと本を閉じ、アルノールに返した。
「……俺が間違っていた」
「だろ?」
したり顔のアルノールを無視し、ジルベルトは自分のベッドに倒れこんだ。
恋、なのか。そうなのかもしれない。
最初は、確かに笑顔が見られたらそれで良かった。彼女の役に立てて、彼女が嬉しそうにしてくれたらそれで。
それが今はどうだ。
落ち込んだ姿を見て力になりたいと思う反面、自分にそんな姿を見せてくれたことに喜び、自分だけを頼りにして欲しいと思っている。確認したことはなかったが、もし彼女に恋人がいたら――考えただけで心がざわざわと苦しくなる。彼女の髪に触れた時の感触が忘れられない。会計について教えている時の彼女の真剣な眼差しも、薬を作る時の手つきも、ふと香る彼女の香りも…思い出すだけでも心臓が煩くなるのだ。その癖すぐにもう一度、もう一度と熱望しそうになる。
冷静に考えなくても、確かにこれは恋だ。
「俺に会わせようとしない時点で恋だと思うけどな」
そう言われてアルノールを睨むと、そうだろと言わんばかりに眉を上げた。けれど、彼の言う通りだった。何度も「俺も恩人ちゃんに会いたい」というアルノールの主張を拒否し続けている。
アルノールだけではない。ジルベルトの兄2人でも同じことが言えるのだが、彼らに自分の許婚候補になって情が湧いた女性を紹介すると、漏れなく心変わりされてきた。彼らは顔が恐ろしく良いだけでなく、歯の浮く様な台詞もお手の物の女性の扱いに慣れた一流貴族だ。その上自分にはない肩書きだってある。酷い時には彼らに会う為の布石扱いだったことさえあるジルベルトは、正直もう恋愛をすることを諦めていた。その内どこかに婿入りさせられるより、騎士として1人生きていく方が自分には合っていると。事実、この数年は婚約者はおろか恋人すらいない。
そんなこともあって、なるべく彼女を彼らに会わせる様なことはしたくなかった。例え彼女は違うんじゃないかと期待していたとしても、だ。
「傷は浅い方が良いんじゃないか?」
「どういう意味だ?」
「深入りする前に、そんな女か見極められるだろってこと。俺に会えばさ」
ジルベルトは黙った。確かにと思う自分と、彼女を試す様なことはしたくないと思う自分がいる。上手く返事ができずにいると、アルノールは強引に次こそ付いていくと息巻いていた。
シュリアのマーケットは火曜日が休みだ。休みなしで働くという彼女を説得し、定休日を設けさせたのだ。あとで契約書を読むと、週に1日は休むか代役を立てると明記されていたらしいが。
そんな訳で無事休みをもぎ取った火曜日、ジルベルトは久しぶりにシュリアの家を訪れた。不本意ながらアルノールを引き連れて。行く直前まで行く来るなの攻防があったのだが、結局じゃんけんでジルベルトが負けた。
「え! あの時の魔梟!?」
「そう。あの時はありがとね〜シュリアちゃん」
突然連れてきた、家名も告げない馴れ馴れしいアルノールの訪問を、驚きつつもシュリアは目を輝かせて受け入れた。それを見たジルベルトは心がずんと重くなるのを感じた。
コーヒーを持ってきたシュリアの手に、見慣れたレポート用紙が握られているのを見るまでは。
「もし良かったら、あの時の感想を教えて下さい!」
シュリアの少しギラギラした瞳を見て、アルノールが大笑いをしながら「良かったな、ジルベルト」と背中を叩いた。きょとんとしたシュリアを見て、ジルベルトは頬が緩むのが分かった。彼が大丈夫だと言うのなら大丈夫だ。彼女から紙とペンを受け取り、アルノールに押し付けた。
「こいつレポート得意だから、きっと細かく書いてくれるよ」
「よろしくお願いします、アルノールさん!」
期待に満ちた瞳を向けられたアルノールは苦笑しながらもレポート用紙を捲る。段々と固まる顔を見て、気持ちは分かるが放置した。
自覚したからには、シュリアの視線の先には自分だけが映っていて欲しい。少しの仕草や癖でもいいから彼女のことを知りたい。その笑顔は自分にだけ向けて欲しい。
「ジルさん用の回復薬、いくつか作ってみたんだけど…」
「何か問題あったのか?」
「ううん、その…できたら魔獣になっても飲んで欲しいんだけど、難しいかな?」
「いや、大丈夫だ。一口飲んでから変身すればいいか?」
シュリアは嬉しそうに音が聞こえそうな勢いで頷いた。ジルベルトもそれを見て顔を崩した。彼女が嬉しいと自分もこんなに嬉しいなんて。アルノールに「にやけすぎ」と苦笑されようがどうでもいい。
これが恋だと自覚して良かった。
シュリアの為に何かしたい。
傍にいたい。
ずっと笑顔でいて欲しい。
そう思うだけで、こんなにも幸せな力が湧いてくるなんて。
初めて自分から恋をしたジルベルトは、恋をしている最中も苦しいものだとまだ知らなかった。




