妹との距離
ディックに唆されて便箋を購入した。薄い水色の便箋で左隅に少し濃いめのブルーの花が描かれている美しい便箋。ペンにインクをつけた。
《ロレッタ・シェルガム様
突然手紙をお送りする無礼をお許しください。
先日は嫌がるロレッタ嬢に無理矢理口付けなどして、申し訳ございませんでした。詫びて許される行為ではないと重々承知しておりますが、それでもお詫びだけは綴らせてください。大嫌いな僕などに口付けられ、さぞかし傷付いたことでしょう。自分の心のコントロールが出来なかったのです…いえ、長々と言い訳を綴っても罪がなくなるわけでもありません。
足の具合はいかがですか? 捻挫とのことですが、もう良くなられたのでしょうか? ロレッタ嬢が痛い思いをされたことがご不憫で、叶うことならその苦痛を代わって差し上げたかったです。
僕の前後を考えないような理不尽な行いで、ロレッタ嬢が他のご令嬢方に責められているのではないかと心配です。そのような状況を作りだし、申し訳なく思っております。
しかしながら、ああいった無体を働かれそうになったら、もっと強く拒絶・抵抗すべきと進言しておきます。
長々と文章を綴ってもご負担になるでしょうから、筆を置かせていただきます。
少々気温の不安定な季節ですがご自愛ください。
アルト・ディナトール》
悩みながら手紙を書いた。筆を置いて読み返す。最初に入れるべき時候の挨拶を抜いているが、一番伝えたかったことを一番上に持ってきた。形式からは外れているが、謝罪の気持ちは込められている
封筒に入れ、赤い蝋を垂らして僕専用の封蝋をして、乾かす。固まったら侍女に手紙を出しておいてくれるように頼んだ。
どんなお返事が来るか戦々恐々である。もしかしたら返事など来ないかもしれない。あんな無体を働けば怒り心頭であろうし。
ロレッタ嬢が眦を吊り上げるところを想像して(そんなお顔拝見したことがないが)胸を痛めた。
ロレッタ嬢に嫌われている。そんなことは理解している。でも僕はそれでもロレッタ嬢が好きなのだ。諦めきれないのだ。手紙を通してロレッタ嬢と細い細い縁を繋ぎたい。もし返事が来たとしても話題を繋げなくては次のお手紙が続かないかもしれない。悶々と頭を悩ませる。
果たしてあの文面で良かったのかと悶々と不安感に悩まされていると、トントンと部屋をノックする音があった。「どうぞ」と声をかけた。シェイラがおずおずと中に入ってきた。
「どうしたんだい? シェイラ。」
「…お兄様、わたくし今度ワイナール家の昼食会に行くの。ご令嬢のサマンサ様に誘われて…」
シェイラが不安そうな顔をした。
「良いんじゃないかな? 行っておいでよ。年頃の令嬢が集まるんだろう?」
シェイラは首を振った。
「年頃の殿方もいらっしゃるの…」
「へえ」
シェイラは僕の胸に抱きついた。シェイラと一緒に入ってきた侍女は見て見ぬふりをしている。僕にシェイラに対する『異性』の認識はないが、男女の間違いが起こってはならないのだからこういう時は止めるべきじゃないかと思うのだが。兄妹ではあるから許容されるスキンシップの範疇なのだろうか。
「お兄様も一緒に来てくださらない?…わたくし、こわいの…」
シェイラが瞳に涙をいっぱい溜めて不安そうに震える。シェイラの狡猾な一面を知ってしまった今はその仕草がわざとらしく見える。
思えばシェイラは何か思い通りにならないことがあるとすぐに涙を流して「ごめんなさい。高望みしちゃったみたい。悲しいけれど、私のことは気にしないで…」と健気に振舞い、同情票を集めて我を通す女の子だった。
自分の涙の価値をよく知っている。もうシェイラの涙に振り回されるのは止めよう。
「……シェイラ。距離を置こう。シェイラの気持ちは『妹』を逸脱していない?」
「『血の繋がらない』妹ですわ…」
「血が繋がってても血が繋がってなくても、僕はシェイラを『妹』以上には見られない」
シェイラは美しい瞳から透明な滴を零した。
「思い出してください…幼い頃のおままごと…夫婦として共にあったでしょう? わたくしはずっとお兄様のお嫁さんになりたいと、なれると思っていたのです…」
不安気に縋るようなか弱い仕草だ。
「懐かしいけど、それはおままごとだよ」
「わたくしはあの頃からずっとずっとお兄様をお慕いしておりましたの。おままごとの夫婦は将来現実になると信じてましたの」
シェイラがぱっと涙の滴を弾けさせて僕の目を見つめると真摯に気持ちを伝えてきた。幼い頃は無邪気に戯れ合ったね。僕はお兄さん風を吹かせて、シェイラがおままごとをねだると、仕方ないなあ、なんて笑って付き合ってあげていた。僕にとっては正真正銘のおままごと。
「信じても叶わないことはあるのだよ」
シェイラを諭した。
「お兄様…わたくし、ずっとずっとお兄様が振り向いてくださるのを待ってますわ。ずっとずっと…」
一途な想いを告げて誠実さを見せている。それと同時に「ずっとずっと」などと重い言葉を多用して、僕の気持ちに圧力をかけている。
でも僕もシェイラのことは言えない。僕だって特定の方がいるロレッタ嬢を諦めきれずに未練深いお手紙を書いたのだから。圧力こそかけてないが、執念深く諦めない姿はシェイラと変わらない。
確かに血は繋がっていないけれど、僕らは似ているところもあるんだね。
「僕はシェイラのことを妹だと思っているよ。だから妹の幸せを願っている。誰か素敵な人と結ばれることを願っている。僕以外の誰か素敵な人とね。昼食会にはいかないよ」
シェイラは泣きながら部屋を出て行った。
シェイラは5日ほど部屋にこもった。でも知っている。侍女が部屋に運んだ食事を3食食べて、深夜にこっそり入浴までしていることを。ショックを受けて引き籠もった様子を見せながら、その実ただの引き籠りと変わらない。
レネゼッタ母上は怒り心頭。「シェイラのような健気な娘に想われて何が不満なのです!?」とヒステリックに喚きたてている。
僕はレネゼッタ母上のことは極力相手にしないようにした。父も相手にしていない。
父上にはしばらく社交界に出るのを自重しようと思うという件を話した。少し意外そうな顔をされたが「代わりに仕事を仕込んでやろう」と言われた。僕は社交に出ない代わりに熱心に勉強をする時間をとった。真面目に取り組んでいるとシェイラも邪魔できないらしく一石二鳥である。




