121「涙とともに誓う」
「バカ野郎が。何やってんだよ」
昼前、クィントラの件の報告会が終わった直後。
三方を石の壁に囲まれた牢の中央で端坐するカシロウへ声を掛けたのは、遊ばせた前髪を指で摘んだディエス。
「そうだな。返す言葉もない」
「けっ、何かしら返せっつうの」
昨夜、蕎麦屋でカシロウを止めたディエスの言う通り、やはり己れはどこかおかしかったのだと、カシロウは今ならばはっきりと分かる。
心の平衡がおかしいなどと、甘っちょろい程度ではなく、はっきりとおかしかったのだろうと。
「んで? 何があった訳よ? わざわざビスツグ様お気に入りのハコロクどんを襲うなんてよ」
「…………いや、それはもう良いんだ。ヨウジロウに任せたからな」
「……ふーん。良いなら良いんだが、理由もなしってなると、いつまでも出らんねぇぜ?」
「それも良いんだ。しばらく入ってるつもりだから」
「…………ふーん」
やっぱりカシロウはおかしくなったままなんだ、ディエスはそう感じ、諦めたように一つため息をついた。
「まぁ良いや。用があったら大声で呼べ。ちょいと遠いが見張りの人影にゃ届くだろう」
「分かった。迷惑かけるがよろしく頼む」
「へっ、お行儀の良い罪人ってのも変なもんだ」
先ほどディエスは、いつまでも出られないと言ったが実はそんな事はない。
それどころか、既に魔王国としては釈放の段取りを進めていた。
夜明け前とは言え、一連の出来事を目撃した者が僅かにおり、さらに夜が明けてすぐのカシロウ捕縛についてはもう少しギャラリーが増えた。
よってそれは、耳の早い連中の噂となり始めていた。
魔王国にとってそれは拙い。
十天の元九位クィントラ・エスードの起こした事件もまだ記憶に新しい最中、それを収めた現九位ヤマオ・カシロウの乱心および捕り物。
拙くない訳がない。
知名度で言えばゼロに近いハコロクを悪者に仕立て上げてまで揉み消す方向で話は進んでいた。
結果としては死者も出ず、怪我人もヨウジロウに殴られたカシロウただ一人であったのも幸いした。
「ここの鍵は俺ら天影の者はみんな持ってる。出たくなったら言え。いつでも取り次いでやるから、手から刀出してこれ斬るんじゃねぇぞ」
ディエスはカシロウと自分を仕切る、太い木の柱で組まれた格子を手で叩いてそう言って、背を向けて牢を離れて行った。
牢の中に一人残されたカシロウは、なんだか色々と考える事がある気がしつつも考える事を一旦やめた。
伸ばしていた背を寛がせ、そのままゴロリと筵の上で横になる。
恐らくそうであろうリストルの仇であるハコロクについてを、ヨウジロウに任せてしまった事。
十二年間を費やしたヨウジロウを止める為の修練も、万が一が起こったとしてもヨウジロウを止める事は叶わないという、不本意な結果を以て区切りがついてしまった事。
その二つは、カシロウの肩から力を抜かせた。
――もう、成るようにしか成らん。
どちらも果たせなかったとは言え、カシロウは精一杯やった結果、遂にはその思いに辿り着いた。
――どう成っても、成ってから考える。
そしてカシロウはそのまま眠りに落ちていった。
● ● ●
昨夜は道場で徹夜したカシロウ、たっぷりと眠り、空腹を覚えて目を覚ました。
体を起こすと格子の外でヨウジロウが正座していた。
「おうヨウジロウ。どうした? こんな所に入ってきて良いのか?」
「一応許可は貰ったでござるが、どうした? ではござらんよ父上」
「何かあったか?」
聞けば十天の十位の話、やはりウナバラの予想通りに、ディエスの奴が辞退したらしい。
そして再び、ヨウジロウが十位に上がると言う話題が再燃したそうだ。
「どうしても嫌なら無理にやらんで良いが、そうでないならやれば良いんじゃないか?」
「いや、しかしそれがしは子供でござる。他に人材がいないと思われはせんでござろうか?」
「……ふーむ。確かに一理も二理もある。ユウゾウさんにそう伝えてみろ、それでもやってくれと言われるならば何か考えがあるんだろう。それからもう一度悩んでみろ」
お互いに剣と拳を向け合ったのは今朝だというのに、二人はいつもと変わらずに会話している。
しかし二人には全く違和感がない。
お互いに微笑みながら、いつも通りの父と子として会話していた。
「分かったでござる。そっちはそうしてみるでござるよ」
「もう一つあるのか?」
「こっちが本題でござる。ハコロクさんについてでござるよ」
二人を包む空気が僅かにピリッとする。
崩していた足を正し、背を伸ばして正座したカシロウが言う。
「聞こう」
「ハコロクさんも取り調べがあったんでござるが、父上と同じで、狙われた理由を言わなかったんでござる」
ハコロクもウノ直々の取り調べを受けたが、カシロウに狙われた理由を、「知らない」や「分からない」でなく完全黙秘したらしい。
当然怪しまれもしたが、そうは言っても被害者、ビスツグからの口添えもあって元通りの日常に戻っていた。
そして午後、ヨウジロウはビスツグの私室にてビスツグ、ハコロクと三人になった時に切り出した。
『ハコロクさんがリストル様を殺したでござるか?』
ヨウジロウなりにそれを聞くのはさすがに躊躇われた為、逆に平坦に、唐突に、抑揚のない声音でヨウジロウはそう言った。
ヨウジロウのその言葉に、即座に反応したのはハコロクでなくビスツグだった。
『ハコロクは悪くないのだ! 余が――、余が悪かったのだ!』
それに驚いたハコロクも一拍遅れつつも言った。
『いやワイや! 確かにワイがヤったんや!』
なんと二人はすぐに罪を認めた。
涙を流してお互いに罪を被ろうとする姿勢を崩さぬままで。
ヨウジロウはその後のやり取りを余さずカシロウへ伝えた。
廃嫡されるかも知れぬと怯えたビスツグの意を、汲み過ぎた結果、リストルは死んだ。
それを聞いたカシロウは、腿の上に置いた拳を強く握りしめて、ぽろりぽろりと涙を溢す。
その真実は、何一つカシロウの心を安らげるものではなかったが、とにかく真相が知れて良かったと、無理矢理にでも納得せねばと努めて言った。
「……ハコロク殿は、やはりあの『柿渋男』だったのか?」
「あ、いや、それは聞かなかったでござる」
「……どうしてハコロク殿は、私に狙われた理由を言わなかったのだ? 私の乱心のせいにすれば良かっただろうに」
「それは……。元々、父上に斬られるつもりだったらしいんでござる。真犯人として斬られればビスツグ様に累が及ばないと考えて……」
それを聞いたカシロウは複雑だった。
真相を知った今も当然憎しみはある、ハコロクどころかビスツグさえも斬って捨てたいと、そう思う心は確かにある。
しかし『呪い』から解き放たれてしまった己れよりも、ハコロクの方が現魔王ビスツグへの忠誠は明らかに篤い。
ハコロクを斬る事も、ビスツグを斬る事も、魔王国の為にはならないと、そう考える己れも確かにいた。
「リストル様の事をあまり知らないそれがしが言うのは違うかも知れんでござるが、二人を許してやって欲しいでござる……」
「…………」
それに対してカシロウは口を開かない。
ヨウジロウに任せたとは言え、己れでも納得しようと努めたとは言え、そうあっさりと納得のいくものでは当然ない。
「二人はしばらくまともにご飯も食べられんでごさるよ」
「……何故だ?」
「…………殴ったでござるよ、それがしが」
ヨウジロウは二人の頬をそれぞれぶん殴っていた。
ハコロクの頬も、魔王ビスツグの頬でさえも。
二人は殴られ、壁に叩きつけられ、泡を噴いて昏倒したらしい。
ヨウジロウはやり過ぎたかと慌てふためいて介抱したが、目を覚ました二人の顎はズレ、しばらくは食事さえままならないそう。
「……そうか、良くやってくれた」
カシロウは視線を上げて虚空を見上げ――
「ありがとうヨウジロウ。私はもう……、二人を責めんと誓おう」
――流れ続けていた涙を拭ってそう言った。




