第49話
……チクゼンに辿りつく途中で、あのキヨマサ公からクマモト城で
だいぶ暑苦しい歓迎をされたが、歴史上に残る「彼の評判」を
よく知っているウシは、問題が起こらないように上手に距離を取ろうとした。
ジュウアンは城詰の僧侶たちとの顔合わせをと旅程の調整をしているため、
席を外している。
暖かな歓迎の酒宴の中で美しいタエ姫やユウノシンに、酒の入った
キヨマサが食指(魔手?)を伸ばそうとすると、ウシは冗談めかして
こんなことも言った。キヨマサを正面から見据えた彼の目は、笑っていない。
「民に好かれるセイショウコウ様に、なさけない噂が立たないように
したいものですね。勇猛果敢なサツマヘゴを、
いかようになさるおつもりですか?」
2人は急いでウシの背後に隠れる。その姿はまるで、親子のようだった。
酔っ払っているキヨマサはガハハと笑い、こう続けた。
「……密やかに咲く花を守るは餓狼。……ふふん」
「新しい句でも思い付きましたか。
我らの無粋を赦していただけますか?」表情を変えずに彼は言葉を続ける。
「いい加減、ワシを貫くような殺気をこちらへ当てないでくれまいか。
血が滾ってきてしょうがない」
キヨマサに差し向けていた鋭い視線を、穏やかなものに変える。
彼の殺気は、どうやら戦国武将にも負けてはいないようだ。
◇
「……口直しにウシ殿には、一興に付き合うてもらおうか。
……ところで琵琶は嗜むかな?」
キヨマサはいたずらめいた表情で問う。
「手習い程度になら」と答える彼の表情は明るい。
小姓から手渡され、美しい漆芸装飾を施された琵琶を
おもむろに持った彼は、手早く琵琶のチューニングを行い
「よろしいですよ」と笑顔をキヨマサへ差し向ける。
キヨマサはふふんと笑い、自らも持っている琵琶をかき鳴らし始める。
よく通る低い歌声も、艶やかだ。
ウシも一拍置いて、同じ曲目を弾き始める。
どうやら知っている曲のようだ。
キヨマサの低い声に沿うように、彼も合わせて歌い始める。
……琵琶演奏でセッションが始まる。曲に合わせて2人の気迫が
せめぎ合い、まるで一騎打ちの決闘を見ているかのようだ。
二曲ほど合奏したところで、キヨマサが呆れる。
「……手習い程度とは謙遜が過ぎる。だいぶ嗜まれておるではないか」
彼は若かりし頃、3年ほど陸相の次官を務めていた際に、
琵琶演奏の機会がかなりあった。
特に外国からの来賓から、武士然とした彼の容貌と琵琶の音色と歌声を、
だいぶ喜ばれていたのだ
「いえ。ここ最近はとんと機会に恵まれず、腕もかなり落ちました。
……やはり継続は力なりですね」と返事をする。
合奏に集中していた彼が、周りを振り返って見てみると、
キヨマサの小姓たちも目を輝かせてこっちを見ている。
タエは顔を隠してもじもじし、……ユウノシンを見てみると、
彼は嬉しそうに瞳を潤ませている。
(どうやら、調子に乗りすぎてしまったようだな……)と
彼は自嘲気味にキヨマサへ向き直る。
彼を見ていたキヨマサからは、ため息をついて残念そうに
「これで若い女子なら、喜んで嫁にするのに……」とか
聞こえてきたが、ウシはおじさんなので、目を逸らして
聞かなかったことにした。
その後は彼の「ウシ殿、あと一曲☆」が結構続き、
ユウノシンとタエが部屋へ下がった後も続く。気がつけば、
長い冬の夜に、早い朝方まで2人はセッションを続ける羽目になったが、
2人のテンションは高いまま時間が過ぎていく。
「殿、お客様もどうかお休みになられてください」と
キヨマサの筆頭小姓が半ギレ気味にやっと声をかけ、宴がお開きになった。
◇
ウシはその日の午後になって、やっと起き上がることができた。
キヨマサはけろりとしている。自慢の馬を見せてやると彼らを
誘ってくれる。
(セイショウコウの乗馬……あの有名な馬かな?)と
内心ワクワクしながら皆で厩舎へ向かう。
名のある武将の厩は国が変われど、どこも管理の行き届いた
空間でもあった。戦馬は彼らの勇猛な伴であり、
遠くは近代戦で、優秀な能力を持つようになった車両に
置き換わるようになるまでは、彼らの移動能力が必要不可欠であった。
もっとも近代戦においても、ひどい泥濘の中では車両よりも
馬匹運搬を利用して兵站を安定させたりもしている。
厩の前に引き出され、装鞍の準備が整い、
寒いので体温が上気している「彼」はそこにいた。
「帝釈栗毛じゃあ。良ぃ〜い馬であろ?」と
上機嫌なキヨマサは頭絡を引き寄せて、彼の鼻筋をそっと優しく撫でる。
ウシやキヨマサよりも体高が少しだけ高いこの馬は、寒空の中
手入れが行き届いた明るい毛並みを輝かせ、佇む。
厳しい調教も行き届いた、名馬のようだ。
彼は帝釈栗毛とキヨマサの並ぶ風景を見つめて、
(本当に熊本まで来たんだな……)と内心喜んでいた。
騎乗の誘いは、「可愛い愛馬に拗ねられると、旅ができません……」と
やんわり丁重にお断りしている。
◇
後の時間は、キヨマサが彼らを城内へ引っ張り回し、
クマモト城の天守閣の最上階では、こんなやりとりもあった。
「普段はここには人を入れる事はしないな。ここはとっておきの場所なんでな」
とキヨマサも明るい表情で言う。
ここからの眺望は、広くヒゴの国を見ることができる。
タエもおずおずと、窓に近寄って、眺めを見ていたがやはり怖いらしく、
直ぐに引き下がる。ユウノシンはタエの様子を心配して付き添っている。
ウシはと言うと……
彼は窓の前に佇み、ポロポロと涙を零している。
「ここ」は遠い未来に、彼のかつての学び舎ができる場所だった。
幼い日の光景、学友達の面影、熊幼 (熊本陸軍地方幼年学校)へ
送り出してくれた家族……古い想い出と共に、熱い涙と様々な感情が
込み上げる。彼の眼差しから悲喜こもごもな涙が、零れていく。
取り出した手ぬぐいでそっと涙を拭いていると、
キヨマサが心配そうに声をかけてくれた。
「ウシ殿も、泣く程ここの眺めは気に入ってくれたか?
ならば誘い甲斐があると言うものだが……」
「ここの眺めは格別ですね。まるで童心に返る心地でしたね」と
彼は嬉しそうに返事をした。
夕暮れの寒風が、優しく彼らを撫でる。
【次のお話は……】
49話の裏話になります。
【「旅の場所」熊本県 熊本市 熊本城跡】
【後書き】
いつかユウノシンが酒席で琵琶を弾く度に、
思い出す風景になるかも?
第49話 ステージ オン クマモトキャッソー☆ 了
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