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第47話 国境近くの街クルムシェにて

 イリス視点でお送りしております。

「暇……ですねぇ。そうは思いませんか? イリスさま?」

 

 主様をお見送りしてから数刻。

 私の護衛対象(マリナさん)は、暇をもてあましています。

 主様の言いつけで、宿から一歩も出ることができない為気持ちはよく理解できるのだが……

 

「そうですか? 馬車の中と大して違いはないと思いますが……」

「全然違いますよ。馬車の中は景色は変わりますし、移動中は気を張っていますから。

 それに……今は、トウドウ様もヤスナもいませんし」

 

 そう。ヤスナは主様の言いつけを破り、情報収集に出かけてしまった。

 彼女が第三王女に仕える隠密であり、情報収集を得意としていることは理解している。

 だが、こういう時くらいは自重してほしいものだ。

 

「ヤスナなら、情報収集を終えたらすぐに戻ってきますよ」

「とかいいつつ、既に数刻程経っていますが……」

 

 ヤスナの情報収集は、職業病のようなものだと、私は思う。

 悪癖だと本人も理解しているはずで、こういった場面で長時間別行動を取るというのは、少し考えにくい。

 

 おかしなことだとは思いつつも、私の口から出たのは別な言葉だった。

 

「そういえば、女神の巫女の力を使っての予言というのは、今使えたりしないのですか?」

「そうですね。アレには色々条件があるのですが……」

 

 そう言って、マリナさんは何やら目をつぶって集中し始めた。

 そうして、30数えるほどの時間が過ぎた後、

 

「――今なら、簡単なものでよければ、予言を賜ることができますよ?」

 

 と、いう回答が返ってきた。

 

「“今なら”、言うことは時期がずれると不可能になるということでしょうか?」

「そうですね。時間が経つとまた状況は変わってきます」

 

 なるほど。ならば――

 

「現状、ゲルベルン王国に着いてからの指針が全くありませんので、そのあたりのヒントになるような予言をお願いできませんか?」

 

 本来なら、主様にお伺いを立てるべきで、越権行為だがやむを得まい。

 情報が得られないよりは、幾分マシだろう。

 

 それに、主様はこの程度のことで叱責するようなお方でもない。

 

「そうですね……では、下に行って、水を貰ってきていただけますか? 魔術で作った水ではなく、人の手でくみ上げた井戸水を。(わたくし)はその間に、準備をしておきます」

「教会でなくとも、問題ないのですか?」

「ええ、場所は問題ではありません。それに、今回は簡単なものですから」

 

 

 宿の従業員に頼み、水を用意してもらって部屋に戻ると、マリナさんは修道服に着替え、床の上に楚々として座っていた。

 彼女の前には銀色に光るゴブレットが鎮座しており、ただそれだけで、宿の一室が別な空間に変わってしまったかのような錯覚を覚える。

 

「水を貰ってきました」

「ありがとうございます。このゴブレットに注いでいただけますか?」

 

 請われたとおりに、ゴブレットを水で満たす。

 井戸から汲んだばかりの冷水である為、すぐにゴブレットの外側に水滴がつく。

 

「これで大丈夫ですか?」

「ええ、大丈夫です。部屋の外に出る必要はありませんが、少し危ないので離れていて下さいね」

 

 言葉に従って、部屋の壁際まで距離を取る。

 

 私が十分に離れたことを横目に確認すると、懐から短剣を取り出し軽く指先を切った。

 

 ぽたり……ぽたり……

 

 と、血液がゴブレットにしたたり落ちていく。

 

 一滴目は、何も起こらなかった。

 二滴目は、水面が軽く発光したような気がした。

 三滴目は、それが気のせいでないことがわかった。

 四滴目から先は、徐々に光が強くなり、断続的だったそれも継続的になっていく。

 

 そうしているうち、ゴブレットの光は徐々に術者に伝播していく。

 まるで、ぽたり……ぽたり……と落ちる血液に逆流するかのように。

 

 気がつくと、部屋全体がまばゆいばかりの聖光に満たされていた。

 光源は、ゴブレットとマリナさんだ。

 

 パギィン!

 

 という、ガラスが割れるような、剣が折れるような音が響き、ゴブレットが砕けてしまった。

 

 失敗か?

 

 と思ったが、どうやらそれは私の勘違いだったらしい。

 

 ゴブレットの中にあるはずの、血液の混じった水は、光り輝く虹色の液体へと変わっており、それがマリナさんを中心に幾何学的な文様を作り出していく。

 まるで、液体そのものに意思があるかのようだ。

 

 そして、液体の流動が収まった瞬間、ほんの一瞬だけ圧倒的な気配を感じた。

 あのシンシア殿と同等かそれより上か。

 それは、わからない。存在の次元が違う物を測る物差しなど、私は持ち合わせていないのだから。

 

 ただ、たったその一瞬で「危険だからはなれていろ」と言った彼女の言葉の意味を理解した。

 気の弱い者であったなら、この距離でも気を失っていただろう。

 それほどの、存在だった。

 

 私が内心冷や汗を流していると、聖光は徐々に薄れていき、虹色の液体も蒸発してしまったのかその痕跡を見ることはできなかった。

 

「終わりました……」

「お疲れ様です」

 

 表面上は平気そうに振る舞っているが、疲れているのがわかる。

 結果こそ早くしりたいが、ここは少し休んでもらった方がいいだろう。

 そう思い、ベッドを薦めようとしたが――

 

「……休んでいる場合ではありません。至急王都に……いえ、都市セーレに連絡しなければ……

 8刻(約16時間)後に、魔物の大量発生が起こります。それも、元の予言通り……かつてない規模の。このままでは、ミレハイム王国は滅亡します」

「しかし、連絡とるにしても一体どうやって……? 都市セーレと国境線では準備を整えている最中なのでは?」

「たしかに、都市セーレでは冒険者を集め、兵を集めており、国境線沿いにも兵を派遣し、迎撃準備は整えてあります。

 ですが、その状態にあっても、「滅亡」と言う予言でした。都市セーレから、国境まで馬を飛ばして5刻(約10時間)。現状二分されている戦力が、合流するまで保たないのか、それとも、合流したとしても「滅亡」を免れないのかはわかりませんが……

 とにかくこの情報を伝えないと……

 トウドウ様のお力があれば、伝えることは可能なのではありませんか?」

 

 たしかに、主様のお力……シンシア殿の時空属性の力を使えば、直接転移して伝えるなり、手紙を届けるなりできるだろう。

 

 さらに、都市セーレに待機している戦力を瞬時に前線へと送り出すことも可能だ。

 

「王女はどうされるのですか?」

「それは……

 一度トウドウ様に戻っていただき、都市セーレに連絡を取った後改めて、救出に向かうというのはいかがでしょう?」

「魔物の大量発生が起これば、ゲルベルン王国も混乱するでしょう、そうなれば、王女の救出は難しくなるかも知れません。8刻しか時間がないのは、こちらも同じということです」

 

 混乱のおかげで、助けやすくなるのは、既にある程度の情報を掴んでいる場合だ。

 そうでないなら、助け出すのはほぼ不可能だろう。

 

 もちろん、ヤスナがゲルベルン王国にいた頃の情報ならあるし、それを足がかりに調査するつもりだったが、8刻という時間制限の中では、王女が別の街に移動していただけでも、救出は困難を(きわ)めるだろう。

 

 その中で、一度主様を呼び戻すというのは、単なる時間の浪費でしかない。

 加えて、主様はそろそろゲルベルン王国内へと入ったはずだ。

 

 ゲルベルン王国に入国した後、主様はそのまま一人旅を続け、目的の街付近で合流する予定だ。

 主様に連絡を取らず、合流まで待つという選択肢をとった場合、今度はミレハイム王国側が間に合わなくなる。

 

「国と、第三王女。普通に考えれば、天秤にかけるまでもありませんね……

 ですが、(わたくし)は……」

 

 と、俯いてしまう。

 国を選ぼうとしたところで、もう一つ重大な問題がある。

 

 それは、主様への連絡方法だ。

 妖精が見守ってくれているはずだが、その妖精を通じての連絡は、主様からの一方通行だ。

 若しくは、有事の事態だと妖精が判断した場合に、妖精が自主的に主様に連絡を取る。

 つまり、この予言がその有事の事態であると、妖精に理解してもらう必要がある。

 目に見えて、話ができる存在であれば何とかなるだろうが、残念ながら主様以外に妖精の姿を見ることはできない。

 

 これでは、どうしようもない。

 手詰まりだ。

 どのみち、私たちには、主様からの連絡を待つ他ないのだ。

 

「ひとつ、気になることがあるのですが、滅びるという予言があったのは、ミレハイム王国だけでしょうか?」

 

 雰囲気を変えたかったのか、それとも、直感か。

 私はふと感じた疑問を、余り意識せずに口に出していた。

 

「どういうことでしょう?」

「私は獣人国出身なのでよくわかっていないのですが、魔物の大量発生は、ゲルベルン王国内で起こるんですよね?」

「はい。ミレハイム王国の国境ギリギリの位置ですが、中心点は毎回ゲルベルン王国です」

 

 そもそも、そこ以外ではどこの国でも起こっていない。

 ゲルベルン王国特有の現象だ。

 

 ミレハイム王国がゲルベルン王国に協力したのは、ゲルベルン王国内にある迷宮の調査が目的だったということだが、調査するべきなのはこの中心点なのではないだろうか?

 

 それはさておき。

 

「魔物の大量発生で滅ぶなら、ミレハイム王国だけでなく、ゲルベルン王国も同様だと思うのですが、ゲルベルン王国については何も神託はないのですか?

 それとも、予言はミレハイム王国内の出来事だけですか?」

「いえ、予言はミレハイム王国外の出来事についても、聞くことができます。そうでなければ、ゲルベルン王国内で発生する魔物の大量発生が起こる時間を知ることはできず、魔物がミレハイム王国へ侵入する時間として知ることになっていたでしょう」

 

 なるほど。

 であれば、ミレハイム王国が滅びて、ゲルベルン王国が滅びない要素があるのか。

 それとも――?

 

 駄目だな、やはり、私にはこうした推理は向いていない。

 マリナさんも同様だろうか?

 

 いや、私よりは真っ当な答えを出すだろう。

 

 先ほどまでの悲壮な雰囲気は消え、ひたすらに頭を捻り続けているマリナさんを見つめながら、私は、主様がいち早く連絡を下さるようにと、ただ祈るのだった。

 

 

 

 

 

 

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