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第64話 開戦(前編)

「アンナ? 大丈夫?」

 

 咲良の背中にしがみつくアンナロッテの表情は優れない。

 

 ただでさえ雪のように白い肌を今は青白くさせ、冒険者ギルドのギルドマスターすら唸らせた目力も今は輝きを失っている。

 

「えっええ……大丈夫……です。少し魔力を……使いすぎ……た……だけ……ですから」

「魔力ポーションってすぐに効かないもんねぇ……私も、この間はさすがに大変だったもんなぁ」

 

 と、咲良は先日ハインツエルン王国の持つ異世界版万里の長城を破壊し、()()()()()()()()()()()()時のことを思い出してぼやいた。

 

「私……に……できるのは……みなさ……んを、確実……に、送り届け……ることくらいです……から……」

「つらそうだし無理してしゃべらなくてもいいよー? さすがに、ゲートを15個も同時展開ってのは無茶だと思うしね」

 

 現在都市セーレでは、10個の前線基地行き転移ゲートと、5個のレトナーク要塞行き転移ゲートがフル稼働している。

 術者であるアンナロッテは、転移ゲートの維持に意識と魔力を持っていかれっぱなしなのだった。

 

 距離が離れても転移ゲートを維持することはできるが、維持にかかる魔力は増える。

 こうして、劣飛竜(ワイバーン)に乗って移動を続けているのも、地味にアンナロッテの負担を増やしていた。

 魔力を搾り取られ続ける身体は悲鳴を上げ、そんな状態なのにもかかわらず慣れない空の移動を余儀なくされ、実際のところは高山病にかかってもおかしくない状態だ。

 

「無茶……それは……あなた……に言われたくはないです……」

 

 言葉の内容だけは強気だが、語気はない。

 

「城壁を破壊したと思ったら、実はそれよりも強力な重力壁になっていましたーって気がついたら、どんな顔するかな?

 すぐに気付かれるかなーって思ったけど、案外気がつかないもんだねー

 まぁ、結果からいえば、重力壁を仕掛けといて良かったかな? 魔物の大量発生だけど、ゲルベルン王国とミレハイム王国だけで対応できなかったら、確実にハインツエルン王国にまでいっちゃうしね。

 石の壁で魔物を防ぐのは無理でも、重力壁があれば、余波くらいなら何とかなると思うし」

 

 ゲルベルン王国がハインツエルン王国に宣戦布告をおこなったあの日。

 ゲルベルン王国に操られる演技をした咲良は、命令通りに城壁を破壊するふりをして、実のところ強大な重力壁を構築し完全にハインツエルン王国とゲルベルン王国を分断したのだった。

 

 歩兵は無理でも、劣飛竜(ワイバーン)部隊であればハインツエルン王国の城壁を越えることができていたが、重力壁に変わった今は、それも叶わない。

 ゲルベルン王国からハインツエルン王国へいこうとするなら、大きく山脈を迂回するかミレハイム王国を経由するしかない。

 劣飛竜(ワイバーン)部隊とて、切り立った山脈を大きく迂回して、少数精鋭で攻め込んでまともに戦えるはずなどないのだった。

 

 魔術より魔力効率の良い魔法を使ったからといって、何十キロにも及ぶ重力壁を構築できる咲良の魔力量もとんでもないといえるのだが……

 

「そう……ですね……一挙両得を……狙ったのでしょうが……サクラ……の、おかげ……で、もくろみを……潰すことができまし……た」

 

 アンナロッテは魔力を回復させる魔力ポーションを服用してはいる。

 しかし、魔力ポーションは飲むと同時に一気に回復する類いのものではなく、15分から30分ほどかけてゆっくりと魔力を回復させるというものだ。

 現在、自然回復に加えて魔力ポーションでの回復もおこなっている状態だが、回復と同時に消費されていってしまっており、アンナロッテの顔色は一向に戻る気配はない。

 

「まぁ、ゲルベルン王国には私も嫌な思いさせられたから……」

 

 隷属魔術がかかっていると思い込んだ王族が寝所に乗り込んできたり、アンナロッテが軟禁されている部屋に押し入ったり……と、貞操の危機が絡んだあれこれを思い出し、辟易した声をだす。

 口に出したらあれこれ思い出したのか、表情もうんざりといった様子だ。

 

「すみません……」

「アンナも被害者じゃん! 謝ることないよー!! っと、もう少し飛ばすね。舌を噛まないように気をつけて!!」

 

 咲良が手綱を握り直すと、劣飛竜(ワイバーン)は「クエェェェ」と鳴いて更に速度を上げ、ヘルムエル迷宮の上空、その先へと歩を進めた。

 

 

 

 †

 

 

 

 ヘルムエル迷宮。

 

 遙か昔、冒険()ヘルムエルが発見したとされる迷宮だ。

 ゲルベルン王国が世に生まれる前から存在していたその迷宮は、発見当時から既に攻略不能なレベルまで巨大化しており、現在でも攻略不能迷宮扱いのままだ。

 

 ゲルベルン王国に攻略の意思がない以上、悪化はしても攻略されることなどあり得ないことなのだが。

 

 魔力濃度が高すぎ、その一部が瘴気と化している『迷いの森』が近くにあるせいで、ヘルムエル迷宮は成長しやすい環境下にある。

 そして、ゲルベルン王国が攻略をさぼっているおかげで、濃縮された魔力を存分に吸収し、なおも成長を続けてるのだ。

 ヘルムエル迷宮は現在発見されている中で一二を争う規模の大迷宮というわけだ。

 

 そのヘルムエル迷宮が抱える多量の魔力を、『魔寄せの香』で無理矢理魔物に変え、成長させるゲルベルン王国の作戦は、ここまで完璧にうまくいっているといえる。

 

 なぜなら――

 

「うはぁ……何ていうか……すごいねー圧巻だよ」

 

 ギィギィ

 グエグエ

 シャー

 グュィィー

 ホーホホッホホー

 ・

 ・

 ・

 と、迷宮からは既に多量の魔物があふれ出し、結界が解けるのを今か今かと待っていた。

 

 時が来れば勝手に壊れるのか、それとも、魔物が溢れてその反動で壊れるのか……それは、咲良はおろかアンナロッテにもわからなかったが、少なくとも目の前で起こっている事態がまともではないことくらいはわかる。

 

「うーん、『魔寄せの香』は主にあの結界の中。『魔除けの香』は、この辺り一帯のあちこちに仕掛けられてるね」

「やはり……みなさん……を呼んで、手分け……するしか、ない……ようですね」

「キツそうだけどいける?」

「ええ、それが私の義務ですから」

 

 と(こた)えた少女の姿は、先ほどまでの顔を青白くさせた少女のものではなく、“皆が知るアンナロッテ第三王女”のものだった。

 咲良はそれを、どこかいたたまれないような気持ちになりながら眺め、何かを言う代わりに劣飛竜(ワイバーン)の背中をポンと叩いた。

 

「クエエェェ!」

 

 と一鳴きして、上空に舞い上がる劣飛竜(ワイバーン)

 

「では、いきます。『ゲート』!」

 

 見た目上の変化がないが、アンナロッテの背中を冷たい汗が伝っていた。

 これで、計16個のゲートだ。

 負担は半端ではないはずだが、表情からはそれをうかがうことはできない。

 

 咲良も、先ほどまでの姿を見ていなければ騙されていただろう。

 

「それでは、みなさんを呼んできていただけますか?」

「じゃあ、いってくるね」

 

 『ゲート』では術者本人が移動することはできない。

 そのため、咲良が冒険者たちを呼びに行くことになっているのだった。

 

 アンナロッテのやせ我慢に気がつかないふりをして、人(たら)しと呼ばれるアンナロッテとはまた違う愛嬌のある笑顔を浮かべた咲良が、ゆっくりとゲートの中に消えていく。

 それを見送った後、アンナロッテは腰につけた魔法の鞄から魔法ポーションを4本取り出し、一気に飲み干した。

 

「けぷ。

 うう……お腹がちゃぽちゃぽしますね……」

 

 ちなみに、魔法のポーションは1本150から200ミリリットルほどである。

 

 ぼやきながら、空瓶を魔法の鞄にしまい込む。それとほぼ同時に咲良が、続いてマリナとアンナロッテの知っている顔が続き、その後ギリクを筆頭とした冒険者たちがあらわれた。

 中にはメロのパーティや、ディアンダのパーティーも混じっている。

 

「1、2、3、4……っと全員いるな。王女サマ、ゲート(それ)閉じちまって大丈夫だぜ」

「はい。それでは、護衛班はこちらに、中和剤の散布班はサクラの元へ行き中和剤を受け取ってください」

「「「「はい」」」

「「「おう」」」

「「「あいよ」」」

 

 などと、口々に返事をしながら担当毎に分かれていく。

 

 今回の作戦はシンプルなものだ。

 

 アンナロッテの時空魔術を使用して、少数精鋭でここヘルムエル迷宮へと赴き、風魔術を使用して中和剤を散布する。

 中和剤を散布するメンバーと、撤退のため時空魔術を使用するアンナロッテを守るために、ギリクなど戦士系の冒険者が数名同行している。

 

 恭弥の知人でいえば、マリナやメロ、ディアンダパーティーの魔術師たちは【風魔術】担当だ。

 

 咲良は、アンナロッテを守りつつ、いざという時に劣飛竜(ワイバーン)を使い空へと逃げる役割だ。

 空を飛ぶ魔物も存在するため、転移ゲートで転移する冒険者たちと比べれば危険度の高い役割であるが、空中からでも問題なく転移ゲートを作ることが可能なことは既に証明されているので、「やばくなったら、アンナを連れて真っ先に逃げよう」と咲良は心に決めていた。

 

 ギリクは咲良のそんな決意の表情をどう勘違いしたのか、

 

「まぁ、わからんでもないが、心配するな。嬢ちゃんたちのことはしっかりと守ってやるからよ」

 

 

 と言ってニカッと子供をあやすような表情を浮かべた。

 

「ありがとう! おじさん!」

「俺はまだ30代なんだが……」

「ちなみに、いくつなんですか?」

「38歳だ」

(……アラフォーだ)

(エリオネル兄様と同い年ですね……)

「この子たちからしたら、おじさんで合っているんじゃあないのかい?」

 

 横から口を挟んだのはディアンダだ。

 現在、仲間とは別れて、ギリクと共にアンナロッテの護衛に付いている。

 

「……そう言うお前はいくつなんだ?」

「まったく、女に年齢を聞くなんて、デリカシーがないねぇ? アタシはまだ、22だよ。

 ……ってなんだい? その目は?」

 

 ギリクは一瞬意外そうな表情を浮かべ、すぐに取り繕ったが、ディアンダの目はごまかせなかったらしい。

 冷や汗を流すギリクだった。

 

 談笑するギリクとディアンダだったが、この2人はこうして会話をしている間にも、周囲の警戒を怠っているわけではない。

 魔物がほとんど出ないハインツエルン王国の冒険者だが、護衛任務専門で数週間時には数ヶ月という単位で長期間長時間の護衛を生業としている、ディアンダ。

 ソロで迷宮に潜り続ける、Aランク冒険者のギリク。

 

 双方とも、適度な手の抜き方を知っているだけだ。

 

 だから――

 

 ――その異変にも真っ先に気がついた。

 

 活動報告でもお知らせしましたが、一話に収まりきりませんでしたので、本日二回更新です。(次回12:00予定)

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