12.改めて
翌朝、シュリアはまだ頭を抱えていた。昨日のこと、これからのことを考えると頭痛と胃痛がする。
まさかあのジルが従魔だったなんて。その上騎士だったなんて。ということは、あの時の魔梟と魔熊も騎士の可能性がある。王都にいる騎士には貴族出身者も多いと聞く。もしかしたら、庶民の自分がおいそれと話しかけていい存在ではなかったのではないか。知らなかったとは言えそんな人に荷物を運んで貰ったり、あまつさえ誰かのペット扱いしていたなんて。
そんな時に配達員から手紙を受け取った。急ぎらしく、その場で確認して返事が欲しいという。表面には自分のフルネームがあり、裏返すと立派な封蠟が目に入って思わず手が震えた。こんなに精巧で立派な封蠟は、確実に庶民では見ない代物だ。その右下に『ジルベルト・グランヴィス』と書かれている。
まさか。
血の気の下がる思いをしながらも、シュリアは慎重に封を開けた。
そこには直接行きたかったが任務のために手紙になったという詫びと、もし夕方貸主に話をしに行くのが不安ならついていこうかという気遣いの手紙だった。
正直腰が抜けるかと思った。不敬罪で訴えられたり抗議の手紙だったらどうしようかと考えたからだ。
返事を手紙にした方がいいのか迷ったが、配達員があまりにも急かすので、結局感謝と遠慮の気持ちを口頭で伝えるにとどまった。
配達員が慌ただしく去ったあと、シュリアはもう一度手紙をじっくり見た。少し癖のある、真面目さが窺える綺麗な男性の字だ。封蠟の紋章を観察して、念のため冠がないか確認した。イグアス国では、紋章は盾の形の中は自由に決められるが、その上に冠を乗せられるのは貴族か聖職者のみだ。どうやら冠はなさそうではあるが、彼自身に爵位がなくともまだ後を継いでいない可能性だって捨てきれない。貴族に縁のないシュリアでも、グランヴィスという家名には見覚えがあるのだ。思い出したくないことに、それは歴史の教科書で…
どちらにしろ、シュリアは断って良かったと改めて思った。最初は返事を手紙でも書こうかと思っていたが、恐れ多くなって止めた。
勝手に魔犬のジルと友達になったと思っていたが、違ったのかもしれない。そう思うと、シュリアは悲しくなった。知り合ってからまだ短いが、オリーブと同じくらいに一緒にいるのが心地良い相手だったからだ。
もうここには来てくれないのだろうか。貴族の“お戯れ”であれば、そうなのだろう。シュリアは肩を落とし、溜息をついた。同時にシュリアはこの問題について、もう考えることを止めた。自分ではもうどうしようもないことだと気付いたからだ。
となると、考えることはホーリーのことだ。
見てしまった以上、このまま続けるつもりはない。問題は理由を話すかどうかだ。今までの恩もある。ホーリーにも理由があるのなら話し合うべきなのか。いや、聞いたところでどうする。堂々巡りだった。
1番嫌なのは、しらばっくれられてシュリア自身が流されてしまうことだった。それだけはどうしても避けたい。適当な上手い言い訳を付けようかとも思ったが、冒険者用マーケットでこれからも会う可能性を考えると名案だとは思えない。結局は「自分だけでしたい」で押し通すしかなさそうだ、とシュリアは結論づけた。
決めたところで胃痛は治まらず、シュリアは自分で鎮痛薬を作って飲んだ。
「店を辞めたい…!? ウォルナッツさん、本気かい?」
「はい。お世話になったのに急ですみません。どうしても自分の力でお店をしたいんです」
「そんな…もう少しこのまま頑張ってみても…」
「すみません。決めたんです」
何度も引き止められたが、最終的には辞めることに同意とサインを貰えた。レンタルスペースの契約上、1週間前に契約解除の申し入れをすれば問題ないので、来週末が最後だ。その日はちょうど、シュリアがレンタルスペースを初めて2ヶ月になる日だった。
まだ何か言いたそうなホーリーに謝罪とお礼を再度伝え、その足でマーケットの事務所に提出した。思ったよりも呆気なかったな、と帳の落ちかけた空を見た。
「シュリア!」
「……え、ジルさん!?」
今朝方もう会うことはないかもしれないと思っていた相手が、小走りでこちらに向かっている。シュリアは驚きのあまり、目を見開いたまま突っ立ってしまった。
「大丈夫だったか?」
「ど、どうしてここに…?」
「やっぱり気になって来てしまったんだ。迷惑だったのならすまない…」
「迷惑なんてそんな! ご心配おかけして、すみません」
今日のジルの――いやグランヴィス様と呼んだ方がいいのかもしれない――恰好もやっぱり騎士がよく着ている練習着だ。恐縮して頭を下げるシュリアを見て、彼は瞠目した。
「…もし時間があれば、どこかで話せないか?」
「あ…はい。大丈夫です」
一瞬なぜか悲しい顔をしてから、ジルベルトは歩き出した。大きな背中を見ながらシュリアも後ろをついていく。きっと昨日した相談の結果が気になるのだろう。やっぱりジルさんは真面目だな、とシュリアは少し寂し気にその背中に微笑んだ。
着いた先は小洒落たレストランだった。2階の個室に通されると、シュリアは財布の心配で頭がいっぱいになった。貴族が使うレストランなど相場がどんなものか想像もできない。
「腹は減ってるか?」
「……はい」
どう答えるのが正解か分からず、結局素直に肯定した。ジルベルトは少しだけ嬉しそうに頬を緩めると、シュリアにメニューを手渡した。恐る恐るメニューを開くと庶民価格だったため、シュリアは肩の力が少し抜けるのを感じた。
結局シュリアはジルベルトにオススメされたステーキにし、彼も同じものを注文していた。給仕係が去ると途端に静寂に包まれる。
「…すまなかった。きちんと名乗る前にあんな手紙を寄越して。友人にも叱られた」
「いえ、こちらこそ馴れ馴れしく話しかけてすみませんでした。」
「できれば、前みたいに話して欲しい。確かにうちは伯爵家だが、俺は三男で騎士として生きていくと決めているんだ。だから、今までみたいに魔獣のジルとしてでもいい。距離を、置かないでほしい。頼む」
酷く傷付いたようなジルベルトの表情に、シュリアは思わず頷いてしまった。そしてじわじわと嬉しくなった。これはつまり友達を失わずに済んだということなのだ、と。
「今更だが…シュリアと呼んでも?」
「もちろん。ジルさん」
シュリアの緊張が解けたのに気付いた彼も嬉しそうに微笑んだ。魔獣として会っていた時の穏やかな空気に戻ったことをお互いに感じた。
「それで…貸主のところには行ったのか?」
「うん。少し渋られたけど、来月の4日が最後。契約解除の届けも出したし、個人での契約書も貰ってきた」
「問い質したりはしなかったんだな」
「お世話になったのは事実だし、これからも顔を合わせることもあるだろうから…勉強代だと思って諦める」
何か言いたげではあったが、一言「そうか」と言われただけだった。
丁度タイミング良くステーキが運ばれてきた。鉄板の上でじゅうじゅうと音を立て、食欲をそそるその香りに、シュリアは余計に空腹を覚えた。ジルベルトがナイフを入れたのを見て、シュリアもそれに倣う。簡単に切れた肉を口に運ぶと、肉汁がじゅわりと溶け出したかと思うとすぐに消えた。なんて美味しんだろう!次はステーキの焼き方を研究しようかと思った程だ。
「ははは、口に合ったようで良かった」
「うん、凄く美味しい!」
笑うジルベルトを見て、不思議なことに魔犬のジルが浮かんで重なった。
優しげなタンザナイトの瞳が同じだと、シュリアはつい笑いを零した。
「ふふ、まさかジルさんとナイフとフォークを使って食事するなんて」
「変身した方が落ち着くなら変身しようか?」
「それもいいかも。でも大騒ぎになるね」
茶目っ気に言うジルベルトに、シュリアも笑って答える。そもそもこんな風に話ができるなんて。今朝はすっかり諦めていたのに。
結局シュリアの倍食べたジルベルトに、これまでのおやつ代だと奢ってもらい、乗り合い馬車で送ってもらった。
王都の冬の訪れは早く、長い。すっかり温度の落ちた夜道を、2人は感じない程に楽しく過ごした。




