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第65話 開戦(後編)

「おい、何かおかしいぞ?」

「確かに魔物が、溢れてきているねぇ。ありゃあ、結界が持たないんじゃあないか?

 それに……」

「ありゃあ、Aランクモンスターのヒュドラだな、他にもAランクBランクがうじゃうじゃいやがるぜ……」

 

 冒険者ギルドが定義している、魔物ランクは冒険者ランクとは全くの別物だ。

 Aランクの魔物だからといって、Aランク冒険者が倒せるかというとまた別な話で、単に魔物の脅威度によって、FからSSSまでのクラス分けがされている。

 

 Sランクの魔物で、災害レベル。小国であればたった一匹出現するだけで滅亡するといわれており、SSランク以上は伝説上の魔物で、実際に存在が確認されているものではない。

 

 通常であれば迷宮に出てくる魔物は、大体Dランクまで。ボスでCランク。

 高位の迷宮になると、迷宮の主がBランクとして現れる程度だ。

 

 Aランクモンスターのヒュドラは過去に攻略された中で最大ともいわれている迷宮のボスであり、ギリクがAランク冒険者として有名になった魔物でもあった。

 

 

「アタシは、Bランクの魔物とすら、まともにやったことはないよ……それに、このままだと、Sランクの魔物も……

 ちっ、さっき見たときまでは、まだCランク程度だったのに!? 一体何が……!?」

 

 彼等は気がついていなかったが、中和剤の効果は、『魔寄せの香』や『魔除けの香』の効果を単に打ち消すものではない。

 それぞれの効果時間と効果範囲を一瞬のうちに凝縮し一気に反応させて、消滅させるのだ。

 

 『魔除けの香』なら、これで良かった。

 凝縮させて反応させたところで、何の効果もないからだ。

 

 『魔寄せの香』であっても、これが魔物の領域のように開けた場所であるなら良かった。

 効果時間だけでなく効果範囲も凝縮するので、効果範囲外の魔物には一切の影響がないからだ。

 

 ――だが今回は違った。

 

 大量の魔物が、結界という密室の中に押し込まれているのだ。

 しかも、迷宮で『魔寄せの香』を使った場合は、迷宮に魔物を生み出させる効果があるのだ。

 

 大人数の風魔術によって結界の中はもとより迷宮の中まで中和剤は散布され、濃縮された『魔寄せの香』の効果が、まさに一瞬の間にヘルムエル迷宮に急激な影響をおよぼしたのだった。

 

 そのため、予定時間より幾分早く結界が悲鳴を上げ始めた。

 

 結果としては、予定時刻が早まっただけかも知れなかったが、見た目のインパクトは大きなものだった。

 

 そして、優秀な冒険者ほど、その()()に敏感だ。

 

「おいてめぇらぁ! 撤退だ! 撤退準備をしろ!!」

「あと10秒で散布が完了します!!」

「ちっ、ならとっとと終わらせろ!! 王女サマ。いつでも逃げられるように、準備だけたのむ。俺はしんがりで行く」

「はっ、はい。『ゲート』!」

「おーい!」

 アンナロッテが、転送ゲートを作り、咲良が劣飛竜(ワイバーン)を呼んだ直後。

 

 ――パリン!

 

 とガラスが砕けるような音とともに、轟音と振動が響き渡った。

 

 どこからか、「散布完了!」という声が上がったが、結界の破砕音と魔物たちの怒号にかき消されてしまった。

 

「撤退だ! 撤退!!」

 

 と叫ぶギリクの声も、仲間たちに伝わらない。

 だが、さすがは海千山千の冒険者たち。聞こえずとも自己判断で逃走を決めたようだ。

 結界が壊れた際の振動にも、魔物たちの圧力にも足を竦ませることなく、ゲートに向かって一目散にかけてくる。

 この中では一番経験の浅いメロでさえも、その俊足をみせていた。

 メロが落ち着いているのは、モンスターハウスを一度経験しているからかもしれないが。

 

 ギリクは転移ゲートの前に陣取り、背中に背負った二本の大剣を抜き放ち、鬼神のような表情で迫りくる魔物たちを斬り伏せていた。

 運が良いことに、魔物たちは振動に足を取られているためか、進撃を始めた魔物はまだ少数だ。

 

 転移ゲートは人間は通すが魔物は通さないようになっているため、魔物がいきなり前線基地に飛ばされるということはないが、その周りを取り囲まれるとさすがに面倒なことになるため、ギリクの役割は重要だ。

 

 そして、転移ゲートの行方を確認することなく、アンナロッテと咲良も劣飛竜(ワイバーン)に飛び乗った。

 

 だが……

 

 

「サクラっ! マリナがっ!!」

 

 アンナロッテが指し示した方向を見ると、逃げ遅れ、尻餅をついたままその身体を硬直させるマリナの姿があった。

 

 アンナロッテの指先を追っていた咲良は、マリナの姿を発見するなり、

「ええっ!?」

 と驚きの声を上げつつ、劣飛竜(ワイバーン)を降下させた。

 

 そして、ワシッと劣飛竜(ワイバーン)前足でマリナを掴むと、急角度で空へと舞い上がった。

 

(幸い、高高度を移動する魔物はまだ出てきてない。このまま、高高度まで飛び上がり逃げ切ってしまえば……)

 

 と、安堵のため息をつきそうになる咲良だったが、それはかなわぬ夢となった。

 

「くっくぇぇぇぇ」

「うーん、さすがに3人はキツいか……

 ある程度の高さで、手早く移動するしかないかな……?

 ねぇ、アンナ……? 一体どうし――」

 

 下の様子を見ながら表情を硬直させているアンナロッテを見て怪訝に思った咲良は、同じように地上へと視線をはわせ、そして同じように言葉を失った。

 

 それは、何万……いや何十万という数の魔物がゲルベルン王国、ミレハイム王国双方に向かって土煙を上げながら移動する様子だった。

 

 アンナロッテは、今は二手に分かれバラバラに移動していく魔物たちが、一直線にミレハイム王国だけに向かってくるというあり得た未来にぞっとした。

 また、魔物が二手に分かれたとしても、いつもの10倍――いや100倍以上の戦力を相手取る必要がある事実が、アンナロッテから思考能力を奪ったのだった。

 

 

「もし墜落したら、洒落にならないわね……」

 

 と、咲良も精神的、肉体的ともに冷や汗を流しつつ、フラフラと劣飛竜(ワイバーン)を駆るのだった。

 

 

 そして――今、この地に猛然と向かう2名+1匹の姿が遠くの空にあるのだが、低空を千鳥足飛行する咲良がそれを目にすることはなかった。

 

 

 

 

 

 †

 

 

 

 

 ヘルムエル迷宮の轟音と、結界が破砕した振動はゲルベルン王国だけではなく、ミレハイム王国にも届いていた。

 

 前線基地では、あと数時間後に始まる予定の、魔物の大量発生への対処に追われていた。

 

「おいおい、この揺れは……まさか……」

「ああ、少し早いが始まったようだな。ヘルムエル迷宮に行った連中が無事なら良いが……」

 

 と、震源地の方へ向かい、仲間の無事を祈る冒険者の前に、突如転移ゲートが開き、倒けつ転びつといった(てい)で、ヘルムエル迷宮へ向かった冒険者たちが転移してきた。

 

「おっ、おいおい、何があった?」

「はっ……始まった! 魔物の大量発生が……!!」

 

 そう言って、逃げてきた冒険者は顔を青くさせる。

 

「そりゃあ、何となく察しがついちゃあいるが……

 で? 見たんだろ? どんな感じだ?」

 

 と質問をしている間に次から次へと、転移ゲートを潜って冒険者たちが戻ってくる。

 

 そして、ギリクが出てきたのを最後に、誰も出てこなくなった。

 

「おい、王女さまと、勇者、それに教会のシスターはどうした?」

「その3人は、別ルートで逃走中だ。思ったより規模がでかい。

 都市セーレからの移動を急がせろ。あと、レトナーク要塞に送る人員を減らして、こちらに回してくれ」

 

 ランクA冒険者の中でも、ピカイチに実力が高いとされるギリク。

 いつも、どこか余裕風を吹かしている彼が、見せる焦りに冒険者たちの空気が凍る。

 

 そして、伝えられた魔物の大量発生の規模に、前線基地につめている全員が()()()()を経験するのだった。

 

 

 

 †

 

 

 

 詩人は、その絶望を歌にすることはできないと言った。

 歴史学者は、歴史上それ以上の絶望は存在しないと言った。

 軍事家は、速やかなる逃走を提案した。

 

 ノンフィクション作家は、本当のことを書けば書くほど、フィクションに近づくと悲鳴を上げた。

 

 結界が破壊されてから、約2時間。

 前線基地からの様子は正に、地獄絵図だ。

 

 地平線まで埋め尽くすほどの魔物の大群。

 それが、陸、空、そして地下を問わず、一挙に押し寄せてきたのだ。

 

 数を数えることなどおこがましい。

 そんな圧倒的な数の暴力。

 いや、暴力的なのは数だけではない。

 

 先頭に見える魔物たちからして、CランクからDランクなのだ。

 

 パーティー全員で。

 時には、複数パーティーで討伐するべき魔物たち。

 

 それですら、雑魚にすぎないのだ。

 

 たいして、人間側の戦力は約3万。

 これ以上はない。

 

 最前線で食い止められなければ、僅か1000名の兵しか残っていない、レトナーク要塞で食い止める他なくなる。

 

「ちょっとひと当て……で済みそうもないなこりゃあ……」

「魔術師部隊の砲撃でどれだけ削れるか……」

 

 そう言って、重戦士の男は櫓の上から、魔術を放たんとしている魔術師部隊を見上げた。

 魔術師部隊の前にいる弓兵部隊も、不安な表情を隠しきれていない。

 

 

「うてぇ!!」

 

 

 爆炎。

 爆風。

 氷結。

 雷撃。

 落石。

 

 

 魔術師たちの最大火力の攻撃が、雨あられと、魔物たちの群れへ突き刺さる。

 

 確かに数は減っただろう。

 

 だがそれは、砂漠の砂をひとすくい奪っただけに過ぎない。

 ひとすくいどころか、ひとつまみかもしれなかったが。

 

 

 魔術をくぐり抜けてきた魔物たちに、弓兵部隊たちの矢が、雨あられと降り注ぐ。

 

 それは、魔力を乗せた強力な矢。

 それは、魔力変換させた属性矢。

 それは、一本一本が銀貨1枚もする、特殊矢。

 

 弓兵たちの切り札が、惜しげもなく放たれ、魔物たちの命を散らす。

 

 だが、それでも……

 

「おい、来やがったぜ! てめぇら! 気張れ! ここから一歩も通すな!!」

 

 ファランクス隊形に陣取った重装部隊たちが、魔物たちの突撃を正面から受け止め、その横から軽装兵たちが攻撃を加えていく。

 ボス戦ではよく見かける光景ではあったが、規模が違う。敵の数が違う。

 

 魔物もやられてばかりではない。

 

 後方からはなられた【氷魔法】が、弓兵にそして重装兵に突き刺さり、たやすく兵士たちの命を奪う。

 

 軽装兵の中には、ヘルムエル迷宮から逃げ帰ったばかりのディアンダの姿もあった。

 魔物たちの攻撃をかいくぐり、うまく攻撃を当ててはいるが、仕留められている魔物どころかダメージを与えられている魔物でさえごく僅かだ。

 

「こりゃあ、きりがないなっ!」

 

 ガギィン!

 

 ビッグビーに放った渾身の一撃は、その固い外殻に防がれ、傷つけることもかなわない。

 

「ビッグビーのくせに何て固さだっ!?」

 

 ビッグビーは迷宮の低階層に現れる低ランクの魔物だが、どうやらこのビッグビーは高レベルのビッグビーのようだった。

 

「こいつでどうだいっ!? 剣技――『強撃』ッ!!」

 

 破壊力重視の剣技は、ビッグビーの甲羅を突き破ることに成功した。

 ――が……

 

「っ!? 抜けない!!」

 

 甲羅を突き破り、大ダメージを与えたところまでは良かったが、斬り飛ばすまではいかず、外殻と筋肉に剣を捕らわれてしまった。

 

 とっさに、ナイフを抜いて攻撃をさばきつつ後退するが、それを好機とみた魔物たちがディアンダに殺到する。

 

(もはや、ここまでか……メロ、アタシにあこがれて冒険者になるのはいいが、こんな無茶までは真似しないで欲しかったよ……)

 

 

 ――だが、彼女の命を奪う衝撃はいつまで経っても訪れなかった。

 

 重装兵たちに攻撃を加えていた魔物たちが、文字通り消滅したのだ。

 よくよく見てみると、魔術兵の魔術が届かない大群の中腹より先、約一キロにわたっての魔物が消滅していた。

 

 何とか後方へ下がるディアンダの目に映ったのは、消滅したはずの魔物が上空から雨あられと降り注ぎ、地上の魔物を殲滅する様子だった。

 

 しかし中には、うまく着地なり回避なりを行う個体も存在する。

 

 空を飛ぶ魔物しかり、高速機動を売りにする魔物しかり、Aランクモンスターしかりだ。

 

 だが――

 

 空を飛ぶ鳥形の魔物が突如として地面に縫い付けられた。

 虫型の魔物も同様だ。

 

 やがて、ブチブチと地面にめり込みすりつぶされてしまった。

 

 そしてAランクモンスター ヒュドラには、見えない飛ぶ斬撃が雨あられと降り注ぎ首を切り落とし、胴体を切断してしまう。

 同じくAランクモンスター サイクロプスには、10数本のショートソードが次々と突き刺さり、最後にその一つ目を潰して、絶命させてしまった。

 

 

 前線の冒険者たち兵士たちは、ただそれをあっけにとられたように見つめるしかなかった。

 

 

 ■改稿履歴

 中和剤に関する記述が、誤解を生みそうだったので修正しました。

 今回の条件で、使用したからといって、結界の破壊が早まる以外の効果はありません。

 旧:

 大人数の風魔術によって結界の中はもとより迷宮の中まで中和剤は散布され、濃縮された『魔寄せの香』の効果が、まさに一瞬の間にヘルムエル迷宮に多大な影響をおよぼしたのだった。

 

 そして、予定時間より幾分早く結界が悲鳴を上げ始めた。

 

 新:

 大人数の風魔術によって結界の中はもとより迷宮の中まで中和剤は散布され、濃縮された『魔寄せの香』の効果が、まさに一瞬の間にヘルムエル迷宮に急激な影響をおよぼしたのだった。

 

 そのため、予定時間より幾分早く結界が悲鳴を上げ始めた。

 

 結果としては、予定時刻が早まっただけかも知れなかったが、見た目のインパクトは大きなものだった。

 

 

 

 

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