118「対峙する二人」
窓から飛び出したハコロクは、少しの逡巡を見せつつも、諦めたように外壁伝いに王城南へと移動する。
「逃げてしもても良えんやけど、矛先がな……。ま、しゃあないか……」
ハコロクは誰に言うでもなく小さく呟いて、外壁を蹴って四間《≒7.2m》ほども離れた南門を跳び越えた。
堀に架かる木造の橋へフワリと降り立って、覚悟した筈だったが、やはりその顔に少し後悔を滲ませた。
――めちゃくそ怖いやんけ。
堀の向こう側、眦を吊り上げて立つカシロウと目が合ってしまったから。
「……朝帰りでっか? よろしいでんなぁ」
「……ハコロク殿はこんな早くにどちらへ?」
どちらへもクソもあるかいや、という心の声は呑み込んで、ハコロクは無理にでも落ち着いた声音を意識して話した。
「そんな地獄みたいな殺気振り撒いといて何言うてまんのや。知ってるとは思うけど、ここは魔王城やで」
「心配せずとも良い。お主が出て来てくれたのでな、とりあえず城には今は用がない」
――せやろと思てましたがな。
暗澹たる心持ちながら、常の如く剽げて見せたハコロク。
「へぇ。ほならワイに用でっか? なんかくれますのか?」
「くれてやる。ちょっと先が尖った物騒な物で良ければだが……」
カシロウが腰の兼定に手を掛けたと、そこまで認識したハコロクが突然後ろへ飛び退いた。
「ふふん、振り下ろしてから飛び退いているぞ?」
カシロウの言葉の言い終わり、はらりとハコロクの黒装束の前がはだけていた。
眼前を通った剣を感じはしたが、ハコロクの目にそれは全く見えなかった。
「いきなり何しますのや。ワイの可愛いらしい腹に用事ですかいや」
「まぁ実際のところそうなんだ」
「……は?」
少し惚けた口調のカシロウだが、その身から噴き出す殺気は一つも衰えてはいない。
ハコロクも必死に、カシロウの殺気を掻い潜り、少しでも和ませようと試みる。
「ワイの腹に! そりゃまた変わった用事でんなぁ!」
朗らかに、努めて明るくそう言ったが、場は全く和まなかった。
「――その腹、帯で付け締めればへこむんじゃないか?」
ぞわり。
ハコロクの背に冷たいものが這い登る。
――ちっ。ハコミ姉やんか。昔のこと覚えてへんかて、そりゃ殺生やで。
ほんの一瞬の、ハコロクの動揺を感じ取ったカシロウは、早々と先走って結論づけた。
「やはり……お主か――」
そう小さく呟いたカシロウは二尺二寸を頭上に掲げ、ふくよかな腹を晒したままのハコロクへ瞬く間に接近し、その剣を振り下ろ――
その時、ドォンという強烈な音が響き渡った。
それは地響きをも引き起こし、さしものカシロウらの動きさえも止めさせた。
「今度ぁなんやぁ!?」
そう言いつつもハコロクが、これ幸いとカシロウから距離を取るが、それを冷たく鋭い視線だけでカシロウが牽制し、そして音のした方、王城南門へと視線を遣った。
見るも無残に弾け飛んだ南門の扉。
その向こう側、小さな人影がボソリと呟いた。
「……やり過ぎたでござるよ……」
そう言って姿を現したのは、肩を落としたヨウジロウ。
「……ヨウジロウはん? 何してはんのや?」
「いやそれが……門の開き方が分からなかったでござるから……、力一杯叩いたらこんな事に……」
かなり微妙な空気の流れる中、ヨウジロウは姿勢を正し、改め直して門を潜って言った。
「父上、朝帰りはともかく――母上はカンカンでござったが――、王城にてのその殺気……、あまりにも不届きでござらんか!?」
「帰ったらユーコーには謝ろう。しかし、これはお前には関係ない。帰って寝ろ」
父と子の視線が絡み合う。
腹を晒したハコロクだけが、傍で佇みあうあうと所在なさげに視線を彷徨わせた。
「ハコロク殿はな……、リストル様暗殺の実行犯である可能性が高い。いや、まず間違いなくそうだ」
「――――!」
さすがにこの言葉には驚いたらしいヨウジロウ、カシロウを見詰めていた視線をハコロクへと遣ると、ハコロクはぶんぶんとその手を顔前で振っていた。
「退けヨウジロウ、お前に見せたくない。私はハコロク殿を斬る。斬らねばならん」
「………………」
「ヨウジロウ! 言う事を聞け!」
「聞かんでござる!」
父の叫びに対し、ヨウジロウも負けじと叫んだ。
僅かに驚いたカシロウの顔を見遣り、そしてヨウジロウはゆっくりと歩を進め、カシロウとハコロクの間に割って入って立った。
「父上! それがしは父上を止めるでござる!」
「……な、何を……、此奴はリストル様を――」
「仮にもしそうでも! 父上がハコロク殿を斬る必要は無いでござる!」
より一層あうあうとするハコロクを尻目に、バチバチと火花が見えるかの様に睨み合い絡み合う親子の視線が、不意に弾けたかの様に凪いだ。
ハコロクに対して向けていた、冷たく鋭い目に戻ったカシロウが言う。
「派手にやってくれたせいで時がない。邪魔するというのであれば、お前とて容赦はせん」
カシロウは右手に持った兼定をだらりとぶら下げて、いつもと同じ、必殺の構えを取った。
この時、ハコロクの思考はこうだ。
――なんやこの地獄の親子喧嘩は。
ハコロクははっきり言って、ここに、最終的にはカシロウに斬られる為に居る。
それはリストルを暗殺したのが自分であるから、と言う訳では決して無い。
ただとにかく、ビスツグにその累が及ばぬようにという考えが全てだった。
なのに事ここに来て、始まってしまいそうなスケールの大きな親子喧嘩。
これで万が一死人でも出ようなものなら、さらにややこしくなるのは必然。
だからハコロクなりに止めてみた。
「……あの、お二人さん? ワイの為に喧嘩せんかて良いんやで?」
「次は貴様だ、黙っておれ」
「ハコロクさん、黙って下がってるでござるよ」
二人に揃って黙れと言われたハコロクは、大人しく口を噤んで後退り、扉の吹き飛んだ南門の辺りに三角座りで待機した。
そして、二尺二寸を抜いて立つカシロウに対し、ヨウジロウは鞘ごと二尺を引き抜いてハコロクへと投げ渡す。
「どういうつもりだ?」
「それがしは父上を止めてみせるでござるが、父上を斬らんでござる」
「……ふん、舐められたものだ。怪我する前に帰って寝ろ」
橋の中央、対峙する二人の距離が縮まっていった。
前に明記してたかどうか(たぶんしてない)、南門の堀に架かる橋は木造なんですよ。




