エンディング
理想と現実には、ギャップがある。
人の数だけ理想があって、人の数だけ現実があるからだ。
それらが全部ないまぜになって、『今』がある。
スサブは今を受け入れた。
自分は英雄として扱われることもなく、なんであれば『隣人』としても扱われない。
なら仕方ない、神になろう。
世界中の人間が自分の存在を疎んじ、多くの 無 とか 不 とか 否 とか 悪 、まあそんなものを向けられるだろう。
だが割り切ってしまえば、そんなものだ。
なぜなら他でもない彼は世界を変えるほどに強く、そして……。
※
警察のヴィギレ、格闘団体のグラデ・エッタ、駆除業者のマセナ・リィ。
かつてアキラに勝利し、超越者の冠を得た者達。所属や流儀こそ違えども、異能者の最高峰である者達。
この三人は、現在一つの部屋に集まっていた。誰かに促されたからではない、自然とこうなっていたのである。
理由は明白だろう、世間の目が怖いからだ。
もうすでに、市民たちは真実に気付いていた。
今までの超越者も、そして現代の超越者も、アキラが手抜きをしていたから勝てただけで、本来のアキラからすれば瞬殺される雑魚でしかない。
この真実で、アキラの名誉はむしろ回復した。
反対に、超越者たちの評価は地に落ちた。
だからこそ、彼女らはどこにも行けず、一室に集まったのである。
「お二人とも、落ち込むのはわかりますがふさぎこんではいけませんよ。特に警察は仕事があるんですから、ヴィギレさんは復帰のために頑張らないと」
「……そう簡単に、割り切れるわけがない」
「マセナさんだって、借金を返すために働かないといけないんですよね?」
「そうだけども……」
気を使ってお酒を薦めているのは、最年少のグラデであった。
彼女だけは、少なくとも表向きは、平常心を保っている。
それに対してヴィギレもマセナも、もはや尊敬さえしていた。
「貴方は元気ねえ、グラデ……」
「はい! 私はこうなるだろうな、とは思っていたので。いろんな意味で、予想通りです! 惨敗したのは傷つきましたが、いつまでも負けを引きずっていればアスリートは務まりません!」
「……私にとって一番ショックだったのは、一番若くて一番実戦から遠い貴方だけが、その予想を論理的に立てていたことです」
ヴィギレもマセナも、オモチャになったが意識はあった。
だからこそ、三番手であるグラデとスサブの会話も聞いていた。
格闘家であるグラデだけが、現実をしっかりと認識していた。
この最悪の結末さえも、彼女は想定しきっていたのである。
それは彼女だけが知り得た情報ではなく、きちんと残っていた公開情報からの推理であり……。
つまり……他の誰でも、想像できたことだった。
だからこそ、辛いのである。
「警察官失格です……思い込みで容疑者の戦力を侮るなど……」
「わかったからどうってことじゃないでしょう、ヴィギレ。私と違って、貴方は行かないといけない立場だし」
「違います、マセナ……私は周囲の反対を押し切って現場に向かった……。もしも実力を把握していれば……」
「怖いから逃げたの? 貴方が?」
「……くそぅ!」
改めて、ヴィギレは悔しがった。
現在の状況は、彼女にとって不正義の極みである。
「なんなんだ、一体! 結局強い者に正義が屈しただけじゃないか! ロイン殿が何をした? 失言をしたのは認めるが、だからと言ってあんな私刑が……恐喝が、殺人教唆が、認められるのか?! 看過されてしまうのか!?」
警察官であるヴィギレは、軍人であったロインと似た感性を持っている。
だからこそ彼女が死に追いやられたことも、その前段階のことも、とてもではないが耐えられなかった。
「……いやあ、アレは、私も、言われたらキレるわね」
「ヴィギレさん、逆に聞きますが……貴方は『これでは犯罪者と同じだ』と言われて耐えられるのですか?」
「それは……! でも、あんなことが許されるのは……!」
配慮に欠ける言葉だった、かなり私情を含めていた。
だがそれでも、あんな結果が正しいなんて思いたくなかった。
「それになにより……一般市民が彼の脅威に怯え続けるなど……! 一般市民が、何をしたというのですか!」
「もういいじゃない、それぐらい我慢させましょうよ。私は我慢することにしたわ」
ある意味で一番一般市民に近い感性を持つマセナは、達観の構えに入った。
「要はアレでしょ? アザトスを倒したんだから報酬をよこせって話でしょ? それを市民が払う、そう考えれば仕方ないじゃない。警察だって税金で働いているんだし、同じもんでしょ」
「だが……だが!」
「ヴィギレさん。ここで暴走すれば、それこそ犯罪者ですよ。警察官なら、上の判断に従ってください。法律と正義は、必ずしも一致しないのでしょう?」
ここで何を言っても、ヴィギレは納得しなかった。
だがそれは逆に言って、何を言われてもスサブが納得しなかったことの裏返しであった。
※
セントラルベースに、神が帰還した。
その存在を、全市民が理解していた。
誰にどう思われてもいい、恐怖されてもいい。
そう割り切ったスサブは、その膨大なオーラを垂れ流しにしながら、その都市に君臨した。
君臨している彼がどこにいるのかと言えば、五大老の前であった。
「俺は、この都市全体を汚染した。しばらくの間だが、人も物もすべて汚染した」
この都市における民意の代表者、五大老。
この五人の会議室に、スサブは不敵にふんぞり返っていた。
その暴力的なオーラに、五大老は震えていた。とてもではないが、文句を言える状況ではない。
「重罪だな、なあ?」
スサブは意図的に威圧しながら、五大老に問う。
この都市の、あるいは文明が復興しつつあるこの世界では、汚染行為は殺人と同義の重罪である。
五大老が、それを知らぬわけがない。
「いいぞ、俺を悪だと言っても。許可するぞ、俺を大罪人だと公表することを。俺を犯罪者として指名手配して、警察やら軍隊やら賞金稼ぎやら格闘家やら僧兵やらを送り込んできてもいいぞ」
「そ、そんなことは……」
「もうした後だったな、悪い悪い。ああ、趣味が悪い、趣味が悪い」
五大老は、スサブの力を把握している。
超越者だとかなんだとかもてはやしていたのが、全部馬鹿みたいに思える状況だった。
この都市のすべてを一瞬でオモチャに変えることができ、なおかつ戻すことも可能で、そしてそれを繰り返せる。
「じゃあ言い換えるぞ、続けるか?」
五大老は法の本質を理解した。
人は法の下で平等だが、それは大差がないからだ。
他でもないロインも言っていたが、超越者でさえ数人でかかれば勝てる存在だ。
そんな実力差では、差として機能しない。
「俺をこのまま、悪として認定するか? 宣戦布告するか?」
本当に違う存在を、法律的に分けて扱うことは、むしろ当然であった。
「つ、続けることはありません……我らは全面的に、非を認めます……」
「今回のことは、市民にも伝えます……何があったのかを、すべて……」
「そうか」
五大老は、敬意を示していた。
逆らえば自分たちもオモチャにされる、怒らせるわけにはいかない。
そんな恐怖、保身からくる敬意であった。
「勘違いするな、俺はお前たちに怒っちゃいない。俺はアキラと違って精神年齢がガキでね、だからお前たちの気持ちもわかる」
だからこそ、スサブはそれを否定しない。
押しつけの高潔さよりも、素直な卑屈さの方が好ましい。
「パラディンのマーニャも、トネリのヴィギレも、ソルダリーのグラデも、ハスカールのマセナも、俺を怒らせることはなかった。お前たちに対しても、俺は怒っていない」
怒っていない者たちは、結局解放された。
四人の超越者も、五大老も、とくに嫌がらせされることもなく、戻っている。
パラディンのマーニャはまだ治療中だが、彼女も回復するだろう。
「だから、俺はもうこれ以上お前たちに何かをするつもりはない。なにか役職だの地位だの権限を要求する気もない」
だが彼を怒らせた者たちは、帰ってこなかった。それを五大老は把握している。
この神は、人を殺せる神だとわかってしまっている。
「俺が要求するのは、生活だ。俺が不自由なく暮らせるように、すべてを用意しろ。できない、とは言わないよな?」
「もちろんです……!」
黒き神スサブは、まさに神となった。
神殿や貢物を要求し、それに手を抜けば怒り狂う。
そんな、古代の神となっていた。
「……しばらくの間、俺はアキラのところで厄介になる。準備が出来たら言え、いいな?」
「できるだけ、早くに準備いたします!」
そしてとても悲しいことに、この神が君臨しても世界は滅ばない。
この都市の者達は、スサブという男を支えるために、少々多くの税を納めることとなった。
それが無駄かどうかといえば、議論の余地はあるだろう。
だが断ればどうなるかに、議論の余地はなかった。
※
復帰した黄色い神、アキラ。
彼女の暮らす家は、このセントラルベースの、ひと際高いビルにある。
四方がガラス張りとなっている、都市全体を眺められる一室。
そこに戻った彼女は、五大老との謁見を終えたスサブを待っていた。
「戻ったのね、スサブ。どうだった、彼らとの会談は」
「言うだけ言って戻ってきた。まったく……嫌なもんだな、怖がられるのは」
「そうね。私も嫌だったわ……怖がられるぐらいなら、舐められた方がマシだって思ってた。でもそれが巡り巡って、貴方に回ってきてしまったわね」
「いや、いいさ。むしろ俺の方が……」
親しい友だからこそ、弱音も吐ける。
嫌そうな顔のスサブは、彼女に甘えているのだった。
「もう、止めましょうよ。こうなったからには、言いっこなしだわ」
そう言って、アキラはスサブを座るタイプの机に案内する。
そこにはガラスのコップと、いくつかのソフトドリンクの入ったボトル。そしてお皿に盛られた、スナック菓子があった。
まるで中学高校の、友達を家に招いたかのようなチープさである。
この高級極まる場には、あまりにも不釣り合いだった。
だがそれを見て、スサブは思わず笑みをこぼした。
自分が好きだったものが、これでもかと並んでいたのだ。
「スサブ……おかえりなさい、大変だったでしょ?」
「ああ……大変だった。でもな、アキラがこうやって迎えてくれたから、だいたい吹っ飛んだよ」
高価な絨毯の上にクッションも置かず、二人は座る。
そしてソフトドリンクをコップに注ぎ、それを鳴らした。
「アキラ……生きていてくれて、よかった。お前が生きていてくれたから、俺は……」
「貴方がそう言ってくれるなら、私も生きていた価値があるわ。報われるわね」
遠い昔に分かれた二人は、ようやく再開した。
そしてほんの少しだけ回り道をして、ここにたどり着いた。
これがゴールならば、他の何かを望むべきではないだろう。
他のいかなるマイナスも、ゼロのようなものだ。
「轟に、品に、贔に、㐂に」
「焱に、犇に、灥に」
二人は、仲間達を思い出した。
彼らがここにいたら、どんな顔をしているだろうか。
死んでしまった彼らは、どんな顔をして見守っているだろうか。
この、再会に至った事実だけで、喜んでくれるはず。
そう確信して……コップをかるく掲げる。
「乾杯」
遊と晶は笑いながら、祝福しあったのだった。




