第50話
キヨマサの前から部屋に下がったあと、タエの目の前に、酔い潰れた
ユウノシンが転がっていた。
旅の空、彼はなんとか成年に達してはいるものの、酒への弱さはまだ
克服できていない。彼はキヨマサの小姓に酒を勧められていた。
気力で何とかここまで歩いてきたのだろう。
タエは仕方なくユウノシンの着物を少しだけ緩め、彼の肩を担いで
用意された寝床へ誘導する。眠っているユウノシンは
「先生、僕も……何か弾ける様になりたい…なぁ……」と何やらゴニョついている。
どうやらユウノシンは、タエではなくて、ウシに担がれていると
勘違いしている様だ。夢うつつに
「先生、すみません〜☆」と
嬉しそうに絡んで来た時は、彼女は体を硬くして動けなくなった。
その場の弾みでタエは寝床に組み伏せられる形になったが、
意外と重たさのある彼から逃げられない。観念した形で、ため息をついて
彼の頭をそっと撫でる。やがて穏やかな2人の寝息が、聞こえて来た。
◇
早い朝方、タエが目を覚ますと、困惑気味な表情をしているユウノシンが
目の前にいた。彼は血相を変えて、
「やんごとなきクロダの姫に、ご無礼つかまつりました。この……」
「私だと思って、無礼を働いた訳ではありますまい。
……良く眠れましたか?」と言葉を遮る様に言葉をかけた。
「良いのです。久々に誰かと良く眠れたのですから。
……兄様たちを思い出しました。ありがとう」と続ける。
ユウノシンは申し訳なさそうに、言いたい言葉を飲み下していた。
何事もなかったとはいえ、姫君を押し倒した狼藉は、どのように
許されるべきか、彼には考えがつかなかったのだ。
「私の事が気になるのですか?……傷物には全くなっていません。
ユウノシン様は、考えが硬くなってらっしゃる。
兄弟のままごとと、同じ事ですのに」と彼に笑顔を向ける。儚い笑顔だ。
ユウノシンは、思わず彼女の笑顔に撃ち抜かれてしまう。
彼は、ゴクリと息を呑む。しかし次の瞬間には、その意識を切り捨てた。
(貧しいサツマの国がこれから富めるようになるか、
先生の後ろについて見極めようと覚悟を決めたのだ。
女性の色香になど……構っている暇はない)
ユウノシンは事務的な対応でタエに応対し、やがてキヨマサの小姓が、
彼らの元を訪れた。ウシはいつ部屋へ帰ったのかわからないが、
隣室の床でまだ起きてこない。
……昨日の琵琶演奏)は、それだけ凄まじいものだったようだ。
◇
昼近くになって、ジュウアンが部屋を訪れた。城詰の僧侶と旅程と
装備の準備をしており、宿になる寺へ通達を早馬で送っているといった。
「どんなに遅くても明日の昼過ぎには、支度ができるようです。
セイショウコウ様のご威光があればこそですね。
……本日は皆様、のんびりしていてくだされ」
彼は微笑んで「では、これから仏事がありますので、失礼致します」と
言い、また颯爽と居なくなった。
昼過ぎ、やっと起きたウシが支度を済ませてユウノシンが用意した
玉子粥を啜っている。ユウノシンとタエは、動きがだいぶ緩慢になっている
彼を気づかい、様子を見ていた。
「……昨日は調子に乗りすぎたな。2人とも申し訳ない」と
彼はとても済まなさそうに言う。
「琵琶の手習いは、武家にも歓迎される嗜みです。兄様も平家物語を良く
お弾きになりました」とタエが彼の言葉を繋ぐ。
「ではクロダ家でも演奏の機会があるのだな。調子を整えておかねば」と
彼はタエを見て自嘲気味に笑う。
ウシの様子を見にきたキヨマサが部屋を訪れ、彼はウシのように
目立つ疲労はせず、けろりとしている。
「……昨日は夜半まで愉しんでしまったからの。詫びと言っては何だが、
自慢の馬や城を皆に披露したい。ウシ殿、よろしいか?」
ウシがユウノシンとタエを見ると、楽しそうにうなづいたので、
彼はキヨマサの誘いに乗ることにした。
◇
……クマモト城は規模の大きな城郭ではあったが、
ウシの様子を慮ったキヨマサの案内は、実にスマートなものであった。
厩での名馬・帝釈栗毛の美々しい姿と、偉丈夫なキヨマサの
彼への入れ込みぶりは、ウシ達の目を楽しませた。
また、クマモト城の表部分の大広間や、通りがけにあった、
たくさんの家臣団の詰める役所、そして休憩がてらに即席に作られた
茶席へ案内される。
「簡単なまんじゅうだが、口に合うといいな」と
茶席の主人となったキヨマサは3人を見てニコニコしている。
茶菓子は小豆豆を使った小さな饅頭で、動き回って疲れた彼らに優しい
甘みを与えていた。
キヨマサは城の案内の最後に、彼らを天守閣の最上階を案内することにした。
「普段はここには人を入れる事はしないな。ここはとっておきの場所なんでな」と
キヨマサも明るい表情で言う。ここからの眺望は、広くヒゴの国を見ることができた。
高い場所に来て普通の反応をする2人とは異なり、ウシが窓辺から
眺めを見ながら声を殺して泣いている。
キヨマサは不思議がって涙を拭いている彼に声をかけたが、
彼の考えを読み取ることまではできなかった。
◇
翌日、通常通り、夜明け前に起きたウシは、木刀を握り庭で素振りをしている。
調子も戻って来たようだ。日が昇ってジュウアンから予定通り、
今日の昼過ぎにクマモト城から出立できると報せもあった。
この日からタエの服装は、尼姿から騎馬に向いた和装の袴姿になり、
ユウノシンはタエの髪の長さを見て驚く。
彼女は普通の尼僧のように、剃髪をしていなかったからだ。
彼は、困惑気味な表情でタエを見るが、彼女は平然と答える。
「尼僧の格好は、サツマへ向かう際に男衆から、襲われる割合を
限りなく減らすための変装です」
やがてジュウアンも旅支度でやってきた。やっと全員揃い、
大広間でキヨマサと城に暇乞いを告げる。
旅の支度が整った馬にそれぞれ騎乗し、彼らはクマモト城を後にした。
天守閣の上階から静かに見送るキヨマサは、寂しそうに笑っている。
【次のお話は……】
残念なクロダのお兄さん登場。
【「旅の場所」熊本市 熊本城跡】
第50話 遺る者、去りゆく者 了
作品および画像の無断引用・転載を禁止します。©️ロータス2018




