第7話
ジークムント様からはお手紙もなく、接触も無くなった。逃した魚は大きいと思うものの、キスは無理だと思ったのだ。多分それ以上はもっと無理だと思う。夫婦としてやっていくのは難しかろう。
夜会で晴れてフリー状態の私はそれなりに美しいので、男性方は程々に寄ってくる。ロレッタ語を上手く翻訳できない男性方は私の辛口表現にすごすごと立ち去ってしまうのだが。
「ロレッタ嬢は詩歌の嗜みがおありですか?」
「まあ失礼な。無いと思ってらっしゃるの?(訳:勿論ありますわ)」
「そのサファイアの首飾りは素敵ですね。瞳の色とも合っていて、よくお似合いです。」
「当り前でしょう?似合わない装飾品を身につける乙女がいるの?(訳:ちゃんとお洒落したんですのよ?かわいい?)」
上から目線の暴言が癖なので、男性たちは引いているようだ。いくら美しくても性格が歪んでると取られて不思議ではない。男性たちがさざ波のように引いて行くのはわかる。わかるがこの癖は簡単に治りそうにない。お酒が入れば随分素直になれるのだけれど、酔っぱらってお持ち帰りされる展開は避けたい。懲りた。
「ご機嫌うるわしゅう。ロレッタ様。」
「麗しいように見えるのならあなたの目は節穴よ。」
バーベナ様がいらっしゃった。素晴らしく素敵なジークムント様を受け入れられなかった自分に嫌気がさしているし、私に集ってくる男性がみな「この令嬢は止めておこう…」とばかりにそそくさと逃げだすのを見て、到底愉快な気分にはなれない。
「ロレッタ様はこんなに面白くてチャーミングなご令嬢だって言うのに、世の男性の目こそ節穴だわ。でもジョセファン様とアドヴァンス様は勿体無かったのではなくて?きちんとロレッタ語を理解できる希少な殿方でしたのに。」
「わたくし、自分を安売りするつもりはありませんの。(訳:コミュニケーション取れれば誰でもいいわけじゃないよ。)」
「ジークムント様は?」
「……。」
ジークムント様以上の物件がないこともわかっていたので、何とも言えない。どうしてキス…嫌だったんだろう。アルトとは嫌じゃなかったのに。思い出してもがっくりしてしまう。ジークムント様の事とっても素敵だと思ったのに…いざとなったら「無理!」って思ってしまったのだよ。
「ふふ。ロレッタ様は早く自分のお心に正直になるべきですわ。」
「?」
楽しくお喋りした。バーベナ様はそろそろ意中の方にプロポーズされる予感がする…と仰っていた。わくわくしているようだ。あと、アルトの周囲に再びご令嬢が侍るようになったと。
確かに会場でアルトを見ると沢山のご令嬢方に囲まれている。その割にはあまり嬉しそうではない…というか憂鬱そうな顔をしている。ハリエット様は今日はご一緒ではない模様。随分と憂鬱そうだけど、ハリエット様がご一緒ではないから切ない思いをしているのかしら…そう思うとツキリと胸が痛む。
「アルト様はまだ例の女性を探していらっしゃいますの?」
バーベナ様に尋ねられた。
「最近は探すことはしていないようですわ。熱病の覚めるのが早かったこと。」
ちょっと皮肉気な言いざまになってしまう。別にずっと執着して探し続けて欲しかったわけではないし、他に目を向けた方がアルトも幸せになれるだろうけど…ちょっとがっかりです。アルトも初めてだったようだけど、私だって初めてだったのに。容易く忘れられるくらいの想いだったのだと思うと複雑だ。
「最近はアルト様もロレッタ様と仲がおよろしいのではなくて?」
そうかな?そんな気もするけど…
私にもよく笑いかけてくれるし、時々「可愛いです」って褒めてもくれる。アルトからの視線に以前のような棘を感じなくなった。
「もしかして、ロレッタ語に目覚めたのではなくて?」
「存じ上げませんわ。」
ツンとそっぽを向いたのでバーベナ様に笑われてしまった。喜んでいるのが隠せていなかったらしい。
アルトがロレッタ語をちゃんと理解できるようになって『仲良し姉弟』になれたらいいだろうなあ。小さい頃から、アルトと仲良くなれたらなあ…というのは私の胸を締め付ける切ない願いだったから。
「本当にロレッタ様はアルト様が大好きですものね。」
「ご、誤解を招く言い方はおやめくださいまし。」
だ、大好きだなんて…そりゃあ好きだけど、社交界でおかしな噂を立てられるのは困るよ!
***
今回も無事アルトと馬車で自宅へ戻った。アルトは少しぼうっとしている。お茶を入れてもらったのに口をつけず、カップを眺めている。
「気分でも優れませんの?」
「別に、そういうわけではないです。」
心配になって聞いてみたが、そういうわけではないらしい。アルトは思い出したかのようにカップの中身を一口飲んだ。
「今日もあんなに綺麗なご令嬢に囲まれていたのに笑顔一つ見せずに憂鬱なため息ばかりついて。失礼ではなくて?(訳:失礼な態度を取っちゃうほど苦しい気持ちを味わっているの?)」
「そういうわけではないですが…恋って難しいですね。」
アルトは困ったように微笑んだ。ずきりと胸が痛む。
「ハリエット様は今日はご一緒ではなかったものね。煮え切らない態度をとるから愛想をつかされたのではなくて?(訳:男ならドーンとぶつかるべきだとおねーちゃんは思うのだよ。)」
ハリエット様に本気で恋煩いしているというのならおねーちゃんは応援します。おねーちゃんにできることなんて精々お祈りするくらいだけどね。ハリエット様は素敵な方だと聞くし。
アルトは苦笑した。
「ハリエット嬢はそういった相手ではありませんよ。…彼女には少々恋の相談に乗っていただいていただけです。」
「恋…」
眉を顰める。
もしやと思うが、すっかり心変わりしたのだとばかり思っていたのだが、アルトはまだ例の仮面舞踏会の一夜の契りが忘れられないのだろうか。私にとっても一生記憶に残ることだけど、アルトは運命まで感じたようだし。いけないことだとわかっているのに少しだけ喜んでいる自分がいる。こんな気持ちを抱いてはダメ。
「アルト、無様に捨てられた分際で、まだ仮面舞踏会のご令嬢に未練を引きずっているんですの?(訳:まだ傷付いてる?)」
おねーちゃんトラウマ植え付けちゃった?御免なさいって言いたいけど言えない…。大嫌いな姉に童貞食われたと知ったらアルトが傷つくから…って最近はあんまり嫌われてないのか?ならいいのか?あれ?おねーちゃんちょっと混乱してきたぞ。
アルトは酷く苦悩した顔をした。
「いえ…引きずってはいるのですが…正直な話、酔っぱらってしなだれかかってくるご令嬢などごまんといます。僕が酔って甘えてくる彼女を介抱しようと思ったのは彼女の姿や声が姉上に似ていたからなのです。」
「は?」
思いもよらないことを言われて、間抜けな声を出してしまう。
私に似ていたから?何故それで進んで介抱しようなどと?
「可愛く甘えてくる彼女を見て、姉上もこんな風に甘えてくれたら…と思ったら、ムラムラしてしまって、彼女を抱きながら姉上が僕の腕の中でこんな風に甘えてよがってくれたらって思ったらすごく興奮して……起きてすぐはその高揚感に満たされて、彼女こそ運命の女性に違いない…って舞い上がったんですけど、よくよく考えるとただ身代わりにしていただけなのかもしれないって思ってしまって…もし正真正銘の彼女が僕の目の前に現れたら、きっと僕は罪悪感に飲み込まれていたと思います。」
アルトは困ったように微笑んだ。
「一旦自覚すると焦がれるように恋情が膨れ上がってしまって…姉上がジークムント殿にキスされそうになったのを見た時は嫉妬で我を忘れて、無理矢理姉上にキスなどしてしまって…。キスを嫌がって泣く姉上を目にしているのに、無理矢理に奪ったと思うと最低だと思って、自己嫌悪してしまいました。」
「アルトは姉に劣情を抱く変態だったのね。(訳:急に弟に性的対象として見てたって言われてもおねーちゃん困ります。)」
「軽蔑した?気持ち悪い?僕はどうやら姉上のことが好きで好きで仕方がないみたいなんだ。」
「……。」
そ、そりゃあ私だってアルトは結構好きだし、酔って体を繋いじゃったってわかった後「孕んでたらどうしよう」って冷や冷やはしたけど嫌悪感なんてこれぽっちもなかった。好きかと言えば好きなんだけど…アルトに嫌われていると思っていたから、無意識に防衛線張ってたというか、そういう対象として見ないようにしてたってとこあるから。
「ねえ。姉上。僕を選んでくださいませんか?もう身代わりに他の誰かを抱いたりしない。姉上だけと誓うから。好きなんです。優しいところも、素直じゃないところも。可愛いところも、甘い声も。だから僕のものになってください。」
アルトの潤んだ瞳が私に向けられる。きゅんっと胸が高鳴る。私が胸の奥に封じ込めていた箱がパカリと開いた。ドキドキきゅんきゅんアルトへの恋情で渦巻いている。
「嫌よ。」
端的に述べるとアルトの顔が暗くなった。
「『僕のものになって』?何様のつもりよ?あんたが『私のもの』になりなさいよ!一生!よそ見したら一生許しません事よ。(訳:一生私のこと好きでいてね。浮気しちゃやだよ?)」
アルトの顔がみるみる明るくなって。「うん!うん!」と何度も頷いている。尻尾を振っているような幻影さえ見える。
「でもさ、姉上。…僕の妄念を取り除くために一つお願いしたい。」
「何よ?」
「姉上。スカートをまくって股を開いて見せてくれませんか?」
私が仮面の女である目印を見つけたアルトの反応は皆様の想像にお任せする。
本編終了。おまけもあります。
おまけはかなり長いです。
おまけも本編というか、おまけを読まないとこの物語の全貌は見えないようなものなので、是非、おまけも読んでいってくださいませ。




