第62話 最前線/敵影
王城で議論という名の責任の押し付け合いが行われ、都市セーレではそんなミレハイム王国上層部の動きを見越したように行われた話し合いがまとまり、一斉に準備が開始された頃。
ゲルベルン王国との国境近くの要塞、レトナーク要塞。そこからさらにゲルベルン王国方面に3時間ほど離れた距離にある、魔術で作られた堀と、時間をかけて設えられた柵で守られた、大小様々なテント群。
魔物の大量発生における最前線基地基地では、兵士たちが国に対する忠誠心と、死への恐怖で揺れていた。
彼等とて、家族を守るため、市民を守るために命を差し出す覚悟はできている。
だがそれも、その死が意味のあるものであるならば……だ。
大陸全土に支部を置く冒険者ギルド、同じく大陸全土に支部を置く教会。
それに対して、一国の……それも最前線に送られる兵士たちと比べてしまえば、冒険者ギルドや教会が持つ情報網は段違いだ。
それでも、今この国の中枢で行われているであろう会議が、実のあるものでないことくらいは、兵士たちもうすうす気がついていた。
そしてこのままでは、無意味に自分たちの命を散らすことになるであろうことも。
居住用だと思わしきテントの中で、4人の兵士たちが声を潜めて何やら話をしていた。
「このまま、ここにいて意味なんかあるのか? せめて、レトナーク要塞にまで戻るべきじゃあないのか?」
「それは、国から指示があってからでも遅くはないだろう?」
「そもそも、今回の魔物の大量発生がヤバイもんだって話自体、冒険者ギルドから伝えられた情報だろ? 国からは何も言ってきていないよな? 事実なのか?」
「理由はわからないが……国は、情報を秘匿するつもりなんだろう。前線基地に詰めている冒険者には関係のないことだからと、俺たちにも聞こえるように情報を共有してくれた冒険者ギルドには感謝こそすれ、疑うべきではないと俺は思うがな」
なにも、彼等だけではない。
現在の前線基地では、同様の会話があちらこちらでなされていた。
悲惨さがないのは、まだ予言が現実味を帯びていないからだろうか?
女神の巫女の予言は絶対であると、誰よりも理解しているからこそ、前線基地に詰めているのは彼等自身であるというのにもかかわらず。
「で? 冒険者ギルドは何と言ってきているんだ?」
「4時間以内にアンナロッテ様を救出することができれば、こちらに直接戦力を送ると言ってきている」
「アンナロッテ様か……こういうとき、真っ先に矢面に立たれるのは、いつも彼女だものなぁ」
「立たされるの間違いかもな。市民にはまだうまく隠しているようだが……不憫な方だ」
市民に人気の高い、アンナロッテは、下位の兵士たちからの人気も高い。
「だが、今はゲルベルン王国だ。
……もし、救出できなければ?」
「前線基地には向かわず、レトナーク要塞で魔物を待ち受ける……とのことだ。
だから、4時間後、我々もここに残るかどうするか、決めなければならないだろうな」
テント内を重苦しい空気が支配する。
「だが……そうだな、逃げるにしてもそれから逃げても、十分間に合うだろう。今は、我々もやれることをしておこう」
「よし、武具の点検をしておけ!」
「何を言う、管理を怠ったことなどないぞ?」
「だが、気は紛れるだろう?」
「ちがいないな」
そして、兵士たちの心安まらない時間は続く。
†
会議終了後、魔物の大量発生に関する情報は速やかに流布された。
商人や、職人たちはなじみの冒険者に赤字覚悟で商品を提供し、彼等の無事を願った。
冒険者ギルドに所属していなくとも、腕に自信のある者は、男女共に志願兵として手を上げた。
そのどちらでもない者たちは、征く戦士たちの無事を祈った。
そして、会議からきっかり4時間。
街門の外には、戦地に向かう者たちが集合していた。
だが――
その中に、アンナロッテ・フォン・ミレハイム第三王女の姿はなかった。
その代わり、アヒルに取りすがる少女の姿があった。
傍目には、ぬいぐるみ相手に白昼堂々話しかける、痛い少女だが、その表情は必死だ。
「もう少しだけ、待つことはできませんか?」
「『もう少しって、いつまでですか? もう存分に待ったでしょう』」
「ですが……」
「『我々も、【時空魔術】を使用できないのは残念に思っているのです。ですが、どこかで見切りをつけなければ、取り返しの付かないことになります』」
「ですから、それをもう少し待ってくださいと言っているのです。後半刻(約1時間)でいいので! 必ずアンナは……アンナロッテ王女は来ます」
その少女――マリナは、なおも必死で取りすがる。
しかし、教会関係者は兎も角、それを見る冒険者たちの目は冷たい。
「その、来るかどうかもわからない、半刻をまつおかげで死ぬかもしれない兵たちの前で同じ事が言えますか?
――さあ、もう良いでしょう。貴女は予言という形できちんと役割を果たしました。それに加えてこうして教会の一員として戦地に赴こうとしている。責任を感じるのは勝手ですが、理想だけを追いかけていると、取り返しが付かなくなりますよ?」
「あー取り込み中悪いんだがよ?」
と、割って入ってきたのはAランク冒険者ギリク・スカーレットだ。
「ギリク。まさか貴方まで王女を待てと言うつもりではないでしょうね?」
「ああ、そのつもりだ」
ギリクが肯定したことで、アヒルどころかマリナまでも怪訝な顔をする。
アヒルはぬいぐるみであるので、実際に表情が変わることはないのだが。
しかしながら、その表情は一瞬のものだった。
「――冒険者ギルドから移動する時間くらい、待っても損はねーんじゃないかと言っているんだ」
「!? アンナは……アンナロッテは、救出されたのですか?」
「ああ、さっき冒険者ギルドに転移してきたみたいだな。あそこから、ここまでだとちょっと時間がかかるが、それでも十分早く前線基地に移動できるだろう?」
「『……………………確認が取れました。事実のようですね。
まったく、どうやって情報を仕入れているのやら……』」
「ソロなんてやってると、これくらいはどうってことねぇよ」
「『まぁ良いでしょう。それでは、作戦を変更しますので、伝令をお願いします』」
「ああ」
「はいっ!
――ああっ、トウドウ様、ありがとうございます」
マリナは遠く異国の地にいる筈の恭弥に感謝を捧げた。
無事救出した後、間に合うように転移させるなら、恭弥の力が不可欠であると知っているからだ。
実のところ、時空魔術に関する制限事項――自分自身を長距離転送することはできない――を知るものは少ない。
別段秘匿されているわけではない。
しかしながら、使用者が王族一人しかおらず、そもそも、【時空魔術】そのものが勇者召喚魔術と同じくおとぎ話の中だけのような代物であるため、認知されていないのだ。
そして、マリナはその制限を知る数少ない身内であった。
そして、恭弥の協力を得られない可能性があることも、知っていた。
恭弥が異世界人だとカミングアウトしたその場に居合わせなかったのにもかかわらず。
だから、もう一度心の中で感謝して、アンナロッテがいる冒険者ギルドの方角を見つめた。
「おい! てめぇらぁ!! ちょっとばかり遅刻したが、王女がここに来る!
馬車より、人優先で移動する!!
すぐに移動できるよう、陣形を変えろ!! 集合陣形だ!!」
騒々しい中、大音声で響き渡るギリクの声。
そして、一瞬の間隙のあと――
大歓声が響き渡った。
それは、予定されていた一歩の後退も許されないギリギリの戦闘。その重圧から逃れられた解放の歓声だ。
それは、守りより攻めに転じることができるようになった、戦士たちの鬨の声だ。
拳を天に突き上げる者。
槍を、掲げる者。
仲間とハイタッチする者。
冷静に、馬車を廻し陣形を変える者。
それぞれが、喜びを表す中――
一番初めに、更なるその変化に気がついたのは誰だったのか?
「おい、あれ!」
「おいおい、アレは劣飛竜じゃないか……」
「ミレハイム王国には劣飛竜に乗る竜騎士はいないだろ?」
「というか、竜騎士はゲルベルン王国以外にはほとんどいないだろう? いても、はぐれ竜騎士だけだ」
「つーか、あの方向はゲルベルン王国の方角じゃあないか?」
と、喜びもつかの間、辺りは騒然となる。
「おい、ギルド長よ、ありゃあどう言うことだ?」
ギリクがアヒルに問いかける。
「『この身体では、さすがにあの距離を見ることができませんが……劣飛竜は何体ですか?』」
「どうやら、一体だけのようだな。こりゃあ、戦闘の意思はないってことか?」
「『ギリクさん、ゲルベルン王国が、ハインツエルン王国に宣戦布告したことは知っていますね?』」
「ああ、教会のねーちゃんが教えてくれたからな」
「『ゲルベルン王国が誇る、国境の壁を破壊したのはたった一人の術者だそうです』」
「おいおい、あの高さじゃあこっちからの攻撃手段は限られてくる。一方的にそんな魔術をくらったら、ひとたまりもないぞ!?」
「……その術者の特徴はわかりますか?」
魔法の鞄から、望遠鏡を取り出したマリナが問う。
「『詳しいことはわかっていませんが、黒髪で……』」
「黒髪ですね」
「『アシハラ人か、少女のような若さの女性で……』」
「トウドウ様と、特徴が似ているかもしれませんね」
「『奴隷の首輪が付いている』」
「髪が長く、影に隠れてしまっているためそこまで見ることはできませんね……」
「いや、そこまで合致してりゃあ、ご本人だろうよ……黒髪という時点でゲルベルン王国民の特徴からは外れるしな」
ギリクの呆れるような声が引き金となり、辺りはさらに喧騒を増した。
「……白いシーツを振り回しながら近づいて来るのですが、あれは一体どう言う意味なのでしょう?」
というマリナの疑問は冒険者たちの声にかき消される。
「固まってるとまとめてやられるぞ! 散れっ! 散れぇえええ!!」
怒号が響き渡り、転移のために集まっていた冒険者たちは、あっという間に散開し空からの攻撃に備え、反撃の隙をうかがう。
いや、隙あらば先制攻撃を仕掛けようとしていた。
頭上にいる敵の目的はようとして知れず、地上にいる冒険者たちの雰囲気はまさに一触即発といった様相を呈していた。
パカラッパカラッ
軽快な蹄の音が、街の方からやってくる。
騎兵のそれというよりは、お嬢様の乗馬と言うべき軽い蹄の音だ。
「ちっ、誰だ!? こんなときに――」
平時は、街中での乗馬は禁止されているが、現在は有事中の有事で、制限が解除されている。
そんなことは冒険者とてよくわかっていたが、緊張感が削がれ声を荒らげざるを得なかった。
もしかすると、怒りで緊張感を取り戻そうとしたのかもしれないが――
その冒険者が怒号を上げることはなく、そのまま声を失ってしまった。
惚けたようなその男を尻目に、周りの冒険者たちがざわめき出す。
「おお、ありゃあ、第三王女さまじゃねぇか」
「あれが……話には聞いていたが、美人過ぎるぜ。本当に人間か?」
「俺ぁ、女神の巫女っていう、シスターさんのほうが……」
「従姉妹同士らしいしな、甲乙つけたがたくてもしかたねぇやな」
「ちっ、てめぇら、それどころじゃあ……」
「……ぐ……て……さい……」
よく見ると、アンナロッテの首にはマリナと同じ双眼鏡がかけられており、何やら必死に訴えているようだ。
だが、彼女の声は、彼女の馬が放っている蹄の音と、冒険者たちのざわめきに紛れてしまい聞き取ることはできない。
「……は……すから、……ぐ……て……さい……っ!!」
「おい、王女様なにか言ってねぇか?」
「本当だ……
――おい、お前等、聞こえねぇだろうが!! ちったぁ静かにしろ!!」
「お前の声が一番大きい!!」
「お前もだ!!」
などというやり取りの後に、落ち着きを取り戻し、辺りは僅かばかりに静けさを取り戻した。
「彼女は、味方ですから! 今すぐ攻撃を中止して下さい!!」




