第60話
少しの睡眠時間を置いて、叡弘たちは起き出した。
いや、山口さんが台所でもそもそしている。
「イモのクズ、水、塩……それから足りなかった砂糖の汁があるから、
作ってみようかなんて。油はラードもあるし」
彼は笑顔で張り切っている。
「山口さま、差配をして頂ければ、代わりに私達が作ります!」と
身支度を済ませたマヅルが怒り出した。彼は申し訳なさそうに言う。
「……生き別れた女房の得意料理なんだ。
俺も一人暮らしが長かったから、見本を作ってから、そうしようかなと
思い思い……マイチさん?」
マイチがマヅルの背後から台所にそっと顔を出している。
泣きそうな顔をして。マヅルも彼を見て驚く。
彼は声も無く泣いていた。彼は搾り出すような声で呟く。
「ンムクジ、アンダーギー……、マナベの得意料理なんじゃあぁぁ
……山口、作ってくれないか……えぐっ」
彼の意を汲んで山口さんはマヅルと一緒に、手早く支度をする。
やがて屋敷中に油の上がる良い匂いが漂う。
朝食はハーメーさんとカメにお願いし、素早く今日の朝餉の膳が整った。
「グスン……マナベ達にも食べさせてあげたいの」
彼はちょっとだけしょんぼりしているようだが、食欲に変化は無いようだった。
タンメーは辛そうな表情で彼を見ている。
「マイチさんの家族が再会出来るように、出来る限りの方法を考えてみようか。
悪夢が夢で終わって欲しいから、……僕も頑張るよ」
マイチの状態を見ながら、叡弘は彼へ優しい言葉を向けた。
朝食後、早速オフィス部屋に使っている3番座で、山口さんがマイチに
沖縄県の、といってもだいぶざっくりな農業地勢学を説明した。
特に王都スイを含む沖縄本島については詳しく、かつどのような農業
システムが採られているか説明している。もちろん、タンメー達も一緒だ。
「……地産地消、と呼ばれる地元生産を推奨する方法が
採られていますね。それぞれの間切に専門の部署があって、
農家の設備補助をしたり、農業用水の確保に、国頭には巨大な溜池や、
中頭には地下貯水地の建設が進んで設置以前よりはるかに水不足で
困らなくなっています。あとはカンショでもあったと思いますが
地質の変化で栽培作物を選択したりしますね……」
マイチはものすごい勢いで帳面に書きつけ、フムと一息ついた。
「400年分の時間差を綺麗に埋めることはできないが、出来る事をしよう。
カンショは上手く根付いてくれた。モメンの方はギマ村で試験栽培中だが、
村へワシが入れない。カンショと同じく根付くかは心配だの」
落ち込んでいるマイチを見て、マヅルは厳しく叱咤する。
「……サンシカン様ともあろう者が、目上の者ならともかく己の妻や子
を信じてあげられないなんて、悲しくて笑ってしまいます。
妻は夫の鏡ですのよ?ウェーカタ様。今頃奥様や息子様がきちんと
差配しているはずです。……どうか信じてあげてくださいな。
……父はそれができなくて、ここにいる様なものですから」
「マヅル殿の父君は、どのようなお方かな?」
マイチは彼女に圧倒されつつも訪ねる。
「……グスクマウェーカタを、ご存知でしょうか?
父はかつて彼の一族の末席に侍っておりましたの。
病が重く、本来なら国頭行きであったものを、
このナカグシクで猶予されています」
グスクマウェーカタはかつて、ジャナウェーカタによって
引き摺り下ろされたサンシカンの名である。
旧来の専横を除き、官僚所轄へ王命を直に届かせる為に彼は
その地位を追われた。マヅルはその一族であったのだ。
「私も父と、スイ落ちで最近亡くなった母を見て育ちました。
仲睦まじい2人は、お互いを鏡としていました。……ですからどうか」
彼女の言葉は、マイチの眼差しに鋭さを与えていく。
どうやら彼も肚が座ってきたようだ。
「そうだの。マナベ達も、闘っているかも知れん……
わしも、闘わねばならんの」彼はハハハと笑いながら、
「マヅル殿、かたじけない」と礼を言う事を、忘れなかった。
……やがて帳面一冊を書き潰すほどの情報を元に、
彼は感慨深いため息を吐いた。
しばらく彼の滞在場所は、ナカグシクになる様だ。
◇
「そう言えば、サーターアンダギーってお菓子、お土産に売られてたっけ。
……山口さんは、作れるの?」
今日の分。山口さんの講義を終えた夕方、叡弘が山口さんへ尋ねる。
「あれはな叡弘、メリケン粉……つまり小麦粉が
無いと作れないんだ。……まさかでミズーリのキッチンとかにあるかな?」
山口さんがアハハと笑って返事をするが、ちょっと怖いお隣さんへ
簡単に醤油を借りに行く感覚ではないな、と2人は納得する。
「……晴れた夕方にあの甲板で、コーラ飲みながらバーベキューとか、
最高だろうな。でもサイモンさんが許してくれるかは別かな……?
料理上手なハーメーさん達が下ろした肉なら、きっちり鉄板で焼けば
イケると思うんだけど……」
叡弘が意外にも食べ物の話に食いついていると、2人の腹の虫が鳴く。
「夕餉の用意ができましたよ」と言うカメの声が、
彼らを優しく迎えてくれた。
暮れ行く空に宵の明星が輝きはじめた。
【次のお話は……】
マイチ、ナカグシク合宿記。その2。
第59話 ンムクジアンダーギーの夢 了
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