第41話 ハインツエルン王国、入国
昼食を摂った巨大な石の麓から、少し東に進むと小川が見えてくる。
水深も川幅も大したことはないが、清廉な水が流れるその川に沿って遡っていくと、岩山をぶち抜くようにして口を開いているドーベラン洞窟が見えてくる。
小川はそのまま洞窟の中まで続いており、ハインツエルン王国内にある河の支流へと繋がっている。
ここまで来ると魔物の数は激減し、ほぼゼロとなる。後は、砂利によって常に負荷をかけられるお尻への刺激と格闘するだけだ。
多少なりとも気を張っているときは気にならなかったが、こうして落ち着いてみると、スプリングがなく、スポンジだけの貧弱なクッションが恨めしくなってくる。
ドーベラン洞窟の近くにキャンプを張った後、俺とシンシアだけ別行動を取ることになる。
「じゃあ、いってくるから」
「はい、お迎えをお待ちしておりますね」
「護衛はお任せください」
「無理はしないでくださいね!」
「ぐるるぅ」
と、皆に見送られながら出立する。
キャンプから10分ほど歩くと、再びドーベラン洞窟の入り口が見えてくる。
本気で不人気スポットであるのか、先ほど馬車で通りかかったときも、今も人っ子一人いない状態だ。
ドーベラン洞窟内には、さっき俺達が遡ってきた船を浮かべるほどの深さもない小川だけが流れていて、横道があるわけではない。
ハインツエルン王国に近くなると、狭いながらも横道が現れるらしいが、どちらにせよ洞窟を抜けようと思うと、小川に入って移動するしかない。
ハインツエルン王国からミレハイム王国への移動にこのルートを使用しないもう一つの理由がこれだ。
然程の深さはないとはいえ、イリスが購入したロングブーツなら兎も角俺のブーツでは確実に上から浸水してくるだろう。
馬で旅をすると決めていたときは、ここで一度馬車を乗り捨てるつもりだった。
アスドラと一緒に行動することに決めた今は、アスドラだけ連れていく予定だったが、シンシアのおかげで、丸ごと持って移動できるのは有り難い。
「『コントロールウォーターカレント』――と、シンシア、手伝ってくれ」
「《はいはーい》」
俺の【水魔術】とシンシアの協力によって、水が押しのけられていく。
押しのけられた場所に降り立つと、今度は自分周辺のみ押しのけられるように調整する。
【気配察知】でも探ってみたが周りに人もいないので遠慮することなく、ざあざあ、ざぶざぶと移動していく。
所々曲がりくねってはいるが、特に分かれ道などもなく、普通に歩けば1時間ほどで抜けてしまうらしい。
「こりゃ楽だ。シンシアさまさまだな」
「《そうでしょう、そうでしょう。私はできる精霊だからね!》」
シンシアにも索敵をお願いしているが、自分自身でも【気配察知】や【索敵】を使用して油断することなく歩みを進めていく。
「シンシア、機嫌が良さそうだな?」
俺の肩の上が既に定位置となってしまったシンシアは今にも鼻歌を歌い出しそうだ。
「《んーそうかしら? まぁ、あの娘達と一緒にいるのも楽しいけど、こうして恭弥と二人っきりというのも悪くないわねぇ》」
二頭身姿でなければどきっとする会話ではあるんだけどな。
これはこれで可愛くていいか。
俺は、シンシアを軽く擽ってやりつつ、
「あの森を出てからは、ずっとあいつ等と一緒だったものな」
と、シンシアを乗せていない肩だけをすくめた。
「《別にそれが嫌ってわけじゃあないけどね》」
「わかってるさ」
ただ、新鮮。
それだけだろう。
その後も他愛もない話を続けていると、あっという間に、洞窟も終わりに近づく。
ハインツエルン王国側の数百メートルには小さいながらも横道があり、川から上がって移動できるため、俺の移動方法は誰にも見られることはなかった。
「止まれ」
そろそろ洞窟も終わりといったとき、国境警備の兵士らしき男に見咎められた。
30代後半くらいの男だ。
と認識した途端、イリスの台詞が脳裏に浮かび、目の前の兵士の年齢を【真理の魔眼】で確認したい気分にさせられる。
都市セーレで門番をしているあのおっちゃんが、19歳でそれがこの世界の平均なら……
いや、もし魔眼の発動に気がつかれて、それを敵対行動と認識されたら面倒だ。
俺は、好奇心を押し殺しゆっくりと歩みを止めた。
「お前、一人で獣人国とドーベラン洞窟を越えてきたのか?」
「ええ、ミレハイム王国からハインツエルン王国へ向かうにはこのルートが一番近いと聞きましたから」
「ん? その武器は……なんだ、アシハラの武芸者だったのか。武者修行にしても、やり過ぎると命が幾つあっても足りないぞ?」
兵士は俺の刀を見て何やら納得すると、心配そうに忠告をしてくる。
「はぁ……ええと、もう進んでも?」
「いや、俺が国境まで連れていってやろう。獣人以外じゃあ、数か月ぶりの入国審査だからな。こんな面白い……いや、とにかく俺が面倒を見てやるさ
移動しながらあれこれ聞いちまった方が、時間短縮にもなるだろ?」
時間短縮は有り難いが、好奇心が前面に出ているのは何とかならないのか?
「では、お願いします」
「身分証の確認は、詰所に戻ってからにするとして、入国の理由は?」
「冒険者としての依頼です」
「それは話せる内容か? 冒険者ギルドからの約定に従って、機密性の高い依頼の場合は、その旨が書かれた書状を持っていれば報告の義務は免除されるが……」
「ええ。書類は持っています」
「なら、それも後で確認だな。
で? フーリーンには寄ったのか? お前もアシハラ出身なら、見た目通りの年齢じゃないんだろう? 俺は、こうして国境警備はしているが獣人国に遊びにいったことはまだないんだよなぁ」
と、目をキラキラさせて訊ねてくる。
「入国審査に関係あるんですか?」
「いや? 全く関係ないぜ? 100%興味本位だ!」
すがすがしいまでに開き直ったな……
「寄ってきましたが、想像されているような遊びはしませんでしたよ」
「いや、いいんだいいんだ。獣人国は国内の移動こそ大変だが、その分部族ごとに独自の文化、独自の街並みを作っていて、その中でもフーリーンはかなり独特だって話だからな。それだけでも十分羨ましいからよ。
俺も、もう少し腕に自信がありゃあなぁ」
ぼやいているってことは、ハインツエルン王国の兵士なのだろうか?
他国の屈強な兵士とともに訓練をすることもある、ハインツエルン王国の兵士は合同訓練のたびに心を折られるそうだからな。
そんな状態なのに、一人で見回りをしているなんて、平和ぼけしているというか何というか……少なくとも、二人以上で行動するべきだと思うんだけど。
まぁ、俺がそんな話をしたところで、お前が言うなといわれるのがオチだろう。
そうしている内に、洞窟の終わりが見えてくる。
兵士の詰所にいる兵士は、皆バラバラの装備を身につけている。
恐らく、それぞれ自国からの支給品なのだろう。
「ここまでに粗方聞いてしまったからな、後は身分証明書と、冒険者ギルドからの書類を見せてくれたらそれで終わりだ」
「どうぞ」
「へぇ、まだ18歳なのにCランクなのかい。随分と優秀なんだな。ほい、ギルドカードと書類は返すぜ。
通行料として、1000リコ貰うことになっているが、大丈夫か?」
「はい。どうぞ」
ポケットから銀貨を取り出して渡す。
「確かに。じゃあ、入国審査は以上だが、何かあるか?」
「いえ、大丈夫です。お世話になりました」
そういって、詰所を後にし、俺はこの世界に来て3か国目の土を踏んだのだった。
さて、とっととここを離れて、イリス達と合流しないとな。
「(シンシア、ちょっと急ぐから振り落とされないようにしてくれよ?)」
「《はいはい。いざとなったら、飛んでついていくから平気よ》」
と頼もしい台詞も聞けたところで、全力で駆け出した。
いや、駆け出したというのは正確ではないかもしれない。
重心移動によって、前方向に落ちることによって、動きこそ直線的になるが然程疲れることもなく、高速移動できる技だ。
言葉にするのは簡単だが、足捌きを失敗すると速度が出ないどころか、最悪の場合は大転けして大けがをしてしまう。
それに、更に【韋駄天】を組み合わせる。
「《きゃーはやいはやい! 人間が出せる速度じゃあないわよーー》」
確かに、地球ではあり得ない速度だな。
この世界ほどの速度は出せないだろうが、じいさんの武術を使えば、地球時代の身体能力でも陸上の世界大会優勝も夢ではないだろうが、やり過ぎてしまう可能性があるからな。
うっかりフルマラソンを1時間で完走とかしようものなら、その後どういう扱いを受けるのか想像するだけで面倒くさくなる。
やり投げやら砲丸投げで氣を使い、100メートル走では縮地を使うような陸上競技など観戦する方も嫌だろう。
あんまり移動しすぎても、街に近づき過ぎてしまうからな。
ほどほど移動したところで、イリス達を呼び寄せることにする。
「じゃあ、シンシア……頼む」
「はいはーい。じゃあ、顕現するから魔力頂戴?」
ああ、流石にこれは顕現するんだな。
愛らしい二頭身ボディから、本来の美の化身状態に戻ったシンシアは、俺から魔力を受け取ると、
「ほいっ」
と軽く声を上げ、何もない空間に向かってドアノブを回すような動作をする。
ギギィ
と空間が裂けるように開いていく。裂けた空間は、正に暗黒で、その大きさは学校の教室ほどもある。
「おいおい、これ遠くから見ても目立つんじゃないのか?」
「大丈夫よ、周りからは見えないように結界をはっているもの」
それなら安心か?
「そんな、大きく穴を開けてどうするつもりだ?」
「こうするのよ。
――ていっ」
と軽く声を上げながら、開いた空間に蹴りを入れる。
すると、その暗黒の空間はまるで、立て板だったかのようにパタリと倒れてしまう。
そして倒れた後には、キャンプごと移動したイリス達の姿があった。
恐らく、キャンプを丸ごと覆えるほどの転移空間を対象に向かって倒すことで、無理矢理転移させたのだろう。
めちゃくちゃするなぁ。
「これで、任務完了ね!」
まぁ、確かにこれで全員が無事にハインツエルン王国に入国できたことになる。
急に景色が切り替わり、頭がついていっていない様子の3人にどう説明しようかと、俺は頭を抱えるのだった。




