106「それを知らぬカシロウ」
カシロウの頭痛は酷くなった。
ギリギリと締め付ける様な痛みを感じ、ヒルスタの一番奥のカウンターに肘を突き、ぐぅっと唸って頭を抱えた。
「ヤマオさん、とりあえずこれ飲んで」
天狗が手にしたのは、怪しげな小さな黒い丸薬。
天狗は店主に水を汲んでもらい、丸薬をカシロウの口に捻じ込んで、少し待ってから水で一気に流し込む。
激烈な苦味にカシロウは目を白黒させて咳き込んだ。
「なんですかコレは!? 毒ですか!?」
「失礼なことを言うもんだね〜。ヤマオさんの為に昼からずっと作ってた出来立てホヤホヤの痛み止め、味は物凄いけど効果は保証するよ」
確かに天狗の言う通り、カシロウが苦味を感じた途端に頭痛がマシになった。
「これって一体なにが入ってるんです?」
「うん、それはアレだよ――」
立てた人差し指を口に当てた天狗が言う。
「――な・い・しょ♡ ってやつ。でも体に悪い物も中毒性もないから、安心して飲んで良いよ」
結局なにが入っているかは不明だが、効き目は確かに凄かった。
味さえ辛抱できるなら、これを欲しがる者は後を絶たないだろうと思えるほど。
「ところでアレからトノは元気?」
「それなんです。トノが姿を見せることが以前に比べてほとんど無いのです」
カシロウの体を借りてイチロワと戦ったあの日から、トノはほとんど姿を見せない。
この二、三日はたまに姿を見せるが、見せても二言三言の言葉を交わすとすぐに引っ込んでしまう。
本人が言うには、『眠くてしょうがない』らしい。
「やっぱりね。ヤマオさんの頭痛は精神的なものに因る所が大きいけど、トノの不調も関係あると思うよ」
「トノはどこか悪いのでしょうか?」
「いやいやどこも悪くないと思うよ。聞いた話じゃ相当暴れたらしいじゃない、イチロワちゃんの時」
天狗が言うには、宿主にがっつり干渉した宿り神など聞いた事がない、さらにトノの小さな神力では無理がたたって当然らしい。
そしてカシロウの魂と共にあるトノが眠りにつくという事は、カシロウの魂の力が低下する事と同義らしい。
「でもま、出てくるようになってるなら回復しつつあるんでしょ」
「そういうものですか」
「もうしばらくのんびりさせてあげれば良いさ。トノがすっかり回復すれば、ヤマオさんの頭痛も少しは軽くなると思うよ」
なるほど確かに、とカシロウはすっきりと納得した。
前世の戦場においては、誰よりも早く先陣を切るトノの側から片時も離れずにいた。
そして今世においては、己れの魂と常に共にあってくれるトノと、文字通り片時も離れた事はない。
今回の騒動、天狗にタロウにヨウジロウ、誰が欠けていても無事には済まなかったが、それはトノも一緒。
いや、トノがいなければ、少なくともカシロウは、間違いなく命を落としていた。
――トノが次に目を覚ましたら、キチンと礼を言わなくては。
そうカシロウが念じた時、さらに頭痛が軽くなった気がした。
もちろん単に丸薬の効果かも知れないのだが。
その後もヒルスタの料理を摘みながら、天狗からこの十日の色々を聞き、二人は腹いっぱいに食べ、満たされた気持ちで店を出た。
ちなみに支払いはカシロウが持った。
十二年前から世話になりっぱなしだし、単純にシャカウィブでご馳走になったのもあったから。
そして二人は、ヒルスタの料理のあれこれを、あれが旨かった、いやこれも旨かった、などと言い合い少し歩いてお宿エアラの前。
あれからここで寝起きしているタロウに声を掛けようかとも思ったが、すでに子供は寝る時間と考えてやめた。
十日分ほどの丸薬を手にしたカシロウは、明日はビスツグの下へ参上すると天狗に告げて別れた。
● ● ●
カシロウは帰路、夜闇の中を一人歩いて色々と考える。
明日はヨウジロウとともに部屋を出て、朝一番で魔王の間へと行く、これは決定事項。
そして先ずは詫びる、これも決定事項。
実際に頭が痛かったとは言え、十日は流石にサボりすぎたかと、少しだけ前を向いた己れの心がそう思わせた。
なぜ、カシロウの心が少し前を向いたか。
それは天狗から聞いた話の内の一つのせい。
トザシブに戻ってすぐ、主に天狗の口から語られたクィントラ事件の顛末。
当然シャカウィブから転送術により簡潔な書簡を送ってはいたが、事細かな報告を聞いたウナバラと二白天は絶句し、王母キリコは泡を吹き、そしてビスツグは慟哭した。
玉座から崩れ落ちて手をつき、ぼたぼたと溢れる涙とともにビスツグは慟哭した。
ビスツグはリストルの死の真相――クィントラの手の者による死――を知って慟哭したようだった、と言った天狗の言葉。
カシロウは未だ残る呪いの影響か、リストルの死を心から悼む者が少ない事に多大な不満を覚えていた。
それはカシロウにとって、最も魔王国の呪いを憎むべき点。
己れはもしかしたらすでに魔属ではないのかも知れないと、その思いこそ消えはしないが、カシロウと同様にリストルの死を心から悼む者がいる事が、単純に嬉しかった。
良く考えればそうなのだ。
魔王本人であるビスツグにとって、自らに忠誠を向ける事はない。
当然、自分の父の死を、心から悼む筈なのだ。
カシロウの心はそう思い当たって、少し前を向いた。
実際ビスツグの心には、父の死を悼む心はあり過ぎる程にあるが、慟哭の理由は異なる。
ビスツグの慟哭は、父は自らを次の魔王にと心に決めていたにも関わらず、自分で勝手に不安に駆られ、父に自らの手の者による死を与えた事。
それを知らぬカシロウの心は、少し、前を向いてしまった。




