第74話 士官用テントにて
この世界での士官とは指揮権を持つ者の中でも、将校未満の者のことをいうそうだ。
将校は士官に対する指揮権と、士官不在の場合に限り、兵に対する直接の命令権を持つ。
今現在も現場で指揮を執り続けているのは、前線に派遣されている下士官たちであり、今の今まで絶望を背負い、時には残酷な作戦や命令を下士官たちに下していたのは、士官用テントにつめている上級士官たちである。
本来であれば、彼等も下士官に混じって前線で戦っているはずだが、この場――いや、将校以上の役職のものは1人もおらず、結果としてこのような状態におかれていた。
別段、この国の将校の全てが臆病というわけではなく、国からの指示が無いため動くことができないという事情があった。
そして、俺たちが「急いでこい」というデルリオ公の言葉を無視する形で、のんびりしていたのは、今目の前でおこっているような状況を予想していたからだった。
必死で前線を守ってきた士官たちにとって、デルリオ公はのこのこ遅れてやってきた貴族様だ。
聞けば、貴族院の会議には出席せず、代わりに色々と裏でやっていたようだが、下の連中はそんなことはわからないしな。
そもそもデルリオ公は、軍を率いて実戦を行った経験があるのかどうかも疑わしい。
今の王よりも王にふさわしいと言われ、その才覚を認められる英才・英傑であっても、そんな噂だけでいきなり皆の命を預ける程、この国の下士官は楽天家でも凡庸ではなかった。
俺の予想通り、デルリオ公は士官たちの手綱を握り損なっていた。
いや、表面上は握っているように見えるが、その実思い切り失敗している。
デルリオ公が行いたいのは既に交わされている議論、決まった作戦を180度変えるような作戦の提出及び決議だ。
しかしながら、実際にデルリオ公がやっていることといえば、会議の合間合間で「はい」以外の解答がないような質問に答えるだけといった有様だ。
いくらデルリオ公が優秀だろうとこの短時間で、自身への不信感をぬぐい去ること等できなかったというわけだ。
かといって、強権を振るい従わせる愚行にもおよべない。
まぁ、それが正しいので、それについてどうこう言うつもりはないが。
当然、デルリオ公とてこの状況を予想していたし、だからこそ「早く来い」と言っていたのだ。
恐らく、先の魔物の大量消滅と、Aランク魔物の討伐が藤堂恭弥の仕業だとでも言ってぶち上げるつもりだったのだろう。
とはいえ、本人不在ではそれも不可能。
予想通り、俺が到着するまでぶち上げさせてもらえなかったようだが。
まぁ、それでもいいけど信じてもらえるまで、それなりに時間がかかるだろうしな。
デルリオ公は証人としては弱い以上、もう一度士官たちの前で同じことをやってみせる必要があるだろうし、その状況に持っていくまでにも時間がかかるだろう。
まぁ、そんな面倒なことをするつもりはない。
だからこそ――
「皆の者、朗報があります。少々手を止めて傾聴してください」
士官用テントに入り俺の予想が的中していると判断した瞬間、打合せ通りに王女が声を張り上げる。
いつもとは違う、芝居がかった口調だ。
こういうところを見ると、王女なのだと思う。
重ねて言うが、士官たちが不審に思っているのは、魔物の大量発生が起こったときに、延々と会議を続けていた王族や貴族たちだ。
デルリオ公はその会議には参加していなかったわけだが、そんな細かい事情を彼らが知ってるわけもないし、知る権利もない。
だが、いち早く現場にたどり着き、彼らのために腐心した王族がいたはずだ。
彼らを前線基地へと運んだ王族がいたはずだ。
前線基地で戦う彼らよりも更に最前線である、ヘルムエル迷宮に向かった王族がいたはずだ。
デルリオ公は他の貴族とは違い、王女に敵意を持っていないようだが、それでも自分の娘と年の近い姪っ子だからだろうか?
下に見ている節がある。
今回は、それを利用させてもらったというわけだ。
まぁ……正直なところ、さっきの意趣返しという気持ちも大いにあるわけだが。
やりやがったな? という目を向けられるが、無視する。
ヤスナの影魔術経由でのぞき見していたデルリオ公よりも、目の前で力を見せた王女の方が説得力があるだろう?
それに、もともと王女は兵たちから慕われているらしいしな。
それで倍率ドンだ。
それにしても、王女の立場でよく俺の案に乗ってきたものだと思う。
下手をすれば――いや、別に下手をしなくても、デルリオ公の顔を潰すことになるだろうに。
何か心境の変化でもあったのだろうか?
まぁ、先の貴族たちの件で少し恨んでいたのかもしれないな。
王女は、ヘルムエル迷宮で何が起こったかから始まり、俺が魔物どもを根絶やしにするまでの話を語って聞かせた。
……魔物を倒したくだりは、勇者や王女、それに女神の巫女を救出するためにやったことになっていたが。
咲良と王女は兎も角、捕らえられた獲物よろしく劣飛竜に掴まれていたマリナさんは存在自体認識していなかったのだが……
まぁ、これくらいは方便だろう。
「――そうして、私たちの窮地に駆けつけて下さった、キョーヤ殿によって私たちは一命を取り留めたのです。私の命、女神の巫女の命、勇者咲良の命を救って下さいました。
……そして、その行動は皆さんも救うこととなりました」
意味深な部分で言葉を切る王女。
「まさか……」
士官たちがざわめき、誰とはなく疑問が漏れる。
王女は、気分を害した風もなく、にっこりと柔和な笑みを浮かべた。
「はい。そのとおりです。皆さんが想像しているとおり、先程皆さんの窮地を救った例の現象は、ここにいるキョーヤ殿が私たちを救うためにやったことなのです。
そして、私はそのまま彼と交渉し、共に戦っていただけることとなりました」
「「「「おおおおっ!!」」」」
と歓声が上がる。
デルリオ公は、「やってくれたな」と言わんばかりにこちらを見ている。
だが、どこにでも水を差す奴というのはいる者で……
「恐れながら、王女殿下。それは事実なのですか? あの現象、単なる天変地異だと言われた方がまだ納得ができるのですが……」
だが、こういう奴こそ重要だ。
それに、この展開を待っていた。
事実だという前提を元に、それに対する証拠を求める。
いや、事実だと信じたい、信じさせてくれということだろう。
王女は俺の方をチラリと見ると、小さく頷いた。
「あーただいま紹介にあずかった、藤堂 恭弥だ」
名前を言っただけなのに、士官たちがざわめく。
「……冒険者登録をして、1週間足らずでBランク直前とまでいわれているあの……?」
「最近、長期の依頼を受けたとかでセーレを離れたんじゃあなかったか……?」
「ああ、それで、マーティの奴が冒険者ギルドに乗り込んでいったからな」
貴族たちとは180度違う事前評価のようだ。
ざわつきが落ち着くのを少し待って、改めて士官たちを見渡すと、一気に魔力を練り上げた。
外に向けず中で循環させているだけなので、マリナさんのような物理現象は起こらない。
だが、ここにいる士官たちはただ命令するだけの無能者ではない。
一戦闘員としても優秀な者たちだ。
物理現象を伴わずとも、今この場で何が起こっているのか理解できるはずだ。
そして――
「――顕現せよ」
シンシアを顕現させる。
彼女が何者であるのか知らしめるため、ほんの一瞬だけ普段は抑えている威圧感を解放する。
たった一瞬。それだけでざわめきは完全に止まり、終始不敵な笑みを崩さなかったデルリオ公ですらも、まるで呼吸を忘れたかのように息を止めてシンシアを見つめている。
俺はいい加減慣れてきたから、インパクトのためにちょっと威圧してもらったけど、やりすぎだったかもしれない。
シンシアの人間離れした容姿だけで十分だったかもしれないな。
「精霊……? それも人型の……?」
「ああ、俺の契約精霊。シンシアだ。彼女と協力して、事に当たらせてもらう」
そういうと、シンシアは仄かに光った後、顕現状態を解いた。
虚空から現れて虚空に消えたように見えただろうが、実際のところはずっと同じ場所にいる。
要は単なる演出だ。
「《どう? 精霊帝の娘っぽかったでしょ?》」
「(ああ、皆びびってたな)」
裏では緩い会話をしているとは露ともしれないだろう。
「キョーヤ殿の実力をまだ理解できていない者はいますか?」
と、ここぞとばかりにたたみかける王女だったが、そんな必要はなく、場は再び歓声に包まれた。
「勝てる! 勝てるぞ!!」
「救世主だ! いや、救世主様だ!!」
勇者より凄そうだな。救世主。
面はゆいけど。
盛り上がる面々とは正反対に、デルリオ公は肩をすくめていた。
「それでは、デルリオ公――いえ、デルリオ大元帥。戦局を大きく変えるキョーヤ殿を加えた状態での、新たな作戦立案をお願いします」
そして、ちゃっかりデルリオ公に恩を売るのを忘れない王女。
ここまで流れを持ってきた王女の指名だ。
文句をつけるものなどいなかった。
表立って……ではなく、先ほどまであった微妙なわだかまり自体が薄れているように見えた。
デルリオ公もそれを理解しているのか、苦い笑いを浮かべると、予め用意していたであろうプランをすらすらと述べ始めた。
改稿履歴
将校以上の役職の人の状況を記述しました。
旧:
士官とは指揮権を持つ兵の中でも、将校以下の者のことをいうそうだ。それは地球でもそうだったし、この世界でも一緒のようだ。
今現在も現場で指揮を執り続けているのは、前線に派遣されている下士官たちであり、今の今まで絶望を背負い、時には残酷な作戦や命令を下士官たちに下していたのは、士官用テントにつめている上級士官たちである。
「急いでこい」というデルリオ公の言葉を無視する形で、のんびりしていたのは、今目の前でおこっているような状況を予想していたからだった。
新:
士官とは指揮権を持つ者の中でも、将校未満の者のことをいうそうだ。それは地球でもそうだったし、この世界でも一緒のようだ。
今現在も現場で指揮を執り続けているのは、前線に派遣されている下士官たちであり、今の今まで絶望を背負い、時には残酷な作戦や命令を下士官たちに下していたのは、士官用テントにつめている上級士官たちである。
本来であれば、彼等も下士官に混じって前線で戦っているはずだが、この場――いや、将校以上の役職のものは1人もおらず、結果としてこのような状態におかれていた。
別段、この国の将校の全てが臆病というわけではなく、国からの指示が無いため動くことができないという事情があった。
そして、俺たちが「急いでこい」というデルリオ公の言葉を無視する形で、のんびりしていたのは、今目の前でおこっているような状況を予想していたからだった。




