10.発覚
ケイトから泊りの誘いを受けて、シュリアは頼まれていた肩凝り用の薬を持って行った。薬を塗った当て布を患部に貼れば湿布の出来上がりだ。冒険者には関係なさそうだからとレンタルスペースには置かなかったが、こういった種類を置くのもありかもしれない。
公演が一段落ついたらしいケイトからレンタルスペースの装飾について手解きを受けつつ、多くがたわいもない話で盛り上がった。ケイトの一番の話題は、彼女が目の保養としていたどこかの劇団員が結婚したという話だった。彼女は派手なものやキラキラしたものが好きで、好きなタイプも王子様のような人だ。恐らくその人もそういったタイプなのだろう。ケイトは既婚者だったり貴族だったりすると途端に興味を失うらしい。
夜遅くまで話し込み、朝はゆっくりどこかでブランチを取る予定だったが、ケイトの両親が急遽帰ってきてしまったため、朝イチでお開きになってしまった。長居すると、今からでもケイトに魔術を使った職に就くようにシュリアも説得してくれと言い出すからだ。
急にすることのなくなったシュリアは、ふとマーケットに向かおうと思い付いた。この時間ならホーリーはまだ来ていないだろうから、ケイトにアドバイスを貰った装飾を試すには丁度いいと考えたのだ。そうと決まれば朝食は後回しだ。シュリアは早足でマーケットに向かった。
冒険者用マーケットはまだまだ開いていない店ばかりで人はほとんどいなかった。食品マーケットはもう開いているお店がちらほらあって、少しだけいい匂いが潮の香りに混じって流れてくる。装飾が終われば行ってみようとシュリアは決めた。
予想に反して、ホーリーは既にいた。
驚きつつも駆け寄ろうとした足を止め、他の台に隠れるようにしゃがみこんだ。どくんと心臓が大きな音を立てた。
見間違いかもしれない。
見つからないように気を付けながら、ゆっくりと顔を出す。
ホーリーの手にあったのはシュリアのサンプルだ。台の上には空になったサンプルの瓶がいくつも見える。ホーリーは時々辺りを窺いながら、違う容器に移している。あれは、ホーリーの使っている容器と同じものだ。
シュリアは手にじっとりと嫌な汗をかいていることに気が付いた。嘘、嘘、嘘と、そんな言葉しか浮かんでこない。ごくりと唾を飲み込む。
金縛りにあったようにその場に動けずにいると、ホーリーは全てのサンプルの空瓶を捨て、今度はシュリアの商品のコルクに手を伸ばした。そして少しずつ、スポイトで取っては違う容器に移すのを繰り返し、最後にシュリアの商品の上に大きな布を掛けた。それは、休憩に行く時に掛けている布だと言っていたものだ。けれど今はまるでシュリアの商品を隠すかのように見えてしまう。
そこからはどうやって帰ったのか分からない。気が付くとまた湖の前に座っていた。
頭が働かない。浮かんでくるのは先程のホーリーと、優しくアドバイスしてくれたホーリーだ。同じ顔なのに、どうしても同一人物に思えない。どうしても信じられない。
見間違いだったんじゃないか。シュリアは必死にそう自分に言い聞かせ、震える膝を叱咤して立ち上がると、薬草をいくつか摘み、家に戻った。
ざわざわとした心を見ない振りをしてサンプルを作り、家を出た。今日は夕方になるが行くと伝えていた日なのだ。きっといつもと変わらず出迎えてくれる。きっとそうだ。
前回ホーリーに伝えていた時間より少し早いが、マーケットに到着してしまった。重い足を引き摺る様にして台へと向かう。
あの布は、まだ掛けられていた。
「あ…っ、ああ、ウォルナッツさん、早かったね。ちょうど休憩から帰ってきたところなんだよ」
「こんにちは。そうだったんですね…」
「顔色が悪いよ。大丈夫かい?」
「え…あ、はい。昨日遅くまで起きてて…大丈夫です」
そう言うとホーリーは少し安堵したように掛けていた布を畳んで片付けた。今日もやっぱりサンプルしか減っていない。小さく深呼吸してからサンプルを籠に入れる。
売り子や直接サンプルを配ることをやんわり止められたのはいつだったか。不意に考えそうになって無理矢理止めた。
「そうそう、ウォルナッツさん。サンプルを少し増やしてみたらどうかな? 宣伝には丁度いいと思うよ」
「……ありがとうございます。考えてみます」
うんうんと嬉しそうに頷くホーリーを見て、心臓に重しがのった様な気分になった。どうにか次は3日後に来ると言うと、何度も時間を決めるように言われた。思わず閉店時間間際を選んでしまった。
行きよりも重たい足取りで家路につく。
きっと売れなさすぎて過剰にネガティブになっているだけだ。あんなに優しく接してくれたホーリーが騙すはずがない。
次来る時間を確認されるようになったことも。
予定より早く来ると布が掛けられていて、いつもホーリーの休憩前後だと言われることも。
サンプルの数を増やすアドバイスはこれで3回目でも。
きっと、全部気のせいだ。
翌朝あまり眠れなかったシュリアは、もう一度早朝のマーケットに向かった。昨日のことは見間違いだったと、どうしても否定したかったからだ。
しかしシュリアの願いは届かなかった。昨日と同じ光景を、シュリアはもう一度はっきりと見てしまった。もう否定はできない。けれど衝撃はなく、頭のどこかで「ああ、やっぱり」と諦めにも似た思いが浮かんだ。
家の研究室の椅子に座ってぼんやり部屋を眺めた。虚脱感が全身を襲っている。
ふと色褪せた黄色い花で視線が止まった。この前ジルが教えてくれた薬草花。そういえばあれから魔梟と魔熊には会っていない。元気だろうか。あの時思い付いた“自然治癒力を高める薬”は難航している。
「…よし」
なけなしの気合を入れて立ち上がる。今は何か夢中になれるものが欲しい。それには難航しているものに挑戦するのが丁度いいだろう。シュリアは薬草をいくつか取り出すと、一心不乱に実験に取り掛かった。
流石に2日徹夜は体に堪えた。
成果はあまり得られなかったが気分はあまり悪くない。ぐっと伸びをしながら、新鮮な空気を吸おうと外に出る。朝晩は少しずつ温度が下がってきたが、昼間はまだ暖かい。久しぶりの日光は眩しくて、目を細めると途端に眠気が襲ってきた。庭にごろんと寝そべると、澄んだ空がどこまでも青く高く見える。気持ちのいい秋空だ。
身体ごと横向きになると、自然の匂いが鼻を擽る。本格的にうとうとしてきたシュリアは、眠気に抗うのを止めることにした。少しならいいだろう。その内オリーブが起こしてくれる。
暗転しかけた視界に、ぼんやりと黒い塊がこちらに向かってくるのが見えた。
ジルだ。またオリーブと遊びに来たのだろう。
「ワウ!」
少しだけ、少しだけ。
ゆっくりと目を閉じたシュリアに、全く想像しないことが起きた。
「シュリア!! 大丈夫か!?」
男の人の声がする。持ち上げられた頭には、人間の手の感覚がある。
夢の世界へと落ちかけていたシュリアは、のんびりと目を開けた。知らない顔の男性としっかり目が合った。
タンザナイトの瞳に、濃紺色の髪。少しつり目の精悍な顔つき。
シュリアは夢を見ているんだと思った。だから、あり得るはずのない名前をつい口にした。
「ジルさん…?」
「ああ。大丈夫か? 気分でも悪いのか?」
ああ、やっぱりともう一度目を閉じた。心配してくれるなんて、やっぱり賢くて優しい魔獣だ。
膝の後ろに腕が入れられたと思ったら、身体がふわりと浮いた。
抱きかかえるなんて、なんて器用な魔獣―――…
「ん? え…? ジル、さん…?」
「どうした?」
どう見ても、人間だ。
「……あ」
男らしい低い声。
それを合図のように、2人の時間が止まった。
11話からしばらくは隔日で更新しようと思います。




