罪人
本日二話目の投稿です。
「青い花について、そんなにも証人がいるのですね……」
ユーゴを疑ったことへの申し訳なさからだろうか。
司祭様は、後悔にも似た表情を浮かべて呟くように言い、一方のジェーンは、やましいことなどないとばかりに、堂々とうなずいた。
「ユーゴは逃亡なんて、企んじゃいませんよ。ただ、花を別の土地に送ってみて、様子を見るつもりだったんだと思います」
それに、とジェーンは不安げな顔をしているリディアの頭を優しく撫でながら言葉を続ける。
「リディアもきっと、悪魔なんかじゃないと思います。こんなにも優しい顔で、いつも無邪気に微笑みかけてくれる。ユーゴのことだって、巫女を逃がす計画を立てていたとして、それは普通の夫として父親として、当然の想いではないでしょうか?」
「ジェーン……」
柔らかな声色で紡がれる言葉に、じんわりと涙が浮かんでくるのがわかる。
彼女の優しい心遣いが、傷だらけになった私の胸に染み渡っていくのを感じた。
だが、柔らかな空気になったのもつかの間、司祭様が机の上にのせた自身のこぶしを強く握りしめ、声を落とした。
「ジェーン、あなたは本気でそれを言っているのですか? ネラ様と教会への侮辱ととりますよ」
「っ、申し訳ございません! 感情的になってしまいました……。私の心は常にネラ様と共にあり、ネラ様のなさることに間違いはございません」
鋭い瞳で睨まれたジェーンはびくりと震えて、勢いよく頭を下げていく。
その顔は血色を失い、額からも汗が流れている。
普段は楽天的で堂々としている彼女も、いまは別人のように縮こまって、震えが止まらなくなっていた。
「顔をお上げなさい。理解していただければ良いのです。人は未熟な面も持ち合わせていますからね」
「申し訳ございません……」
ジェーンは何度も頭を下げて、司祭様が「もう、良いのですよ」と満足そうに微笑みかけている。
とてもじゃないけれど見ていられなくて、目を背けた。
そう。これが、ネラ教会のやり方。
教えに従う者には愛や情で優しく包み込むけれど、教えに反する者に対しては情け容赦がない。
ジェーンが謝罪をしたことは寂しくもあったが、心から安堵した。
もしも意見を貫いていたら、教会から何かしらの罰が与えられてもおかしくはないから。
穏やかな笑みを浮かべていた司祭様だけれど、アントニーと顔を見合わせた途端、その形相が険しいものへと変わった。
「彼女のように人は未熟で、神に仕える私たちが心を正していかねばなりません。ただ……罪には許される罪と許されぬ罪がある」
司祭様は怒りでだろうか、顔を真っ赤に染めて、アントニーを鋭く睨み付け、再び口を開いた。
「アントニー! ユーゴ氏はあなたが言うような悪ではありませんでした……あなたは、ネラ様や私を欺いたのですね。これは断じて許されることではない! 神や教会への冒涜だ!!」
怒りに震える司祭様の後ろで、表情のない神官将の目が鋭く光り、アントニーを見据えている。
不気味なその目は標的を見つけた獣のようで恐ろしく、ぶるりと身がすくんだ。
「そんな、違います! 本当にあの男は二人を逃がそうと画策して……」
アントニーも、神官将の目に恐怖を覚えたのだろうか。
慌てて立ち上がって、司祭様にすがるように弁明を始めている。
だが、司祭様はアントニーの言葉を最後まで聞こうともせず一蹴した。
「それならば、この二人が間違っているとでもいうのですか!? ユーゴ氏が酒を嗜んだか、鍵がどこの鍵なのか、彼が旅についてどんな話をしていたのか、調べればすぐにわかること。調べさせていただきますよ」
「違う! 違うのです! わたしは……!」
こうなっても罪を認めずに自分を守ろうとするアントニーに苛立ちが募り、思いきり睨み付けて言葉を放つ。
「彼の研究と名誉、巫女である私が欲しかった、そういうことなのでしょう?」
「ああ、レイラ様! とてもじゃないけれど、見ていられなかったんです。貴女様のような清い女性がユーゴのような男に囚われているなんて許せなかった! わたしの側にいれば貴女様もきっと幸せになれると……」
まるで芝居のような、もしくは自分に酔いしれるようなアントニーの言葉に、私の中で何かがぷつんと切れて、自分にかかる痛みも考えずに力一杯机を叩いた。
「見当違いも甚だしいわ! 私を穢しているのはあなたでしょう!? 殺したいほど人を憎むなんて、こんな醜い感情、知りたくもなかった。あの人の命を奪ったあなたを決して許さない」
もう、理性を保つのも限界だった。
この男をここで殺してやろう。
私なんて、穢れた巫女として地獄に落ちればいい。
心残りがあるとすれば、ひとつだけ。
私が死んだあと、ユーゴやリディアにまためぐり会えないこと。
「違うのです! 聞いてください! 先生を殺したのはわたしでは……」
慌てて私に駆け寄ってこようとするアントニーだったが、すぐに視界から消え、派手な音が響き渡った。
これまで微動だにしなかった神官将が動き、アントニーをうつ伏せに床に倒して、口を塞いでいたのだ。
司祭様はほっと息を吐いて立ち上がり、頬を床につけているアントニーを見下しながら口を開く。
「弁明はのちほど聞きましょうかね。先に連れていってください」
「承知いたしました」
神官将は低い声でぼそりと言って、アントニーを無理矢理連れて行こうとするが、一方のアントニーは蒼白な顔をして、必死に腕を振り払って声をあげた。
「違うんですレイラ様! 私は殺してなど……」
「もうあなたの声なんか聞きたくない! 皆もリディアを置いて、早く出ていって! そっとしておいてちょうだい!!」
耳を塞いで、大声をあげる。
それはもはや、声というよりも悲鳴のようだった。
「レイラ……」
ジェーンは声をあげて泣き出したリディアを渡してきて、そっと背中を撫でてくれる。
だけど、その優しさもいまは、辛かった。
「ごめんなさい、ジェーン。いまは帰って……」
「また明日、来るから……」
いまにも泣き出しそうな顔で、ジェーンは扉へと向かっていく。
彼女を見送ることもせず、逃げるように寝室に立てこもった。
リディアは私の大声が引き金となって、わんわんと喚くように泣き出してしまった。
扉に背をつけて座り込み、泣く子をなだめもせず、ただただ抱き締める。
「レイラ、聞こえますか? ユーゴ氏は明日の朝、花咲の園へと送ります。民にも私から伝えておきますので」
扉の向こうから、司祭様の声が聞こえてくる。
「そうしてください」
それだけ返すと、足音は扉から遠ざかっていった。
花咲の園は、功績のある者が埋葬される場所。
そこで弔われた者の魂は女神ネラが救ってくださると言われていて、花咲の園へ向かえるのは民として最上級の誉れなのだ。
彼のこれまでの研究の功績を考えれば、妥当な判断といえるだろう。
ユーゴの断罪の谷行きを阻止できたことに安堵する一方で、重く苦しいこの心はちっとも晴れはしなかった。




