第35話 精霊と妖精の国
「『アスドラ、止まれ』」
俺の命令に従って、馬車がゆっくりと停車する。
「主様、どうかされましたか?」
御者席と座席をつなぐ窓から顔を覗かせて、イリスが訊ねてくる。
「ああ、なんか妙な声と気配がしないか?」
「盗賊……いえ、魔物ですか?」
盗賊たちのアジトがあったあの森は、魔物の領域が近いためはぐれの魔物に遭遇することがある。盗賊たちが狩りつくしていた頃ならともかく、いなくなってから1週間だ。魔物の可能性はあるにはあるけど……
「恐らく違うだろう。何というのか……邪悪な感じはしない。急ぐ旅だというのはわかっているが、少し確認させてくれ」
「トウドウ様のおかげで馬を使った旅よりハイペースで進んでいますから、お気になさらないでください」
「何かあってからでは遅いですからね! アタシも異存はありませんよ!」
と、依頼主の許可も得たところで、単身馬車を降りる。
イリスは残って馬車の番だ。
アスドラには何かあったら、ここを離れるように命令してある。
任せろ! とばかりに大きく頷いていたので、大丈夫だろう。
森に入ってみると、ソレはすぐに見つかった。
「……妖精?」
そこにいたのは、手のひらサイズの小さな女の子二人組だった。
それぞれ、緑と白色に光っており、緑の妖精(?)は二対の羽をゆっくり羽ばたかせ、白の妖精(?)は、白い雲のようなものに乗ってふわふわ浮いている。
俺が見えることに気がついたのか、燐光の鱗粉をこぼしながら、俺の周りに集まってくる。
――見えているの? 見えているのね?
「ああ、見えてるよ」
と答えると何がうれしいのか、俺の周りを飛び回る。
陽光の下ではなく暗がりで見たのなら、素晴らしく幻想的な光景だろう。
――私は光の精。光の精霊の眷属よ
――私は風の精。風の精霊の眷属よ
妖精たちが俺の肩に止まった瞬間、俺の意識はホワイトアウトした。
†
意識の寸断から回復すると、そこは今までいた森ではなく、魔力の満ちた不思議な空間だった。
足下は水で満たされているが、沈むこともなければ濡れることもない。
ただ、俺の動きに合わせて波紋を伝えるだけだ。
一定間隔に存在する、金やら銀のゴブレットからは、炎や、水などから、闇や光、果てはよくわからないものが溢れている。
どうやら足下を満たしている水も、ゴブレットから溢れたもののようだ。
「ここは……?」
この現象を引き起こしたであろう妖精を探すが、肩には乗っておらず、周りを見渡しても見つかりそうにもない。
「ここは、精霊と妖精の国。どこにでもあって、どこにもない。そんな場所よ」
と声をかけてきたのは、正に人外の美しさを持つ少女だった。
イリスや、マリナさんも美人だし、日本であれば咲良も美少女だったが、まだ人間味のある美しさだ。
目の前の存在は、完璧な美。
恐らくソレは、完全な左右対称から来ているのだろうと思う。
もちろんそれだけではないけど……
わかるのは、目の前の存在が筋肉や内臓などといった物理的な肉体の埒外にある存在だということだ。
でなければ、微妙な歪みから完全な左右対称とはならない。
【真理の魔眼】を発動させるが、何も見ることはできないようだ。
「君は……?」
「私は、精霊王たちの王、精霊帝の娘よ。名前はヒトには発音できないから……そうねぇ……シンシアとでも呼んでくれるかしら?」
「俺は、藤堂 恭弥です」
「じゃあ、さっさと契約を終わらせましょうか? それと、敬語は不要よ? あなたは私のマスターになるのだから」
「いやいや、いきなり何の話だ?」
「あら、あの子たちから何も聞いてないの?」
「あの子たちって、アレか? 光の精と風の精とかっていう……?」
「そうそう、風と光の妖精ね」
「妖精ってのは、精霊の眷属なのか?」
地球の伝承ではそんな事実はないような気がするけど……
「そうよ。世界は広いでしょう? 精霊だけじゃあ管理しきれないから、妖精を生み出して代わりに仕事をしてもらっているのよ。
で、あの森を担当している子たちから、「ようやく私と契約できそうな人間を見つけた」って連絡があったのよ。あなたのことがよっぽど気にいったのか、契約もしていないのに勝手に力まで貸して……」
ああ、あの洞窟の様子を教えてくれたのは、やはりあの妖精たちだったのか。
「契約ってのは何なんだ?」
「あら、精霊魔法を知らないのかしら? 珍しいわね……まぁ、人間族が精霊契約が可能なほど強力な魔力を持つこと自体まれだから、そういうこともあるのかしら?
それで、精霊魔法っていうのは、私たち精霊と契約して使う魔法のことよ。契約者の魔力をもらって、私たちが代わりに魔法を使う形で発動させるの」
「それは、俺たちにとってはメリットのある話だけど……精霊側には何のメリットがあるんだ?」
「精霊は、基本的にこの精霊と妖精の国から出ることができないの。下級精霊や中級精霊なんかだと、妖精では対処できないようなことが起こった場合にのみ、条件付き外に出ることができるけど、私たちみたいな王クラスの上級精霊となると、まず出ることはないわ。
だけど、契約精霊になれば契約者に付いて外に出ることができるってわけなの」
「そんなに、いいものでもないと思うけどな」
「私にはそれすらわからないのよ? この精霊と妖精の国で生まれてからずっとここにいるんですもの。私ほどの存在を受け入れることができる器なんて、現れるはずがないと思っていたのだけど……何十万年と待った甲斐があったわ!」
「――そりゃあまた……ずいぶんと気の長い話だな……」
「だ・か・ら! 意地でも契約してもらうわ!」
ぱたぱたと両手を振り回しながら、何やらアピールしている。
「何ができるんだ?」
「よくぞ聞いてくれたわね! 普通の精霊は、たとえ精霊王であっても担当している属性の力しか扱えないんだけど、精霊帝はすべての属性を扱えるの。そして、精霊帝の娘である私も、もちろん全属性扱えるわ!
これのおかげで、ただ魔力量が多いだけでは私と契約できないのよ。本人の資質がない属性の精霊とは契約できないから、私と契約するには必然的に全属性の資質が必要なのよ。まぁ、それ自体は2、3000年毎に生まれてはいるのだけど、かつ私を受け入れる器と、それ相応の魔力を持つ人間となるとなかなかね」
これまた、ずいぶんと強力そうな精霊だな……
契約するデメリットがないなら、願ってもないことだ。
「人間側のデメリットになるようなことってないのか?」
「そうねぇ。一度私と契約してしまうと、二人目以降の精霊契約には私の許可が必要になるってくらいかしら? 精霊も妖精もそこに存在するだけなら無害な存在よ?」
なるほど。それはデメリットというほどのデメリットではないな。
今のところは……だけど。
「わかった。契約しよう。どうすればいい?」
「――簡単よ!」
そう言って、シンシアは唇を俺の唇に押しつけた。
と同時に、俺たちを光が包み込み、水面が光を反射し一面をまばゆく照らし始めた。
――ちゅる
と舌まで入れられた所で我に返るが、突き飛ばすわけにもいかず、なすがままにされていると、手の甲が焼けるように熱くなり、それが収まると同時に光が消え、キスも終了となった。
「という感じで、唇を合わせて魔力を交換すれば契約は完了するわ!」
「……そういうことは、やる前に教えてくれ」
「契約は済んだし、次はないから平気よ」
ふと、手の甲を見ると幾何学な模様が浮かんでいた。
タトゥーとは違って、皮膚に描かれているわけではなく、まさしく浮かんでいる状態だ。
何これ、かっこいい。
と、変なところでテンションが上がってしまった俺は、キスの余韻などどこかに消えてしまった。
それがよかったのか悪かったのかは、俺にはわからないが、気まずくならなかったのはよい傾向だと思う。
「じゃあ、さっさとこんなしけた場所から出ましょう! ここは、時間の流れが違うから、それほど時間はたってないはずよ」
人間やってる俺からすると、神秘的に映るこの精霊と妖精の国だが、実際に住んでいるとなるとまた別な感想を持つらしい。
それに、時間の進みが遅いようなのも地味に助かる。
アスドラとイリスがいて、ヤスナももちろん戦える状況ではあるが、早く帰るに越したことはないだろう。
あんまり遅いと、心配されるだろうしね。
そうして、先ほどの森へと戻ったが、日の傾きから計算して馬車から離れてからさほどの時間はたっていないだろう。
シンシアを連れて早歩きで馬車へと戻る。
「主様お帰りなさいませ」
「ああ、ただいま。問題は……特になかったようだな」
「はい。警戒しておりましたが、魔物も盗賊も現れることはありませんでした」
「そうか。ならいい」
と答えつつも気になることがある。
どうやら、イリスは隣にいるシンシアを見ることができないようだ。
急に見ず知らずの女の子を連れてきたのに、何も言われない。
「《今、私の姿を見ることができるのは特殊な目を持った者か、契約者である恭弥だけよ? まぁ、恭弥は魔眼もちだから契約していなくても見ることができているだけで、普通は妖精の姿さえ見ることはできないわ》」
話しかけられたところで、イリスの手前反応を返すことができずにいたが、「――ああ、心の中で話せば普通に聞こえるから、声に出さなくてもいいわよ」とのことだったので、早速試してみる
「(今ってことは、見せるようにもできるのか?)」
「《もちろんよ。何なら姿を見せましょうか?》」
「(いや、今はいい)」
と、シンシアに答え、
「じゃあ、出発するか。進めるだけ進んでおきたいからな」
とイリスたちに声をかけたのだった。




