第38話
ハエバル村の診療所の隅で、休憩をしていたヨシュアは、終始ご機嫌だった。
マウシの音頭でマラリアの治療薬が患者たちに行き渡り始めたのだ。
しかも戦線を離脱したことも、カッチンに早馬でやってきた
司令官のバックナー中将から咎められることもなく、人命救助の鑑だと
マイクとともに褒めてくれた。
診療所では国内から集まってきた珍しい、男性のユタ達が彼らの
フォローをしている。患者達の数は多いが、手が回せるようになり、
患者たちはキニーネの経口投薬によって、症状も徐々に緩和しつつある。
しかし、順調な彼が心配していたことが1つだけあった。
可憐な白装束で大勢のノロやユタ達と共に「ウシデーク」を行うと
愛しいマウシがヨシュアの元から去ってしまったのだ。
タカハナリ島。ナーグシクで行われるウシデークは、
男子禁制の高等魔術であった。
カッチンのペーチンに問い合わせて聞いた情報では、
一年ほどかかるウシデークの術式を崩せば、術式を行う彼女たちの
命が危ぶまれると聞いた。
誰よりもマウシの、無事の帰りを待っていたヨシュアは、
あの日将軍から信じられない事を聞いて、驚愕した。
「この国は日本と戦争をするらしい。できれば勝ちたいと、私の友が願っていた。
君たちの力が必要だ。特に不思議な力を持つマウシ嬢たちの力が。
医療品だけではなく、こちらが必要とする物資。
例えば戦艦とかを、作ってもらいたいものだ」
彼は透明な光の柱を見ながら呟き、同意を得るような表情で2人を見た。
本来なら同意だけでいいが、ヨシュアは食い下がる。
何より大切なマウシを、奪われる予感がしたのだ。
「恐れながら閣下、マウシ嬢たちはキニーネの精製で手一杯です。
術式を崩せば貴重な人材が危ぶまれます。何より、彼らの多くは民間人で、
今回の件においては国によって補償がありません。お言葉ですが、
スイに住まう方々の中で、同じような人材に依頼した方がよろしいかと」
ヨシュアは精一杯の説明をした。
マイクが呟くように、「将軍閣下はあまりにも都合良く使われて
おりませんか?彼らを疑った事は?」と問いかける。
将軍は
「彼らが貧しいのは本当の事だ。イチュマンからスイに連れてこられた時に
民の状況を見てきた。役人の服装で非常に華美な者は、国王以外いなかった。
彼らは限られた予算でやりくりしている国の民だ」と返事をするが、
一呼吸置いて、
「……確かにこの国の細やかなシステムはわからない。戻ったら
教えてもらう予定だが、もしも国王の近くに、マウシ嬢のような
女性が大勢いる事を、意図的に隠されていたとしたら、私は彼らを
疑わなくてはならないな」怒気を含んだ低い声は、裏切り者を
許さないという彼の気持ちを、言外に示していた。
生唾をゴクリと鳴らす2人へ、彼は簡単な別れの挨拶をして去って行く。
マラリアの治療が順調にいっていたため、今回は彼らの原隊復帰?
は叶わなかったが、「キニーネ」という切り札を手に入れた将軍は
彼らをカッチンに残し、早馬でスイへと戻る事にした。
3日ぶりに会う相棒は、久しぶりの主人との対面を喜んだが、
心ここにあらずの体の彼を見抜き、鼻面で彼の頬を押す。
「ごめんな、ビッグ・レッド。どうやら急いで帰らないと
いけないらしいんだ。頑張ってくれるか?」
力ない返事が返ってきた。どうやら機嫌がよろしくないと感じた彼は、
身体を寄せ騎乗を促した。
去り際、カッチンの御城が眩しい午後の日差しを浴びる。
城下町の喧騒を脱すると、ビッグ・レッドに駆け足を促す。
風に包まれ、人馬一体の単騎行を開始する。
彼らの目的地は官僚たちの伏魔殿・スイ城だった。
◇
ドガッ、ドガッ、ドガッ……バターン!
「将軍、やめてください。ここは神聖なウナーでございます。閣下!」
「ウラシイ王子、ジャナウェーカタ。いないのか? お前たちは、
一体私に何をさせる気なんだ!答えろ!」
「……私たちの神聖なウナーで、うるさく吠えるのは誰じゃ。
本気で戦いたいのか? まずは馬から降りるのじゃ!」
彼女の手のひらから風が起こり、人馬はそれによって引き離された。
石畳に叩きつけられた彼は、主人の無事を確かめるように
ジリジリと近づいていく。視線の先には同じくうずくまった
将軍がいる。痛めた脚をかばうように歩く彼の姿は痛々しいものだった。
ビッグ・レッドが将軍の頬を押す。意識が飛んだだけで怪我が無いと気付いて
顔を舐め始める。意識を取り戻すまでにそんなに時間はかからなかった。
ようやく立ち上がった将軍は、彼にこの場から離れるように促し、
顔を拭って目の前にいる白装束の若い女性に相対した。
彼女はこの島の女性たちとは一線を画す容貌だった。
巨大な金色の簪が刺さった緑色の髪と、透けるような白い肌、
濃い青の瞳をしていたのだ。スラリとした姿勢から放たれる眼光は、
将軍の動きを封じるには充分だった。
「貴女は誰ですか?私はウラシイ王子たちに会いに来たのだ。
見知らぬ女性の相手をしている暇などないぞ」
「私を愚弄するか。私はキコエオオキミじゃ。
この国を国王と対で守りし者じゃ。バックナージュニア」
「私は私の疑問に答える義務がある人物を探している。
そなたではない。どいてもらおうか」
怒気を含んだ言葉が、それぞれウナーを駆け巡る。
彼女の手が風を起こすと、彼は身構え、避けていく。
偶然に風が当たるとカマイタチのように着物を切り刻んだが、
彼女の死角を見つけた将軍は素早い動作で彼女を組み伏せた。
「東の魔女は慈悲深いのにどうして、西の魔女はいつも性根が悪い。
なんかの約束事か?」
「私をそこら辺のユタ風情と一緒にするな。腕が取れそうで叶わん。
離してたもれ」
「話合いに応じてくれるか?話が通じそうにないが」
「……叔母上様、いい加減にしてください。彼は私たちの大切な客人なの
ですよ。バックナージュニア。申し訳ないが、今度からウナーに
馬で駆け上がる暴挙は控えてもらいたい。
この城全てが、彼女達の聖域なのですよ」
急いで駆け寄ってきた国王が、将軍に手を離すように促す。
仕方なく手を離し、国王にキコエオオキミの説明をしてもらった。
彼女はまだ将軍を睨んだままだ。
「キコエオオキミはノロの頭で、この国を陰ながら支えています。
島の東で行われている「ウシデーク」によらない高等魔法を
個人で扱うことができ、在任中は若い娘の姿のまま過ごせます」
将軍は(彼女たちに軍艦作ってもらった方がいいかもな)と
思い至った。
不可思議な能力があってなんとも不可解だが、彼の要求する
軍艦を作るには、彼らの技術が足りなかったのだ。
神聖なはずのウナーで、将軍の悪巧みが始まろうとしていた。
【次のお話は……】
作品舞台の紹介コラムになります。
【「旅の場所」沖縄県 うるま市 勝連城跡から那覇市 首里城跡】
第38話 「エーデルヴァイス」は君の花 了
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