第51話
ウシ達4人はクマモト城から2日目の午後、のんびりとチクゼンの
関所前までやってきている。
「ここまでクロダ様の手勢とすれ違う事がありませんでしたね。
急な出来事にならなくて良かった」とホッとしたジュウアンが呟いた。
「ここからは、セイショウコウ様やシマヅ家のご威光は届かない。
……心して掛かろう」とウシが低く返事をする。
気持ちのいいユウノシンの返事と、気持ちが沈んでいるような表情をする
タエが対象的だ。
「タエ姫、どうかなされたのですか?」とジュウアンは声をかけると、
「兄様は、本当に油断のならないお方です。
特に、最近は……」とだけ返事をした。
彼女を乗せた鹿毛の馬は常足で関所の厩へ近づく。
他の3人も、それに続いた。
◇
関所では城からタエ姫の捜索状が出されており、何と詰所の掲示には
紙に似顔絵まで書き出されていた。
ちょっ……とだけ本人よりも可愛く書かれているように思えたのは、
タエがお姫様だからだろうか。
彼女は出迎えてくれたダイカン達へ、ウシ達がシマヅ家から呼んだ
クロダ家への使者である事、シマヅ家は闘う姿勢の前に、交渉の手筈を
設けた事を必死に伝える。
一行に挨拶を終えた責任者のダイカンは、年の近いウシに話しかけ、
彼の柔らかな物腰に安心したのか、ようやくニコニコしながらこう言った。
「クロダの姫君を遠路、無事にお守りくださり、感謝に耐えません。
城に早馬を飛ばして知らせたので、2、3日の間、ご逗留をお願い致します。
クロダの殿様が、ここにやってくる手筈になっていますから」
「なんと、まぁ……」ウシはダイカンの発言に驚いて小さく呟く。
タエは、彼にとても恥ずかしそうに顔を赤くした顔を隠しながら、答えた。
「……下の兄様が身罷ってからというもの、私の様子をとても気にするように
なりました。詰所のあの似顔絵も、兄様の筆跡によるものです」
「良い兄上様ではないですか」とジュウアンとユウノシンは首を傾げる。
「兄様は、私の事を考えてくださるのですが、度を超えてしまう事も
度々あるので……」
彼女の表情が、だんだん暗くなる。が、彼女に向けて何かを言える者は、
誰もいなかった。
◇
その日の真夜中、クロダ家からの早馬が、関所に着く。
……と思ったら、数人の手勢を率いたナガマサ本人がやってきた。
彼の顔を知っているダイカンは、驚きの余り泡を吹いて気絶している。
大柄なナガマサは、一目散にタエの元へ向かう。
黒い陣羽織と鎧下を装備し、ウシの背後に隠れた彼女に
近づいてくる。兄の表情は、暗く硬い。
「タエ、1人でサツマへ向かうとは何事か。兄になんの不満がある!」と
頭ごなしに彼女を責める。
タエは精一杯、声を振り絞って叫ぶ。
「兄様こそ、良いはずの頭をお持ちなら戦を起こす以外で
国を富ませる手筈を、お考えなさい!」
「戦上手のサツマは、程よく弱らせるが常道。最近勢いがあるでなぁ!」
……膠着気味な2人の様子に困惑気味のウシが、ナガマサに低く声をかけた。
「クロダ公。どうか兄妹喧嘩は、私を挟まずになさってくださいね」
ナガマサは、タエと2人で挟んでいた人物に目を向けた。
ニコニコとしているが、彼の目は笑っていない。
「お初にお目にかかります。どうぞウシとお呼びください。
このような体で失礼を」
「……知らせから聞いたサツマの使者か。妹が本当に世話になった。
タエがすっかり懐いているが、指一本でも……」
ナガマサは疑うような眼差しを向けるが、
「こちらからは触れていませんね」と事もなげに彼は言う。
タエは「今触れるべき問題は、そこではないはずです兄様。
それにウシ殿は死に別れた奥方様以外の女性には、手を付けようと
しないと評判なのです」
ナガマサは納得できたような不可解な表情をして、ウシを見つめる。
彼は内心(それどこから聞いた評判?まぁ当たりだけど……)で無の表情だ。
「自慢の妹に手を出さないなんて、おかしいぞ……」と
ナガマサから低い小声で何やら不穏な発言が聞こえてきたような気も
するが、彼はスルーした。
「交渉の場を設ける為に、タエ姫は遠路サツマまで1人でいらっしゃいました。
我らはその志に応えようとやって来たまでです。クロダ様の考えと、
シマヅ家とのすり合わせが上手くできれば、お互いの民も飢えずに済みます。
交渉を、明るい時間に進めませんか?」
「ウシ殿……」とナガマサはやっと正気を取り戻したかの様な顔で、
相手を見つめる。
「私を見ても、まぁ何も出ませんよ」と彼はナガマサへ静かに微笑みかけた。
◇
その夜は関所近くにあるダイカン宅が仮初めの本陣となった。
くつろいだナガマサは彼の評判を、手短かに妹から聞く。
「……酒は嗜まれないのに、賑やかな席は好きとは変わった方だ。
セイショウコウに認められた琵琶の腕ならば、わしも一曲願いたいものだ」
「兄様は夜半までウシ殿を引っ張り回さないでくださいましね。
弾き合わせの翌日、しばらく調子を崩しておりました。
では今日は休みます」というタエを、ナガマサがつと引き留める。
「……この数日、タエが居なくなってよく眠れていないんだ。今日だけでいい。
一緒に眠っては、くれないか?」
「腰元や小姓衆では足りませんか?」タエは警戒しがちに答える。
「周りは重たい期待をして、わしの心も体も計ってはくれない。
やすらぎが欲しいだけだ」
ナガマサの表情は、必死だ。よくよく見てみると、目の下が落ち窪んで
しまっている。タエは仕方なく兄に寄り添った。
下の兄に当たるクマノスケが身罷って以来、
歳の離れた長兄の精神は僅かずつ壊れていた。
それでも兄は最近、イエヤスによって長く連れ添った妻と別れさせられ、
クロダ家のために、将軍の息のかかった新しい妻を迎えねばならなかった。
支えを、失っていたのだ。
タエは兄の頭を抱きしめて、ユウノシンを撫でた時と同じ様子で
彼を優しく撫でる。ナガマサは彼女の腕の中で、心底ホッとしているようだ。
「……兄様が、早く落ち着いてくれればよろしいのに。
私もいつかはどこぞの殿方に嫁ぐのですよ?好いた殿方なら、
尚いいのですけれど」
ナガマサはハッとしてタエを見る。
「タエは誰か好いた殿御がいるのか?」
「私の勝手な片想いで、振り向く事もありません。私より年若い彼は、
この国の行く末を占う者です。私は彼の足枷には、なりとうない」
弱々しくかぶりを振るタエの微笑は、静かに何かを決意したような
眼差しを湛えていた。
「……そうか、国の行く末、か……」
タエの表情を見て安心したように、ナガマサは床へ横になり眠りに
入ろうとする。タエも彼と一緒に眠る。
彼女が幼い頃、手を繋いで兄妹3人で眠った時は、楽しい明日が
やってくる事だけを考えていられたが、長じて兄弟や伴侶の喪失に
耐えられなかった兄は、妹の喪失を何よりも恐れた。
それがたとえ仮初めの言葉でも構わない。
僅かでも愛しい肉親のぬくもりが欲しい、彼の素朴な願いであったのだ。
さまざまな想いを胸に、兄妹はようやく眠りについた。
【次のお話は……】
タエの願いは、ナガマサに届く……?
【「旅の場所」福岡県 八女市付近】
【後書き】
ナガマサは、32歳、タエちゃんは17歳。
ユウノシンは16歳、ジュウアンは22歳くらい。
ウシはひと夏越えたので、59歳かな……
第51話 ブラザーフッド 了
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