プロローグ
カゴシマ城に住処を定めたウシとその生徒たちは、
心身共に充実した日々を過ごしていた。
城の中での教練は、彼らを強靭な兵卒へ育てる格好の訓練であった。
最近では科目ごとに、特に優秀な生徒が教科を担当するようになり、
質疑応答の部分で彼らが応える見解に、目をみはるような精度が
少しずつ持てるようになって来る。
和装のウシは穏やかに目を細めて、彼らの姿を見ていた。
彼らと、かつての教え子たちの面影を重ねていたのだ。
(……本当に急ごしらえだが、モノになってきた。
それぞれ教科担当もできたから、もっと人数が増えても、もう大丈夫……)
◇
最初こそ、彼の持つ大量の情報量に呑まれていた彼らだが、
新しい知識を飲み込む力は、貪欲である。
特に測量演習は新規の学問として、彼らは果敢にかじりついた。
今では彼らが主体となって、カゴシマ城周辺の地図を、
教えられた測量法で作成しようかと議論中だ。
彼らの中には、大殿様から派遣された小姓たちも交替制で含まれており、
殿様たちが新しい知識を、彼らに報告させる形で参加させていた。
最初は身分の違いから郷中の出身者を拒絶していたが、兵糧の調理実習で
作る美味な料理をきっかけに、次第に仲良くなっていく。
今ではそれを目当てにしている生徒もいて、調理実習の当番は、
小姓たちの間で奪い合いになるほどでもあった。
ある日、城の台所で用途不明の野菜が届いた、とウシたちの耳に入った。
彼らが台所に向かうと、料理人の頭が、困った顔で、それを見つめる。
「これはこれはウシ様、この野菜の評判は、もう届いたのですか。
この野菜も甘蔗と同じ根を食べるらしいが、調理法が思いつかないので、
困ってた所ですじゃ」と彼はウシに手に持っていた野菜を渡す。
彼の手に渡されたものは、小さな馬鈴薯であった。
「近くの農家で育てているらしいですじゃ。甘蔗と同じように調理できんか、
試してみようと思っての?農家に立ち寄った物売りが、置いていった
ものだそうで。これの名前は「ジャガタラ」と言っていました」
「……馬鈴薯」と静かに呟いた彼の顔は、ほころんでいた。
「これは簡単にふかして食べるのも美味しいですが、旨煮(肉じゃが)に
するともっと美味いですよ。私の学んだ教本にも載っていて、
たまに作っていました。妻や娘たちの好きな献立です」
彼は「旨煮を作っても……?」とやんわり料理人に尋ねる。
料理人は快くうなずいていた。
厨房に立つ彼の脳裏には、決戦地・沖縄へ向かう羽田空港において
夫婦で撮った写真の事を、穏やかに思い出されていた。
将官の写真撮影は、よくある公務の一環の内だが、彼はそれまで
沈んでいた妻の気持ちを汲み、彼女の肩にそっと手を伸ばして一緒に
撮影している。時節にそぐわない夫婦写真になってしまったが、
彼はそれにいたく満足していた。
愛おしい家族とはもう二度とは会えなくなってしまったが、
後悔はしていない。
……やがて煮込みの時間になり、厨房一帯に香りで満たされた。
生徒たちは彼の作る新しい料理献立の分量と手順を、
熱心に覚書に書きつけている。
旨煮の盛り付けを終え、食事の後片付けをする彼らを、
台所の入り口でタダツネがそっと観察していた。
彼は明るい調子で台所の入り口から、
「ウシ殿。ワシもそなたの手料理が食べたい。菓子でもいいぞ。
何やら手軽な物を、作ってはくれまいか?」と明るい声で彼に尋ねた。
彼は「……殿様の口に合うか分かりませんが、それでもよければ」と
満面の笑顔で返した。
◇
……やがて彼は旨煮の他に、料理人とともに御膳を作り、殿様方の前に供した。
献立は、仕入れてあった山鳥の肉を使った焼物と吸物。
それから最近栽培が安定して来たカンショと、台所の片隅にあった合蜜糖の
カケラで作った、いわゆる「大学いも」である。
ヨシヒサは、「コレは……女子に食べさせたら、惚れられてしまうの。
特にこのイモの甘さはいかん」と述べ、
「奥方は、幸せ者じゃったのかもな……」と当主は幸せなため息をつき、
食後の感想を述べた。
彼はお粗末様という代わりに、
「……城で落ち着けるようになって、妻との思い出を良く思い出す様に
もなりましたね。私より一回り以上若い彼女は、精一杯私に
仕えてくれました……」と柔らかく答えた。
「……思うに、ぞっこんじゃの。ワシが言うのも本当にアレじゃが、
あんまり真面目が過ぎると、「人ならざる者」になってしまうぞ」と
大殿様が聞いているにも関わらず、当主が心配する素振りを見せる。
ウシの「……私には今、育て甲斐のある可愛い生徒たちもいますから」
控えめな返事に、彼は付け加えた。
「ただでさえ、ワシに仕えている若い腰元どもが最近、お主を見る目は、
痛々しいからな」と冗談混じりでガハハと笑う。
ウシは内心に困りながらも、当主の忠告を素直に受け止めた。
◇
台所まで戻ると、大勢の人だかりができていた。
殿様たちの膳の他に、城の者たちへ作った大学いもの評判がよく、
集まった皆が幸せそうな顔で試食しているのを見ると、
彼の心に暖かい気持ちが流れ込んで来る。
「先生!この甘蔗は、兵糧に入れ込められたら、大分ありがたい献立ですよ」
「ユウノシン、お主の兵糧好きには頭が下がる。そうだなコレは……」と
側仕えになってくれた若いサムライに調理法を簡単に説明していく。
その場にいた女性たちも、新しい献立に、静かに耳を澄ます。
「……合蜜糖と菜種油が贅沢品でなければな。それから、歯の生え揃って
いない子どもに与え過ぎると、口が虫食いを起こして歯が無くなるから、
食後に口をすすげる元服した者が、食べた方が良い献立かもしれないな……」
と付け加えた。
ユウノシンははにかみながら、ウシから聞いたことを覚書につけた。
この師弟のやりとりは、素朴で美しい光景でもあったが、
……当の本人たちは、気づいてもいなかった。
秋口の涼しい風が、彼らを優しく包む。
【次のお話は……】
お料理の次は、まさかのお作法 (お茶)の時間……
おーい、ミリタリーはどこいったw
【後書き】
島津の殿様たちに出した料理。
仕事で満洲に居たウシが、部下たちへ振る舞った物からイメージしました。
猟銃携えて鴨撃ちするのも好きだったみたいです( ´ ▽ ` )。
プロローグ ジャガタラと馬鈴薯、それと肉じゃが 了
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