11.魔獣の正体
まずい。
シュリアを抱き上げたまま、ジルベルトの頭の中はその言葉しか浮かばなかった。
うまい言い訳が浮かばない。むしろ手遅れな気がする。
「ほんとに、あの、ジルさん?」
答えられないどころか目も逸らせない。背中に嫌な汗をかいている。
認めてしまえば、嫌われるだろうか。軽蔑されるだろうか。怯えた目で見られるのだろうか。
彼女の瞳がどんな感情を映しているのか分からない。恐怖の色が見えないのは、自分の願望ではないのか。
「もしかして、従魔、だったりして…?」
「……ああ」
腕の中で身動ぎした彼女をゆっくりと地面に降ろす。そしてそのまま頭を下げた。
顔が直視できない。
「すまなかった。騙すつもりはなかったんだ。言い訳だが…」
「本当にジルさん? 従魔なの?」
「ああ、そうだ。本当にすまな――…」
「嘘、ほんとに!?」
シュリアの声に顔を上げる。
その声が、想像していたよりもずっと明るい響きだったからだ。その表情も、無邪気な喜色に溢れている。
恐らく自分は途轍もなく間抜けな顔をしているのだろう。呆気に取られつつ、期待を込めた目で彼女を見てしまう。
「凄い! どうしよう、聞きたいこといっぱいある! 何から聞こう!? ああ、メモ! 何でこんな時にないの!」
声を掛けるのが憚られる程、シュリアは嬉しそうに興奮している。予想と違いすぎて、どう対応していいか分からない。真剣に悩みだした彼女を見て、急に心臓の音が煩くなった。
嫌われては、いない――?
「シュリアは、怖くないのか?」
「怖い? 何が?」
「…俺は、魔付きだぞ」
彼女は従魔と呼んだが、魔獣に変身できる人間のことを“魔付き”や“半魔”と蔑んだ呼び方をする人もいる。魔獣になれるなんて野蛮だと一部からは忌み嫌われるのだ。騎士団の中にも「魔獣の力を借りるなんて」と見下す者もいる。
「どうして? 最高じゃない! 話ができるなんて!」
「は…?」
「時間大丈夫!? お茶! お茶しよう!」
「え、あ、ちょ…!」
有無を言わさずに腕を引かれて家に入る。他に人のいる気配がない。これは流石に良くない気がする。
「言いにくいんだが、その、あまり知らない男を家にあげるのは…」
「ジルさん前に入ったじゃない。そこに座ってて! さて、お茶! おやつ! メモ!」
火のついていない暖炉の前のソファを指差され、言い終わらない内に奥へと駆けて行くシュリア。落ち着かないまま腰を下ろし、部屋を見渡す。全体的に家具は全て少し年季が入っているが、綺麗に保たれており質の良さを感じる。ソファの弾力も申し分ない。
彼女は奥の部屋へ行き、メモを片手にすぐに戻ってきた。
「ジルさん、コーヒーでもいい?」
「あ、ああ」
不意に飛んできた質問に、声が上擦りそうになる。というか、どうして彼女は普通なのだ。動揺どころか生き生きしているなんて。
どうしてこうなった。
最近は暇さえあればこの森に来るようになった。飾らない彼女の傍はとても心地よく、「魔狼だと訂正したい」を言い訳にしていることも分かっている。魔烏のオリーブにはからかわれることも多いが不思議と悪い気はしない。
今日だってそうだ。『シュリア、倒レタ』というオリーブからの報告で飛んできたのだ。それが、どうしてこうなったんだ。
ちらりとシュリアを見ると、コーヒー2杯とクッキーをテーブルに置き、紙とペンを握り締めている。その緑色の瞳は、陽の光を浴びた若葉の様にキラキラと輝いている。まるで初めて魔法を見た子供の様に。
「では!」
「その前に…体調はいいのか?」
「ああ、只の寝不足だから大丈夫! 2日寝てないだけで…」
「2日?!」
「そんなことより! 質問いいですか!」
キラキラというより、ギラギラな気がしてきた。寝不足でハイになっているだけなのか。ジルベルトの心配を余所に、彼女は1枚のレポート用紙を見つめている。
「それ、もしかして…」
「魔獣と話せたら聞きたかった質問! ジルさんは従魔だから違うけど、参考にしたくて…!」
「見てもいいか?」
「勿論! どうぞ」
そこには文字がびっしりと書かれていた。少し癖のある読みやすい綺麗な字だ。
味はどうか、何味に感じたか、後味は悪くないか、体調の変化はあるか、見た目の変化はどれくらいでどうなったか、どこかに違和感はないかなどなど、まだまだ続く――…2枚目を捲るのが怖い。
つい顔を上げると、期待に満ちた顔でこちらを見つめるシュリアと目が合った。少しだけ心臓が跳ねた。
協力したい。役に立ちたい、が。
「今日は止めておいた方がいいんじゃないか?」
「え? あ、ごめんなさい。こんなにたくさん、迷惑よね…」
「いや、協力はいいんだが…シュリアは寝た方がいいだろう?」
以前任務で2日徹夜したことがあったがかなりキツかったことを思い出したのだ。途端に萎んだ風船の様にしゅんとした顔をするシュリアを見て、何だか悪いことを言った気分になる。
「俺でよければいつでも協力するから。考察するのも万全な時の方がいいんじゃないか?」
「でも…」
「それに、マーケットはいいのか? 準備とか…」
最後まで言い切ることができなかった。シュリアの顔が一瞬で強張り、拒絶の様な反応を見せたからだ。さっきまでの表情が嘘みたいに。初めて視線を逸らされた。
「何かあったのか?」
「……」
いつも以上に顔色が悪いのは、寝不足のせいだけではなさそうだ。視線を彷徨わせ、ペンを持つ指が白くなるほど強く握り締めている。
この前シュリアが落ち込み「向いていないんじゃないか」と言い出した時は狼狽した。薬を作っている時の彼女は生き生きとしていて、いつまでも見ていたいと思う程なのに。
それに何より、自分は彼女の薬のファンだ。あんなに上等なものはないと思っている。彼女は知らないが、初めて彼女の薬を買ったのは自分だ。空瓶までまだ取ってあるなんて恥ずかしくて言えないが。
これまで女性を慰めたことも慰めようと思ったこともなかったジルベルトは、兄達なら上手くできるだろうにと忸怩たる思いだった。けれど最後にはいつもの笑顔を見せてくれたから、どうにか元気付けられたと思っていた。抱きつかれたことは今は思い出してはいけない。確実に場違いな顔になる。
自分では、力不足だったのだろうか。
「もしよければ話してほしい」
言い淀んでいるシュリアに、心が苦しくなった。彼女にとって自分はまだまだ頼りない存在なのだろうか。その表情を曇らせるものは、自分が取り除いてやりたいと思うのに。
「シュリアの力になりたいんだ」
その勢いに押されたのか、シュリアはぽつりぽつりと貸主のホーリーの話をしだした。ジルベルトはすぐにでも問い質しに行こうと言ったが、彼女は首を横に振った。任せっきりだった自分も悪いのだと。それについては否定ができなかった。
「ジルさんに話して、心の整理ができた。一度手を引こうと思う」
「薬師を辞めるのか?」
「ううん。自分で借りて、自分の力で売ろうと思う。まだ諦められないから」
そう聞いて安堵した。少しさっぱりした表情の彼女を見て、心がほんのり温まったのを感じた。出されたコーヒーにやっと手を伸ばす。
「やっぱり私、薬作るのが好きみたい。ありがとう、ジルさん」
あまりにも優しい笑顔を見せるから、息を吸うことも忘れて彼女を見たまま固まった。彼女はもう切り替えてコーヒーにミルクを入れ、クッキーを口に運んでいる。ジルベルトはコーヒーを飲むと、早く寝る様に言い、不自然にならない程度の早さでお暇した。これ以上ここにいて心臓が持たない気がしたからだ。
その日の夜、ジルベルトは彼女のことを抱き上げ、勝手に愛称で呼んでいたことに赤面し、シュリアは遅ればせながら彼が騎士の練習着だったことに気付いて顔色を無くした。




