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第90話 湯気さんと謎の光さんのおしごと

「さて、そろそろお風呂に入ろうか」

 

 恭弥が寝室に向かったのを見送って、咲良が提案した。

 

「では順番を決めよう。くじでも作るか?」

「ちっちっちっ、イリスちゃん? 私たちの世界には『裸の付き合い』って文化があるんだよ。

 ってことで、(みーんな)で入ります」

主様(あるじさま)の……

 ならば、私は異論はない」

 

 恭弥の世界の文化だと聞いたイリスは、即座に首肯する。

 

「アタシはアンナロッテ様の護衛ですから、湯殿を供にするわけには……」

「えー」

 

 ヤスナがやんわり断ると、咲良は不満の声を漏らす。

 

「ならば私が許可しましょう」

 

 すかさずアンナロッテの援護射撃が決まり、ヤスナは轟沈する。

 

 この世界には【生活魔術】があるため、基本的に入浴は単なる娯楽に過ぎない。

 それでも、湯船につかることで旅の疲れを癒やすことができることは、経験的に知っているため、ある一定水準以上の宿には風呂が用意されている。

 

 安い宿では共用の浴場が、少し値段を上げると個室に風呂がついている。

 

 どうしても裸になる必要があるため、貴族が複数人で入浴することはほとんどない。

 

 そのため、普通の王族や貴族であれば難色を示すはずだが、アンナロッテは咲良が言うところの「裸の付き合い」はすでに経験済みであるため、特段思うところはない。

 マリナも教会の大浴場(といっても、三人までしか入れないような広さだが)で、複数人で入浴することになれているため問題はないようだ。

 

 ちなみに、居住設備のない教会に浴場があるのは、特定の儀式を(おこな)う際に湯浴みが必要なことがあるからだ。

 

 

 

 

 そんなわけで、湯気さんと、謎の光さんがしっかりとお仕事をしている浴場内。

 

「うーん、こうして改めて見ると……やり過ぎたっていうか、恭弥張り切りすぎっていうか……」

 

 大事なマナーとして、『クリーニング』とかけ湯を済ませて、並んで湯船につかる。

 【生活魔術】を使うことができないイリスには、アンナロッテが『クリーニング』をかけた。

 

 ちなみに、マリナ>アンナロッテ>>咲良>イリス>>>ヤスナの順だ。

 なんの順番かは、ひみつだ。

 

「キョーヤ様は、これでも少々不満そうでしたが……」

「あの方は凝り性なところがおありなのですね……」

 

 水の浮力というものを十二分に体現しながら、マリナとアンナロッテが小首をかしげる。

 さすがは従姉妹同士というものだろうか?

 何がさすがなのかはわからないが、咲良曰く、「くっ。異世界人め卑怯な……」とのことである。

 

「あーオンセンがどうとか言っていましたっけ? これ以上どうするつもりなんでしょうねぇ……」

 

 ミレハイム王国には温泉は存在せず、ヤスナは温泉自体知らないのだった。

 古来よりくノ一と言えば入浴シーンだが、残念なことに色気が足りない様だ。

 数年後に期待したいところだ。

 

「現状に満足しない。それでこそ、主様です」

 

 獣のようにしなやかな身体を存分に伸ばしながら、イリスはうんうんと頷いた。

 

 

 彼女たちの話題はどうしても、この場にいない()の話題が中心となる。

 

 信を捧げる者、恋心を自覚している者。芽生え始めた感情をまだ理解しておらず感謝を捧げる者、献身する者……。

 渦巻く感情は各々違えど、彼女たちの繋がりは彼を中心に再構築されつつあるようだった。

 

「私は長湯は得意ではないので、先に身体を洗って出ようと思う」

 

 イリスはそう言って立ち上がると、シャワーが(しつら)えられている場所へと移動する。

 

 いつも通り、恭弥謹製の洗浄ソープを使用し全身を洗い始める。

 みるみる泡立ち、彼女の白い肌を……そして、銀色の美しい髪を泡が覆い隠していく。

 

 湯気さんと、謎の光さんの仕事が必要ないくらいだ。

 

「!? イリスちゃん! ちょーっとまったぁ!!」

「どうした?」

「そのシャンプー……いやボディーソープ? それ、どうしたの?」

 

 この世界ではまだ石けんは発明されておらず、代わりにザイフェの木と呼ばれる樹木に成るザイフェの実を使用する。

 ザイフェの実を適度に砕いて、綿などの布袋に入れて使用すると、『クリーニング』で落ちないような食器の汚れも綺麗になるほど洗浄力が高い。

 娯楽として入浴を楽しむ層では、これを利用して『クリーニング』では落としきれない汚れを落とす。

 だが、きわめて微弱ながらもタンパク質を侵す性質があるらしく、使い過ぎると肌が炎症を起こしたり、髪がゴムのようになったりするため、現在では月に一度程度か、汚れが落ちずやむを得ない場合のみのようだ。

 

 貴族などは代わりに香油を使ったり、ハーブを浮かべた湯船に入浴したりといった代替手段をとるし、最近では一般市民でもザイフェの実を定期的に使用する者は殆ど居ないそうだ。

 

 咲良もザイフェの実の存在は知っていたが、その性質も知っていたため今まで使用してはこなかった。

 

 ちなみに、『クリーニング』さえ使用していれば最低限の衛生は保たれる。

 

 それでも、現代日本と比べてしまうと、さっぱり度が違う。

 今はまだ、春先であるので問題はないが、これから夏にかけてのことを考えると不安が残る。

 

 そこに現れた、泡立ちからしてザイフェの実と比べるべくもない謎の洗浄液だ。

 咲良が興味を持ってしかるべきだろう。

 

「主様に頂いた。ザイフェの実と違って、肌荒れの心配はないそうだ」

 

 イリスの解答に、咲良だけでなく他の女性たちの目に力がこもる。

 実のところ、イリスはザイフェの実で身体を洗うということは知らない。

 

 ただ、獣人族は【生活魔術】を使用できないため、ザイフェの実を使って食器などを洗う。

 その際に手荒れする事を言っているのだ。

 

 泡立って汚れが落ちるという点では洗浄ソープもザイフェの実も同じであるので、互いに言っている内容が違っても奇跡的に話が通じているというわけだ。

 

「なるほど、イリスさんが他の方と比べて、肌つやが良く見えるのはそれのおかげもあるのですね?」

 

「何それ凄い! ……イリスちゃん、もしよければちょっと貸して貰えないかな?」

「……主様の許可がない限り駄目だ」

 

 洗浄ソープの瓶を抱きしめるようにして拒絶する。

 さすがにそれを無理矢理奪おうとする者はいない。

 

 咲良は、ガックリと膝をつき……

 

「ええ~そんなぁ……」

 

 とうなだれた。

 しかる後、急に元気を取り戻すと、

「いや、そうか。恭弥に頼みに行けばいいのか!

 そうと決まれば……よし、皆! 恭弥のところにねだりに行こう!」

 と言って、アンナロッテとマリナの肩を押した。

 

「いっいえ、(わたくし)は……」

「キョーヤ様に相談するにしても、明日にすればいいのでは……?」

 

 二人も興味はあるのだが、幼なじみの気やすさがある咲良とは違い、遠慮がちだ。

 

「予定では、迷いの森に着くのは明後日だけど、アスドラは優秀だから、明日には着くかもなんだよ?

 そうしたら、次こうしてお風呂に入ることができるのはいつのことになるやら……

 それにっ! 男の子の前で、『クリーニング』しただけの身体でいていいの? うら若き乙女として!

 (いな)っ! 断じて(いな)よっ!」

 

 握り拳を作って、声を張り上げる咲良。

 

 

 迷いの森の周りは魔物の領域だが、迷いの森の中まで入ってしまえば、中まで魔物はやってこない。

 迷いの森に到着するか、近くまで行ったのなら、迷いの森の中で夜を明かすことになる。

 

 さすがに木の生い茂る中、このコテージを展開するわけにもいかないだろう。

 

 

 結局、咲良の半ば演説のような意見におされた一行は、恭弥の寝室へと向かうのだった。

 

 

 

 †

 

 

 

「というわけで、洗浄ソープを分けて欲しいんだけど……」

 

 皆を代表してか、咲良がパンと手を合わせ拝むようにして頼んできた。

 

 ザイフェの実の存在は知っていたが、あれで身体を洗うのか……

 お風呂用のハーブを買いに行くと言っていたので、てっきり別な手段があるのかと思っていた。

 

 俺自身はずっと洗浄ソープを使ってきているし、獣人国では水浴びだけだったとイリスは言っていたので知らなかった。

 

 以前【真理の魔眼】で見たら、しっかり「苛性」って書いてあるんだけどな。

 

 まぁ、皆が皆【真理の魔眼】などの鑑定系のスキルを持っているわけでもないし、「苛性」と書かかれてあるといっても、【メニュー】スキルがないとはっきりと文字で見ることができるわけではないからな。

 

 経験則と合わせて判断した結果、偶に使う分には問題ないと判断しても仕方がないか……

 

 王族や貴族は避けているという点は、素直に評価したいところではあるけど。

 

「まぁ、いっぱい作ってあるから、別に構わないぞ。全員分渡せばいいのか?」

 

 元々、全員に渡そうとは思っていたのだ。

 しかしながら、なにかこだわがありそうだったので渡していなかっただけなのだ。

 

 ほら、女の子ってシャンプーとかにこだわるらしいじゃないか。

 買い物も彼女たちに任せっきりで、俺は一緒には行けなかったしな。

 

「大きいボトルがあるなら、それで大丈夫だよ?」

「冒険者ギルドで買った小瓶に入れてあるやつしかないな。もしくは、バケツ」

「バケツシャンプーって……小瓶でお願い」

 

 簡単にできるからな。思わず作り過ぎてしまった。

 瓶の在庫もないし、バケツに入れっぱなしなのだ。

 アイテムボックスに入れておけば問題ないしな。

 

 洗浄ソープの瓶を全員に配ってやると、喜び勇んで浴場に引き返していった。

 

「イリスは戻らないのか?」

「私はすでに洗いましたから。それより、お休みのところ申し訳ありません」

 

 机や椅子といった調度品を用意し忘れていたため、ベッドの上で【SP操作】を(おこな)っていた。

 そのため、ベッドの布団は僅かに乱れている。

 僅かな乱れを敏感に見て取ったイリスが、頭を垂れる。

 

「寝てたわけじゃあないから、頭を上げろ」

「ですが――」

「っていうか、また髪の毛を濡らしたままじゃあないか」

 

 咲良たちはまだ身体を洗う前だったので、髪の毛は濡れていなかったが、すでに身体を洗ったというイリスは髪の毛が濡れたままだった。

 どうせ、「主様に失礼がないように」とか言って、髪の毛も乾かさずに一緒についてきたのだろう。

 

 この世界にはドライヤーはなく、それに類する魔導具もない。

 まぁ、こういった類いのものは、思いつかないと作られないからな。

 

 ではどうするのか? 【生活魔術】にドライという魔術がある。

 水分を完全に飛ばす魔術だが、消費魔力は水分量に比例する。

 せいぜいが、生乾きになってしまった洗濯物を乾かすといった用途にしか使えない。

 魔力が足りたとしても、髪の毛に使うと一切の水分が飛ばされてしまい、大変なことになってしまう。

 

 まぁ、イリスは獣人族であるため、【生活魔術】すら使用することができないのだが。

 

 話が少し逸れたが、この【ドライ】を【錬成】で付与した櫛が売られており、これを使用するのだ。

 ドライコームと呼ばれるそれは、水分を飛ばし過ぎないように作られており、何度か梳かし続けていると乾いてくるといった代物だ。

 

 だが――

「ほら、入れ。久しぶりに髪の毛を乾かしてやろう。ドライコームは脱衣場にしか置いてないから、また前みたいに魔術で乾かすことになるけどな」

「でっですが……」

 

 声色こそ遠慮しているが、しっぽは大きく左右にぶんぶん振られている。

 嫌がってはなさそうだしいいだろう。

 

 

 イリスの髪の毛をオリジナル魔法『ドライヤー』と手ぐしで乾かしつつ、夜は更けていくのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぱじゃまの女の子がいても何もない健全な小説ですが、な・な・なんと60,000pt突破しました。

 

 偏にお読みいただいている皆様のおかげです。ありがとうございます。

 そして……評価、ブックマークして下さった方、ありがとうございます。

 

 これからもよろしくお願いいたします。

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