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夢にまで見た笑顔

今夜はディナトール家主催の夜会。勿論ロレッタ嬢にも招待状をお送りしている。

僕は飛び切り気合を入れた衣装を誂えた。艶のある濃いグレーのフロックコートに薄いグレーのベスト。コートと同色のズボン。白いシャツに黒いネクタイ。サファイアのタイピンをしている。足元は黒い革靴だ。

胸ポケットに小さな布の小箱に入った指輪を。


「お兄様…それは…」

「指輪だよ。皆が見ている前で婚約を申し込もうかと思ってね」

「そ、そうですわね。そこまですればのんびり屋さんのロレッタ様も流石に焦ると思いますわ」


シェイラは優しげに微笑んだ。

普通そこまでやったら致命的だと思うけどね。シェイラはすっかり自分が婚約を申し込まれるものと信じ込んでいる。

シェイラもまた飛び切り美しい衣装である。淡い淡い水色の可憐なドレス。儚げで可憐でシェイラの魅力をよく引き立てていると思う。



***



我が家の用意はすべて整い、ホールに人が入り始めた。色とりどりの紳士淑女。シェイラは早速友人を見つけて「遂に今夜ですの…」と自慢して回っている。


「なんだ? アルト、お前遂に…?」


噂を聞きつけたロバートが尋ねてきた。


「今夜、婚約を申し込もうと思っている」

「へえ」

「はは。振られたら笑ってくれ」

「そりゃねえだろ?」


みんな相手がシェイラだと思っているので僕が婚約を申し込んで振られることは考慮していないようだ。

実際はもしかしたら手酷く僕を振ってくるかもしれないロレッタ嬢がお相手なのだけどね。ロレッタ嬢はお心の内はともかく、外向きの言葉がきつい方だから、振るとしたら、かなり手酷くやられると思う。なんとか覚悟を整える。まあ、一度や二度振られたくらいで諦めるつもりなどないのだけれどね。どうにも僕は執着心が強いようだから。

ロレッタ嬢もやってきた。今夜もウェルス殿のエスコートではあるが…

思わず言葉を失う。

今夜のロレッタ嬢はちょっと凄かった。

いつも藍や紺などの寒色系のドレスを身に纏っていらっしゃることの多いロレッタ嬢だったが、今夜のドレスは深紅。大胆に胸元を開け、上半身の形が出るデザイン。腰のあたりからボリュームが出てふんわりと。開いた胸元には光を集めたかのような豪奢なダイヤのボリュームのあるネックレス。髪は上半分を編みこみ、サイドに寄せて深紅の薔薇の造花を飾っていらっしゃる。下半分は下ろしていらっしゃるが、艶のある波打つ髪がものすごく豪華に見える。

赤い薔薇の女王のような華やかな装いだ。ものすごく目立つ。僕の惚れた欲目を抜きにしても会場で一番目立って美しいのではないだろうか。

シェイラも気合を入れてお洒落していたようだが、ロレッタ嬢と比べてしまうと薔薇の添え物のカスミ草と言った感じだ。

シェイラもそのことを感じているのだろう。ちょっと鼻白んだ顔が隠せていない。

父上が開会を告げる挨拶をした。

初めのダンスはシェイラとだ。


「シェイラ、一曲いいかな?」

「勿論ですわ」


シェイラはニコニコ微笑みながらダンスを引き受けた。

うっとりと僕を見つめてくる。僕は笑顔を顔に張り付けた。一曲目が終わるとシェイラから離れた。


「お兄様…?」


シェイラはてっきり婚約を申し込まれると思っていたのだろう。僕は微笑んでシェイラの元から去った。二曲目はバーベナ嬢を誘った。


「バーベナ嬢、一曲お願いできますか?」

「ええ。勿論」


バーベナ嬢と踊った。バーベナ嬢は笑いながら首尾を尋ねてきた。


「どうですの? 準備の方は?」

「あとはお相手のお心次第ですね」


父上への根回しは済んでいる。シェルガム家への根回しは済んでいないが、今日ロレッタ嬢が指輪を受け取ってくださったら、父上が正式に婚約申し込みの書面を送ってくれる手はずになっている。順序が前後しているが、勢いで乗り切るつもりなので許してほしい。


「精々気合を入れなさいまし。今日の彼女は飛び切り美しいでしょう?」

「……あれはあなたの仕込みですか?」

「ふふ。美しすぎて飛び切り目立つでしょう? お気に召しまして?」

「美しすぎて他所の目も引くのが考えものです」


ロレッタ嬢のあまりの美しさに、思わず『観賞用』という心の箍が外れた男性たちがロレッタ嬢にダンスを申し込みまくっている。正直気が気ではない。


「まあ。早くご自分のものにして安心なさいませ」


バーベナ嬢は悪戯っぽく笑った。

2曲目が終わった。

人波を掻き分けてロレッタ嬢にお声がけした。


「ロレッタ嬢。お久し振りですね」

「あら。わたくしの顔など見忘れたのではなくて?(訳:お久し振りです)」


ロレッタ嬢はちょっとだけ頬を染めた。


「良ければ一曲踊ってくださいませんか?」

「仕方ないですわね(訳:喜んで)」


ロレッタ嬢を奪われた周囲の男たちの怨嗟の声が聞こえる。3曲目はしっとりとしたワルツだ。ロレッタ嬢の腰を抱き寄せた。


「あ…」


ぴっとりと引き寄せられてロレッタ嬢が潤んだ瞳で僕を見つめた。


「ロレッタ嬢はいつもお美しいですが、今夜は飛び切りですね」

「心にもないことを…(訳:本当にそう思ってる?)」


ロレッタ嬢はあれだけ衆目を集めながら、少し自信なさげな様子だった。僕はこんなにもうっとりなのに。思わず見惚れてしまう。


「本当に美しいですよ。僕の視線は釘付けです」


しっとりしっとり身を寄せ合ってステップを踏む。

ロレッタ嬢は僕の頭を抱え込むようにした。

僕は引かれるようにロレッタ嬢の唇に口付けた。ロレッタ嬢からの抵抗はない。甘く柔らかな唇を思うがままに味わった。


「ふ…」


唇を離すとロレッタ嬢が甘い息をついた。ロレッタ嬢はうるうると瞳を潤ませて頬を上気させ、しっとり濡れそぼったようなしどけない風情だ。

周囲にガンガンに注目されているのがわかる。ロレッタ嬢の背後にいたシェイラが信じられないものを見るような顔をしている。

ダンスを終えて、ロレッタ嬢に告白しようと思っていた。でも……僕の胸には小さな棘が刺さっている。絶えず気になり、痛み続ける棘が。


「ロレッタ嬢…あなたを『可愛い』と言い、愛してくださる方はどなたです?」


ずっとその存在が気になっていた。ロレッタ嬢が「『可愛い』と言われ愛されている」ことを誇りに思っているようだったから。ロレッタ嬢にとってその方の存在は無視できない大きさなのではないかと思ってしまう。


「何故、そのようなことを聞くの?」

「嫉妬で頭がおかしくなってしまいそうなのです」


僕にこのように口付けを許しておきながら、本当は別の方を想っているのではないかと考えるだけで胸が張り裂けそうなのだ。


「……もう、二度と会えない方です」


ロレッタ嬢が酷く悲しそうな顔をした。遠い瞳。


「すみません…不躾なことをお聞きして」


もしかしたら、死別された方なのかもしれない。お可哀想だと思うのだけれど…


「ロレッタ嬢にとってつらいこととは思いますが……あさましく喜んでしまいました」


酷く安堵している自分がいる。ロレッタ嬢を愛する方は、ロレッタ嬢とはもう二度と会えない方。ならばロレッタ嬢の心には、今は僕が映っているのかもしれない。


「……何故?」


不機嫌そうなロレッタ嬢のお声。でも僕は想いを告げる。


「お兄様!」


シェイラが怒った声で制止をかけてくる。僕は無視して告げた。


「僕はロレッタ嬢を愛しています」


ロレッタ嬢に思い切り頬を引っ叩かれた。痛いというより、熱い! と感じてしまう。


「どうして! どうして! どうして! 今更なんですの!? シェイラ様に愛を誓われたくせに‼」


ロレッタ嬢は激情の迸りを吐き出すとわっと泣き出した。

やはりシェイラはロレッタ嬢に焦りを抱かせるとか何とか言いながら、僕に愛を誓われたなどと吹聴して、ロレッタ嬢と僕の仲を引き裂こうと画策していたのだろう。

僕には「お兄様のお力になりたい」などと言って親切面して。非常に狡猾な手口だ。あのような娘を『可愛い妹』『根は優しい娘』などと信頼していたとはなんと情けない。人を見る目がない。良いように踊らされていた。

誤解は解かなくてはならない。


「ロレッタ嬢……僕はシェイラに愛を誓っておりません」

「え…?」

「誓って一度も。すみません、ロレッタ嬢の気を引くために…とシェイラに提案されて偽りの恋人を演じていたのです」

「な、何故…?」


ロレッタ嬢が戸惑った声をあげる。


「ロレッタ嬢からの手紙が届かなかったことに、ロレッタ嬢が先の方と僕との間に心が揺れているものと勘違いしてしまい…ヤキモチを妬かせようと…」

「ば、ばかっ!」


ロレッタ嬢も僕の勘違いのから騒ぎに呆れていらっしゃるのだろう。


「ばか! ばか!」


ロレッタ嬢がぽろぽろと涙をこぼすので抱き締めるとぽかぽかと僕の胸を叩いてきた。痛みを感じない拳は駄々っ子の様で可愛らしい。


「すみません…ロレッタ嬢が僕に唇を許してくださったことに意味はあるのでしょうか?」

「自分で考えなさいよ!(訳:わかりきったことでしょう!)」


バーベナ嬢もロレッタ嬢は決して尻軽な令嬢ではないと仰っていた。なのに僕に唇を奪われても全然抵抗なさらなかった。その意味は明白。


「それでもロレッタ嬢の口からお聞きしたいのです」


僕は恭しくロレッタ嬢の足元に跪いた。


「ロレッタ嬢。初めて出会ったその日から、あなたの虜になりました。愛しています」


愛しの姫に誓いを立てる騎士のような気持ちで、ロレッタ嬢の華奢な手をとり、手の甲に口付けた。

ロレッタ嬢の唇が戦慄く。


「…………わたくしがシェイラ様のようにアルト様の妹…『姉上』でなくとも愛してくださいますか?」

「勿論です。僕はどんなお立場の方であろうとロレッタ嬢を愛しています」


力強く頷いた。ロレッタ嬢を一人の女性として愛している。僕はシェイラを、血の繋がらない妹を、女性として愛することはできなかった。でももし、ロレッタ嬢が僕の血の繋がらない姉だったら、やはり僕はロレッタ嬢を愛したと思う。どちらでも良いのだ。万が一血が繋がっていたとしてすら愛してしまったかもしれない。

ロレッタ嬢の滑らかな頬は真っ赤に染まった。緊張と羞恥の高まったお顔だ。お可愛らしい。ロレッタ嬢は一生懸命口を動かしている。


「……わ、わたくしも…アルトを…」


ロレッタ嬢は口をパクパクしている。わかる。ロレッタ嬢が悪癖を宥め、何とか素直なお言葉を産み出そうと苦心していらっしゃるのだ。その一生懸命なご様子に、内心で応援を送りつつ、じっとお言葉を待った。


「あ、あ、あ、…愛して…います…」


立ち上がってロレッタ嬢を抱きしめた。


「僕と結婚してください」


小箱を開けてダイヤの婚約指輪を差し出した。

ロレッタ嬢が手を差し出してきたのでそっと薬指に嵌めて差し上げる。


「嘘よ!」


シェイラが近付いてきた。


「その指輪はわたくしのものですわ! 返して!」


シェイラの顔は鬼女のようだった。ヒステリックに喚き散らしながらロレッタ嬢に掴み掛ろうとするシェイラとロレッタ嬢の間に立ちふさがった。


「シェイラ。僕の心も指輪もロレッタ嬢のものだよ」

「お兄様!」

「出来ることなら、ロレッタ嬢から僕へのお手紙と、僕からロレッタ嬢へのお手紙を返して欲しいね、シェイラ」


シェイラが悔しそうに唇を噛む。既にシェイラの策略は底が割れているのだ。このような狡猾な策略家を可愛い妹だと信じたことが僕の一生の不覚だ。

シェイラは大衆の面前で僕に振られ、その悪事が露呈し、大恥をかいた。周囲にいい顔ばかりを見せて、可愛い皮を被っていたシェイラにはいい罰にはなっただろう。特に今夜は「遂にお兄様から婚約指輪を頂けることになったの」と自慢しまくっていたから赤っ恥だ。ブツブツと「こんなはずじゃなかった…おかしい…おかしい…」と呟いている。途中までは見事にシェイラの策略に乗っていたものね。情けなく、恥かしいことだ。


「もう二度と、わたくしの心を試すようなことはなさらないで」

「はい。ロレッタ嬢、愛しています。一生裏切ることなくあなただけを愛し続けます」


ロレッタ嬢はふわっと微笑んだ。

僕が求めて止まなかったロレッタ嬢の微笑み。なんてお可愛らしい…天にも昇る心地…

ふわっと本当に身が軽くなった気がした。



***



気がつくと真っ白な空間。金色に輝く妖精のような存在がいる。ボブカットの女の子のお姿なのかな?


「君は…?」


ロレッタ嬢は…? 僕、一体どうして…


「長い夢はどうだった?」


そう尋ねられた瞬間はっと自覚した。僕が本当はどこの誰なのかを。いや、アルト・ディナトールであることは変わらないが…僕は『姉上』と共に歩んできた世界一幸福な少年、アルト・ディナトールだった。どうしてこんな重要なことを自覚できずに訳の分からぬ夢など見ていたのだろう。混乱した。


「落ち着きなよ。説明してあげるから」


妖精は勝負の神バトロールの使い、パトルと名乗った。

僕にとっての現実の世界で、姉上に対してシェイラ嬢が禁呪を使ったらしい。そしてその余波を受けて僕の意識は先ほど見ていた長い夢…シェイラ嬢が望んだ『もしも』の世界に引き込まれていたらしい。

姉上とシェイラ嬢の世界をかけた勝負。もしシェイラ嬢が勝利していたら『もしも』世界は現実世界にとって代わっていたらしい。恐ろしい話だ。

親しくできなかった幼少期も含めて姉上と過ごした日々は僕の宝物なのに。姉上が勝利してくださって本当に良かった。

パトル様はこの後、シェイラ嬢に敗北宣告しに行くそうだ。ちょっと意地悪そうな顔をされていた。

周囲の白が蜃気楼の様に淡い光を放って揺らめいた。


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