闘技場の恐竜退治6
闘技場の入場門へと続く薄暗い通路。つい先日は三人で歩いたその道を、彼はただ一人、一歩一歩を噛みしめるようにゆっくりと突き進む。
何度も歩いたその道は、栄光へとたどる唯一の道のり。彼にとっては、ただの通過点に過ぎない。僅かな緊張と期待を胸に彼の脚は勇む。彼はこの雰囲気がとても好きだった。あの光を潜れば大歓声が彼を待ち受けていることだろう、頬が緩むのが分かる。この時を何より楽しみにしていた。
例え相手が誰であろうと、負ける気がしなかった。巨大な斧は、彼の身長よりも大きな三日月斧。彼は迷いなく歩を進める。
遠く歓声が聞こえ始めたところで、一人の亜人が彼を待ち構えていた。
「よぅ!」
軽く手を上げて、人狼の男は声をかける。
「なんだ、ルールーか……」
斧を担ぎ直しながら、視線だけを向けて呟いた。
「なんだ、とは失礼なやつだな。わざわざ来てやったのに」
「わざわざ来んなよ」
ルールーに対して、緑の竜人、イヴァンは少しだけ拗ねたように言葉を返した。
「ただの一回戦だろ。セコンドもいらねーっての」
「俺はお前のセコンドじゃねーよ」
と、何かに気付いたようにルールーは話す。
「残念だったな。天音さんがセコンドについてくれなくて」
「うるせーよ!」
ニヤニヤと笑う人狼を睨みつけた。
「結局、あれから天音は見つからなかったんだろ?」
「まぁ、ね……でも、なんだか面白いことになってるらしいから、少し様子を見に来たんだ」
「……なんだそりゃ?」
イヴァンは不思議そうに聞き返した。
こんなところまでルールーが来るのは珍しい。よほど暇だったのか、はたまた気が向いただけなのか。
「対戦相手のこと、知ってるか?」
「なんとか~マスク、とかいうやつだろ? 俺様に挑んでくるとはいい度胸だ!」
「中身はマスターだよ」
「……げ!」
露骨に表情を顰めるイヴァン。それも知らなかったのかよと、ルールーは呆れた様子。
リング名は自由に登録することができるので、出場条件と大会規則さえ順守していれば、名前を偽ろうと正体を隠そうと、どんなスタイルであっても構わない。今回の対戦相手は、サプライズとして名前を偽っていたようだった。ただし、ルールーも知っていたように、それは公然の秘密というもの。
「一回戦の最終試合だから、見世物という面もあるんだろう。イヴァンは現王者なんだから、これ以上ないパフォーマンスだろ」
自然と注目の集まる優勝候補の筆頭。それに加え、今回は予選での件もあるため、注目度は相当に高い。この試合を広告塔として、外のリージョンへ発信することによって、武道大会への注目度をよりいっそう上げたいという大会本部の思惑があるのかもしれない。
対戦相手のことはよく知っている。彼にとって、仇敵とも言える相手。暑苦しいやつだが、性格は嫌いではない。むしろ気が合うタイプと言ってもいい。何度も戦っているため戦術はある程度予想がつく、そのため、かえってイヴァンにとってはつまらなく感じる相手でもある。
そんな思いが表情に出ていたのだろうか、自分を見てクスリと笑った人狼に気がついた。
「……なんだ?」
「いや……。今回は、あまり甘くみない方がいいかもしいれない」
それは忠告だった。
「は……?」
「あのマスターが、この大会でイヴァンに挑んでくるんだ。ただで終わるはずがない」
回りくどい言い回しに、少しだけイヴァンの機嫌が悪くなるが、ルールーは面白そうにクックと笑うだけ。
「……何を知っている!?」
「行けば分かるさ」
そう言って、ルールーは光の指す出口の方を親指で指した。
ルールーを睨んでいても仕方がない。三日月斧を軽々と担ぎ直すと、イヴァンは出口へと、闘技場の入場門へと足を進めた。
『レディース、アーンド、ジェントルメー~~ン!!』
会場に響き渡る司会の男の声。
聞き流しながら、イヴァンは大きな歓声を受けながら、闘技場の中央へと進む。
『第一回戦もいよいよ最後! 今大会の最大の注目カードが、今始まろうとしています! 皆さん用意はいいですか?!!』
注目を浴びるのは嫌いじゃない。
昔からつるんでいた連中は、皆そうだった。別に自分から目立つ行動をしているわけではない、名を売ろうと派手に動いているわけでもない。ただただ、自分の思うままにこの〝世界〟を生きて、気がつけば周囲に見られていたというだけ。
それはきっと、彼女もそうなのだと思う。
『まずはこの男! この男がいなければ武道大会は始まらない! 東から登場したのは、前々回、そして前回王者の竜人、『魔王の戦斧』こと、イヴァーーーン!!』
大きな歓声が上がる。相当酷い野次も飛んでいるようだ。慣れたものなので気にしない。文句があるなら、お前もリングに降りて来いと。
『今大会、予選でも我々の度肝を抜いたイヴァン! やはりこの男、底が計り知れない! まさに闘技場の怪物、無敵の強さを誇る竜神!! はたしてこの男を打ち破る猛者は現れるのか?!』
予選クエストの後、グラディウスにいた知り合い達から、かなりの質問攻めを受けた。イヴァンが特殊スキルを使ったことに、相当驚かされたようだった。無理もない、長くいるルールーでさえあの様子だったのだ、自分たちの昔を知る人物は散り散りとなり、かなり少なくなってきている。
『いや、闘技場の怪物を倒すのは、この男しかいない!!』
こんなところで負けているわけにはいかない。互いによく知る相手だからこそ、油断は禁物。イヴァンは少しだけ集中すると、斧を再び構えなおした。
真正面の入場門を睨みつけた。
『皆さんお待ちかねの、闘技場の真のヒーローの登場だっ!!』
そして、闘技場の空気は一変する。
一陣の風が吹き抜けて、空には暗雲が垂れ込める。ゴロゴロと稲光が輝き始めると、闘技場の観客たちは一気に静まり返っていった。
どこからともなくスモークが立ち込め、向かいの入場門に光が集まる。開門すると、中には大きな男の黒い影が浮かび上がった。大音響のBGMが流れ始めると、それを超える激しいテンションで司会者がその男の登場を告げた。
『闘技場の真の王者にして、リージョングラディウスの真の主! リージョンマスター! チャーーンピオーーン~~!!』
割れんばかりの歓声が司会のアナウンスをかき消す。
「ウガ――――――ッ!!! アーイ、アーム~、チャンピオ―――――ン!!」
男の叫び声が闘技場に響き渡った。
それを見た瞬間。
「…………はあ?!!」
竜人の目は思わず点になった。
集中していた気合が抜けて、茫然とただただ見つめ返すだけ。
スポット明かりの中に現れたのは、黄金色の覆面マスクを被った上半身裸の巨漢の男。武器も何一つ持っていない、拳一つで戦い続ける男の中の男。鋼の筋肉に覆われた肉体、鍛え抜かれた上腕二頭筋はもはや芸術品のよう。
それはいい。想定の範囲内、派手な演出も予想の内。
問題なのは、その隣に佇む小柄な人影の存在だった。
ピンクの覆面マスクを被ったその人物は、肩に同じく小さなピンクのマスクをした動物を乗せていた。犬のような猫のような、二股しっぽの小さな獣。
その和服姿の女性は、マイクを高々と掲げて叫び声を上げた。
「がおーっ!! 我はチャンピオンであ~るっ!!」
「ガオ――――ッ!!」
「我に挑むとは、なんたる傲慢、なんたる不遜!」
「ウガ――――ッ!!」
「愚かな怪物よ! 我が正義の鉄鎚、受けてみよ――っ!!」
ゴールドマスクの叫びに合わせて、まるで通訳のように話すピンクマスク。
無駄にテンションを高めている彼らに向けて、イヴァンは怒鳴り返した。
「いやいや待て待て! お前、リージョンのどこにもいないと思ったら、何をこんなところで――」
「フンガ――――ッ!!?」
「シャラーップ!! 黙りなさい! 我の相棒、ピンクマスクに難癖付けるとは、もはや生かしておけん! ぶちのめしてくれよう!! ――そうですよね、チャンピオン! あのクソ生意気なガキをコテンパンに潰してやってください!」
最後に相棒の懇願を受けて、ゴールドマスクは大きく頷くと、まるで彼女を庇うように一歩前へと進み出る。
「お前ら人の話を聞け――っ!!」
そして、戦いの幕が切って落とされた。
「チャンピオン! あの<溜め切り>の構えはブラフですっ! 本命は矛先がもう5センチだけ下がります!」
「オオゥ!」
「余計なことを言うなぁああ――!!」
「ああ~! チャンピオン、彼が三日月斧を振り切った時は、左脇が甘くなります! カウンターを狙っていきましょう!」
「オウ!!」
「だああ――!! うるせー! やれるもんならやってみやがれっ!!」
「グ……ッ!」
「いけない! チャンピオンが危ない!?」
「ゼェゼェ……あと、一息だぜ!」
「このままでは負けてしまう! みんなーっ!! 私たちのヒーローに力を分けてあげてー~っ!! 歌うのよ! 我らーの、チャンピオーーン~♪ 負けるな~♪ がんばれ~~♪」
見る見るチャンピオンの傷が塞がってゆく。
「フンガ――――――ッ!!」
「お前が歌うなああああ――――!!!」
試合の結果。
リージョンマスター・チャンピオン、反則により失格。出場停止処分。
魔王の戦斧(前回大会優勝者)・イヴァン、装備全壊および死亡ペナルティにより第2回戦不戦敗。
~グラディウス編 終幕~




