120「神妙に縛につけ」
全く反応できなかったヨウジロウの拳。
カシロウはそれに対して思考の何割かを割こうとするが、それを待つ余裕はヨウジロウにもないらしい。
「父上ぇぇええ!」
ヨウジロウは体に神力を纏わせようともカシロウの様に肌を赤く染める事はしない。
薄らと白味がかった神力が、焔のように体から立ち昇るのみ。
ヨウジロウは叫びとともに、その身に纏った神力をそれぞれ掌に束ね、揃えた両掌から一間《ニm弱》ほどもある神力弾を撃ち出した。
カシロウは落ち着いて、素早く二尺二寸を真っ直ぐ振り上げて神力弾を縦に裂く。
――これは十分に対応が可能。
常人ならば斬り裂く事など出来はしないそれをいとも容易く斬り裂いたカシロウだったが、しかしヨウジロウの拳を再び喰らう。
べキィッと頬を殴られて橋の上を転がされるカシロウ。
――油断?
――神力弾で見えなかった?
そのどちらでもない。
カシロウは油断なく、しっかりとヨウジロウの拳を睨み据えていた。
にも関わらずにぶん殴られて叩きつけられた。
『鷹の目』は確かにその拳を捉えた。
しかし何故だか喰らってしまう。
唇の端から溢れる血を、肩で拭ったカシロウは今の己れに出来得る限りの神力を両眼に注ぎ込み、兼定を構えてヨウジロウの拳に備えた。
ちょうど夜が明け、陽の光が差し込み始めたその時、ヨウジロウが再び踏み込んだ。
高速で踏み込んだヨウジロウの姿もはっきりと目で追えた。
己れの懐近くで振りかぶったヨウジロウの拳もしっかり見えた。
なのに、ヨウジロウの左拳は無慈悲にもカシロウの腹を抉り、苦悶の顔を浮かべたカシロウの頬の辺りを再びヨウジロウの右拳が捉えた。
「――ぬぐぅっ」
欄干に叩きつけられたカシロウは、今度はその欄干をへし折って橋から落ちて盛大に水飛沫を上げた。
「ち、父上! 無事でござるか!?」
慌ててヨウジロウが堀を覗き込むと、ぷかりとカシロウの髷が浮かび、ゆっくりとカシロウが顔を見せた。
「……大事ない。すまんがヨウジロウ、ウノを呼んでくれ」
「必要ない。すでにここにいる」
堀に落ちたカシロウの割りと近く、城側の石積みに手を掛けてぶら下がったウノがそう言って姿を見せた。
「ウノ、お主見ていたのであろう?」
「私では貴方を止められませんから。とにかく先に上に上がりましょうか」
ウノが放ったロープの端をカシロウが掴むと、ウノは石積みを蹴って橋の上へと跳び、欄干に立って縄を手繰ってカシロウを引き上げた。
「父上! 大変申し訳ないでござる!」
そう膝をついてがばりと頭を下げるヨウジロウへ、カシロウは納刀した兼定を鞘ごと腰から引き抜いて手渡した。
「お前に落ち度はない、頭を上げろ。そんな事より悪いがこれの手入れを頼む。中までびしょ濡れなんだ」
「――え、あ? 父上……?」
顔から月代にかけてを両掌で一纏めに擦り上げたカシロウは、さっぱりとした顔でヨウジロウへと言う。
「……いやしかし、お前いつの間にあんなに強くなったんだ? 見えてはいるのに反応さえ出来ない拳、あれは一体なんなんだ?」
「何って事もないんでござるが――」
「時を止めているのか、とさえ思ったが」
カシロウの正直な思いだった。
ヨウジロウの飛ばす神力は赤子の頃のそれとそう大差なく、あの頃に比べれば余裕で対処できた。
しかしあのヨウジロウの拳だけは、ヨウジロウ以外の全ての時が止まったとしか思えなかった。
カシロウの『鷹の目』には確かに拳が見えていた。
それどころか、己に迫るヨウジロウの拳がゆっくりと進んでくる様にさえ見えたのだ。
「あれは……なんというか……反則みたいなものでござる」
「と、言うと?」
「それがしの竜の神さまの神力は幾ら使っても底が見えんでござるよ。それを目一杯使ってとにかく速いパンチを出したのでござる」
「………………ああ、なるほどな」
少しの沈黙の後、カシロウは理解した。
トノの眠る今、カシロウが唯一使える『鷹の目』により、異常に鋭くなった目だけがヨウジロウの拳を捉えたに過ぎず、素のカシロウの部分である体は全く反応出来なかったという事を。
竜の宿り神の持つ巨大な力を、万が一ヨウジロウが悪しき事に使う事があった場合にそれを止める為、己を鍛え上げたこの十二年。
その努力がなんの実も結ばなかった事に他ならないのだが、不思議とカシロウの心は凪いでいた。
「まさか無手のお前にボコボコにされるとは、な」
「そっ! それは父上がトノの力を使わなかったからでござるよ! 宿り神合戦になってたらどうなってたか――」
「まぁそう言う事にしておこう。とにかく今日のところは完敗だ。ハコロク殿の事もお前に任せる」
「……父上?」
カシロウの言うことがイマイチ理解できないヨウジロウを置き去りにして、カシロウが振り向いて言った。
「ウノ、待たせた」
「問題ない」
そう言ったウノは縄を取り出し、この国の警察機構である人影の定型の口上を述べた。
「魔王城にての刃傷事件首謀者として、ヤマオ・カシロウを引っ捕らえる。神妙に縛につけ」
「相分かった」
カシロウは揃えた手首を差し出して、ウノはそれにふわりと縄を乗せ、縛る事もせずに歩き出す。
お互いに認め合う二人、縛る必要も抵抗する必要もお互いに感じないが故の遣り様であった。
ウノに続いて王城へと歩くカシロウは振り向いて――
「ヨウジロウ、ユーコーの事も頼むぞ」
――それだけを言い残し、そしてウノに連れられたカシロウは王城地下の牢へ入った。




