113「ハコミ姉やん」
「……ハ、ハコミ姉やん――!?」
そう口走ったハコロクは固まっていたが、皆の視線を感じて口を噤んだ。
「……ハコロク? 『ハコミネエヤン』とは何だ?」
「へ? ワイそんなん言うてまへんで?」
ビスツグの問いにしらばっくれるハコロクを、この場の誰もが認めなかった。
さらに視線に晒されたハコロクは諦めて口を開いた。
「……ワイ、実は兄弟が多くってな。二十年程も前の昔やけど、姉やんが一人おらんなったんや」
皆の視線が今度はオーヤに向いた。
「その姉やんになんとなく面影が似てたんや……。でも、まぁさすがにそんな事ないやろ」
「……ごめんなさい。私には私がその『ハコミネエヤン』かどうかさえ分からないの」
オーヤ嬢が自らのこれまでを簡単に説明した。
拐かされ売り飛ばされたこと、天狗に助けられて天狗の里へ連れてこられたこと、そしてそれより前の記憶がないことを。
そして結局のところは誰にも分からなかった。
ハコロクを見たオーヤが、突然記憶を蘇らせるでもない限り、それは判明しないのだから。
「……気にせんといてや。さすがにそないな偶然ないですやろ」
オーヤ嬢=ハコミ姉やん説についてはそれでもうお蔵入り、一応は天狗に聞いてみるとオーヤが言うが、オーヤの話を聞く限りは天狗にさえ分からなそうだった。
そして忍術について。
結果は全く捗々しいものではなかった。
ハコロクの回答もほとんどオーヤと変わらなかったのである。
「すんませんなヤマオはん。ワイも転生者の親父から習った忍術しか知りまへんのや」
ハコロクは傍目に見てもすまなそうにそう言って続けた。
「せやからオーヤはんの忍術が柿渋に似てるっちゅうのも、この忍術しかこの世界にはなくて、ウチの親父の教えを受けた誰かに習うただけとちゃうやろか」
「そう、ですか……」
落胆するカシロウとは裏腹に、ハコロクとビスツグは心の中でホッと一息ついてた。
リストルの死の真相には、どうやってもカシロウに辿り着かせる訳にはいかない。
「……もし、もしもですよ?」
諦めのつかないカシロウは食い下がる。
「もしオーヤ嬢がその、『ハコミ姉やん』だとしたらどうでしょう?」
「どうもこうもない。ワイにとっては嬉しい話やけど、ただそれだけや。逃げた柿渋に繋がる事はないやろ」
ビスツグも内心ハラハラとそのやり取りを見詰めているが、ハコロクはさらにハラハラしていた。
ビスツグにとっては、リストル暗殺の実行犯がハコロクであること、故意ではないとは言えそれを示唆したのが自らであること、それが露見しない事が重要である。
しかし、ハコロクにとっては、柿渋=ハコロクである事をも誰にも知られてはならない。
天狗はただ一人それを知っているが、ビスツグさえもそれは知らない。
カシロウに対しては、失敗に終わったビスツグ暗殺も、成功したリストル暗殺も、行方の知れぬ柿渋装束の男に全て引っ被さねばならない。
ビスツグに対しては、『柿渋がリストル暗殺を果たしたように見せ掛けた』としてはいるが、当然、柿渋=ハコロクを隠さねはならない。
普段のハコロクならば、こんな綱渡りのようなややこしい事に首を突っ込む事はない。
さらりと行方を晦まして、どこか他国へ逃れるのが常。
しかし依頼人の目から逃れる為にビスツグ護衛を始めた筈が、今ではすっかりこの仕事にやりがいを覚えていた。
何故だか魔王ビスツグは己れに懐き、共に護衛の任に就くウノら天影の者からも確かな信頼を得た。
ハコロク自身も不思議だが、それらに愛着が湧いているよう。
いつの間にかハコロクは、無意識に己れを魔属と任じているらしい。
だから絶対に露見する訳にはいかない。
「まぁ諦めなはれ。柿渋も忍術を使う言うたかて、それから辿るんは、ワイには難しいと思うで」
「…………分かりました。お時間とらせて申し訳なかった」
「……父上……」
カシロウはオーヤにも、すまなかったね、と一つ言葉を掛け、肩を落として魔王の間を後にした。
オーヤもビスツグへ向けてがばりと頭を下げて、カシロウの後を追うように退出した。
ふぅ、と誰にも分からぬ程度の吐息を漏らしたハコロクとビスツグ。
「本当になんともならんでござるか?」
「お父ちゃんに似てヨウジロウはんも諦めの悪いこっちゃ」
「けど――」
「もし仮にや。その柿渋がやで、ワイと同じ忍術を使う奴やったとして」
ハコロクは一つ指を立てて言う。
「さらにワイの知ってる奴やったとしようや」
二つ目の指も立てて続ける。
「だからってワイにそいつの行方が分かると思うのん?」
立てた二本の指をくるくる回してパッと掌を開いて見せた。
――勿論分かるんやけど。それワイやから。
とは口が裂けても言えないハコロク。
「……それもそうでござるか……」
とりあえずは皆を納得させる事に成功したハコロクは、一つ肩の荷を下ろしたが――
――ピンときてもうた。ありゃ間違いなくハコミ姉やんや。ややこし事にならんとええけど……。
また一つ肩の荷を増やしていた。
● ● ●
カシロウは王城の自室に戻らずに、門を出て特に当てもなく歩いていた。
「ヤマオさま!」
それを町娘スタイルのオーヤが可憐に駆けて呼ぶ。
「…………あぁ、オーヤさんか。悪かったね、わざわざ来てもらったのに」
見るからに暗い表情のカシロウへ、オーヤが務めて明るく言う。
「これから天狗さまの所へ参りませんか? やはり何か相談するならあの方を置いて他にありませんわ」
確かにそれは間違いないなと、カシロウも首肯する。
あの『軽さ』でもって、時にひどい肩透かしを喰らいもするが、相談相手として最高の相手であるのは間違いないだろう。
「あらヤマオさまにオーヤちゃん。ごめんなさいね、あの人ったら急な用事で二、三日戻らないらしいのよ」
訪れた二人に「お宿エアラ」の女将、エアラ・カワキーヌがそう言って謝った。




