あなたに青い花束を
本日三話目の投稿です。
偏屈で頑固で、誰よりも優しく温かかったユーゴ。
彼はもう、私の日常の……いや身体の一部といってもいいくらいの人だった。
彼は、私にすべての感情を取り戻させてくれた人。
巫女として生きていたなら、決して味わうことのできなかったであろう自由や喜び、恋や、人を愛する心の素晴らしさを教えてくれた人。
彼から一番に想ってはもらえなかったけど、それでもこの三年間は輝きに満ちていた。
ずっと、幸せだった。
もっと一緒にいられると思っていた。
なのに、どうして──?
リディアも混乱していたのだろう。
泣き疲れたのか、眠ってしまった。
涙も枯れ果て憔悴し、腕の中で眠る娘の細い首にそっと手をかける。
このままこの子を殺して、私も死んでしまおう。
ユーゴのいないこれからなんて考えられないし、考えたくもない。
どうせ、この子にだってこれから先、人とは違う辛い人生が待っているのだ。生きるのも苦しくて嫌になるに決まっている。
力ない子どもを殺すなんて、簡単なことだ。
両手で思いきり締め付ければ、きっとあっという間に終わるはず。
「それなのに、なんでできないの……」
幼いリディアを抱き締め、小さな呼吸と鼓動の音を聞きながら、静かに目を閉じた。
――・――・――・――・――・――・――・――
いつものように、だけどいつもとは大きく違う朝がやってきた。
リディアはまだ言葉が話せないのに私の心がわかるのか、泣きもせずに大人しくしていて、大好きなはずの食事も全く進んでいなかった。
黒い喪服に身を包み、迎えに来てくれたジェーンと共に、私とリディアは花咲の園へと向かう。
しとしとと冷たい雨が降っているせいで、朝だというのに外は薄暗かった。
心と同様、辺りは全て色を失くし、黒い雨が止む気配はない。
町の噂話で、断罪の谷へ向かう予定だった馬車がすでに消えていたことと、悲鳴に似た声が夜明けと共に遠ざかっていったということを聞いた。
けれど、真相などどうでもよく、何も聞こえなかったふりをして花咲の園へと足を進めた。
ユーゴの埋葬の儀式はあっという間に終わってしまった。
想像していたよりも遥かに多くの民が参列してくれて、皆口々に“ユーゴは変わった”と話し、すすり泣いていた。
この光景を、彼にも見せてあげたかった。
きっと、照れ隠しのために、憎まれ口を叩いて、皆の反感を買うんだろうけど。
リディアは幼すぎるからか、父親を亡くしたことを理解できていないのだろう。
なぜ皆は泣いているのだろうとでも言うように、不思議そうな顔で儀式が終わるのをじっと見ていた。
小さなリディアを抱いて、墓前に誓う。
青い花が枯れたらすぐに、リディアと二人でそっちに向かうから、と。
ユーゴが命を懸けて開発した青い花さえ枯れてしまえば、こんな世界に私たちが生きる意味は一つもなくなるのだから。
静かな家に二人で帰り、リディアをベッドに寝かせ、研究室に向かう。
この土地を離れられない私には、青い花を咲かせることはできないけれど、何かしらの世話はできるかもしれないから。
廊下を歩くと、後ろからトタトタと音が聞こえてきて振り返る。
眠っていたはずのリディアが、いつものふらつく小走りで後ろからついてきていた。
片腕で娘を抱えて二人で研究室に入ると、ふわりと甘い花の香りが鼻腔をくすぐってくる。
ユーゴの香りが、彼が生きていた証が、ここにはまだ残っている。
枯れたはずの涙がまたじんわりと浮かんできて、袖でぐいっとぬぐい、地下室への扉を開けた。
片手でランタンを天井に吊るして辺りを見渡す。
予想とは全く違う光景に、はっと息を飲んだ。
「どうして……」
そこにあったのは、書類や研究道具ばかり。
青い花など、どこにも見当たらない。
ユーゴが教えてくれたヤグルマギクやロベリア、その他の青い花も全て片付けられていて、地下室には書類ばかりが積み上げられていた。
机の上で開きっぱなしになったノートには、予定のようなものがぎっしりと書き込まれている。
青い花を咲かせるための旅の計画を立てていたのだろうか。
地図や海図も広げられ、文字や数字があちこちに書き込まれていた。
あんなにたくさん机の上にあったスケッチブックも片付けられていて、残っていたのは青いスケッチブック一冊のみ。
このタイトル、この文字の並びって──
「リディア……?」
愛しい娘の名を呟きながら、青いスケッチブックのタイトルをそっと撫でる。
これはリディアが生まれた日、ユーゴが書いて見せてくれた文字と同じ。
タイトルに修正跡がないと言うことは……ここにはリディアが生まれる前から“リディア”の名が書かれていたの?
しかも、その下に文字が追記されており、それは私宛の封筒に書かれていた字の形にそっくりだ。
ということは、私の名前……?
片手でスケッチブックを開く。
ぱらぱらと音をたてて、次から次へとページをめくる。
そこに描かれていたのは、草花や土の記録ではなく、リディアの成長とそれを喜ぶ私の姿。
リディアが生まれたときの真っ赤な泣き顔に、隣で私が泣き笑いをしている顔。
はじめて寝返りをした姿や、よたよたと歩く姿。
いたずらを叱っている私と、すねた顔のリディア。
木からひょっこり顔を出して笑うリディアと、それを見て微笑む私。
三人で見た背の高いひまわりに、一緒に育てた小さなゼラニウムの絵もあった。
そのどれもが優しいタッチと色づかいで描かれていて、ユーゴが私たちをどんなふうに見ていてくれたのかが、はっきりとわかるようで。
あの人の想いに再び触れて、涙が意思を持っているかのように溢れだし、ぬぐってもぬぐっても止まらなくなってしまう。
ページはすべてリディアと私で埋めつくされ、最後のページを開くと、一つのシーンだけが大きく描かれていた。
それは、リディアを抱いて笑う私の姿。
その絵にぎゅっと切なく胸が締め付けられて目が離せなくなり、そっと輪郭の線を撫でた。
ねぇ、ユーゴ。貴方の前で私は、こんな顔をしていたの……?
とてもじゃないけれど、信じられなかった。
そこに描かれていたのは、柔らかくて穏やかで、どこまでも幸せそうな優しい笑みをたたえた私。
巫女の使命を嘆き、早く死ねたらと毎日のように思っていた私が、貴方の前ではこんなふうに笑えていたなんて、夢にも思っていなかった。
ぽとりぽとりと音をたてて、大粒の涙が次から次へと絵の中へと吸い込まれていく。
大切な形見を汚してしまう、と慌てていると、描かれた緑のはずの私たちの瞳の中に、わずかに青い線を見つけた。
「まさかユーゴ、貴方……!!」
きょとんとしているリディアの顔を覗きこむ。
明るい場所ではわからなかったけれど、いまならわかる。
黄緑色に見えるリディアの瞳の中に、うっすらと青い虹彩が現れ、輝いている。
それはまるで、闇のなかでも光を集めて凛と咲く、青い色のひまわりのようで……
「ユーゴ、貴方って人は……」
へなへなとその場で座り込んでぎゅっと目をつむり、しゃくりあげる。
彼から一度も愛の言葉など、もらったことはない。
いつだって、私たちはユーゴにとって二番目だった。
でも、それはきっと、私とリディアを教会から守るためで。
ユーゴは危険を承知で、青い花を咲かせるため……つまりは花に似た虹彩を持つ私たちを逃がすための計画を立てていたのだ。
愛しているという言葉はなくとも、ユーゴは私たちをこんなにも深く愛してくれていた。
彼を亡くした苦しみに胸がぎゅうと締め付けられると同時に、真の愛を知り、止めどなく温かい気持ちが溢れてくる。
ユーゴを想うと、流れ出る涙が止まらない。
私の顔を見上げてきたリディアは、きゃいきゃいと笑いながら、涙をぬぐうようにぺしぺしと目元を叩いてくる。
小さく温かい手をそっと撫でて微笑み、愛しい我が子をきゅっと抱き締めた。
大丈夫、もう二度と貴女を手にかけようとしたりはしない。
貴女の心も枯らせたりなんか、絶対にしない。
やっと、わかった。私の……レイラ・ハーシェルの生きる意味。
世界を救うため、祈りの巫女として生まれたわけじゃない。
私はユーゴと深く愛し合い、リディアを守るために生まれてきたのだ。
――・――・――・――・――・――・――・――
晴れ渡る空の下、青い花束を貴方に贈る。
純白の墓石や華やかな花は、貴方には全然似合わない。
小さな青い花で作った花束を置いてようやく、ここは貴方らしく見える。
そっと墓石を撫でてリディアを後ろから抱き締め、生涯でただ一人、私が愛した男へいつものように言葉を投げ掛けた。
「ねぇ、ユーゴ。貴方が愛した青い花を、しっかり咲かせてみせるから」
潮の匂いのする穏やかな風が、私たちを撫でるように吹き抜けていく。
私の手からすり抜けたリディアが、とことこと走って逃げ出した。
「ちょっとリディア、どこ行くの!?」
どこまでも広い海が見える丘でぴたりと止まって振り返ってきた娘は、照れたように優しく微笑みかけてくる。
その姿は、愛しい貴方の姿にそっくりで。
温かい涙が静かに頬を伝っていった。
fin.
『あなたに青い花束を』これにて完結です。
主人公は娘のリディアへとうつり、連載中の『私に世界は救えません!』へとお話が繋がっていきます。
『あなたに青い花束を』はバッドエンドでしたが、娘はハッピーなエンディングを迎える予定です!
元々頭のなかに設定だけあって、書く予定のなかったお話でしたが、長岡更紗さまの『アンハピエンの恋企画』という素敵な企画があり、筆をとらせていただき形にすることができました。
想定外なほどに多くのブクマをいただくことができ(1桁で終わると思ってた!)感謝の気持ちでいっぱいです!!
ここまでお読みくださった方、ブクマや評価をくださった方、感想をくださった方、このお話を手に取ってくださいまして本当にありがとうございました!




