第36話
叡弘達は遅い時間に、ナカグシクバンショにたどり着いた。
キーちゃんは受付の入り口で待機している。
建物に入った瞬間、室内にいた人々の刺すような視線が2人に集まった。
驚いていると、1人の身なりの良い男性が、近寄ってきた。
「はじめまして、私はナカグシク間切のペーチンのイシヒラと申します。
この度は片田舎にようこそおいでいただき、誠に感謝のしようがありません。
先生方に、優秀な補佐を準備して、お待ち申し上げました」
イシヒラの言葉が終わるとすぐ、彼らの目の前に4人の年若い女性が並んだ。
何故か顔をうつ向かせて、両手で草鞋をこちらへ向けて捧げ持っている。
叡弘は困惑して山口さんを見る。
山口さんは、何故か顔を赤くしてニヤついている。
何か理由を知っていそうなので、叡弘は彼ををバンショの入り口まで
引き戻し、詳しい理由を聞いた。
「スイから派遣された役人に、間切が準備した女性たちだ。
毎日のご飯を炊いてくれるのはもちろんだけど、気持ちが通じて、
現地妻にされることが多かったらしいよ。
確か、職場のモテない先輩が話してくれたっけ。草鞋をもらった娘さんに、
世話してもらうんだ。顔を伏せているのは、顔だけで選ばないためかな?」
と教えてくれた。叡弘は解説を聞いてひとまず安心したが、
「フテンマの女神さまがみてるかもだから、くれぐれも女の人に酷いこと
しないで」と叡弘は無表情で山口さんにしっかりと釘を刺しておいた。
戻ると彼女たちは酷く緊張し、4人全員の草鞋を持つ手が
ちいさく震えている。
中にはハジチのない女性もおり、サムレの女性のようだった。
山口さんはハジチのない女性を選び、叡弘にも選択肢が与えられて
いるようなので、仕方なく1番小柄な女性を選んだ。
マイチさんの冗談が頭をよぎった為からだった。
2人の前で選ばれた女性が顔を上げ、遠慮がちにこちらを見ている。
選ばれなかった方をペーチンが人払いして、こう言った。
「山口先生の選ばれた女性はマヅルと申します。
最近ナーファからスイ落ちしたグスクマウェーカタのモンチュウで
美貌が評判の娘でした。
下級役人だった父親が、今は重い病気なのであまり無理ができませんが、
よろしくお願いします。
それから、叡弘先生の選ばれた女性はカマと申しまして、農家の娘です。
小柄ですが気立ては良い娘ですから、どうぞよろしくお願いします」と
よくある事でもあるように、事務的に伝えられた。
2人が今日は休息を取るように、ペーチンから促され、
女性たちの案内で間切から用意された家に連れて行かれた。
手の塞がっている叡弘に頼まれたカマが子犬を抱いてくれている。
叡弘はキーちゃんを押して近づいた家を見て、かつての世界で
見たことのある復元された住居を思い出していた。
高い石積みで囲まれた、伝統的な茅葺きの琉球住宅になる。
急いで用意されたのか、新鮮な木の香が辺りを包んでいた。
家の門にあるヒンプンを超えると、縁側の前で待っていた老人と
老婆が出迎えてくれた。
「スイの先生方、私たちはこのお屋敷を管理するタンメーと、
妻のハーメーです。ようこそお越しくださりありがとうございます。
先生方のお世話を仰せつかっていますので、よろしくお願い致します」と
丁寧に挨拶されたので、「こちらこそよろしくお願いします」と
叡弘が言うと、驚かれた。
その日の夜は、老人と女性たちから、叡弘達への歓迎会が屋敷で
本当にささやかに行われた。目の前の中城湾で採れた海の幸が並び、
ペーチンから渡された秘蔵の酒を山口さんが楽しんだ。
子犬を抱いた叡弘はとても疲れているのか、盛り上がっている皆をよそに、
居眠りを始めてしまう。叡弘はまたあの悪夢の中にいた。
「………閣下、台湾へ向かう船便がもうないので、どうか飛行機で
お向かいください。必要な書類は全てあります。
台湾で…………に掛け合って、どうか我々に………を……」
「……。業務で筆記用具を忘れる………なんて聞いたことがないです」
「どうか可哀想な私たちに………を差し伸べてください。それでもあなたは………」
「子ども………助けて……」
絶望的な無力感に締め付けられて叡弘が目を醒ます。
目には涙が流れ、子犬が丸まってそばで眠っていた。
朝の早い時間に起きたようで、うすら寒さを感じた叡弘は不安げに子犬を抱く。
小さな命を感じる子犬の暖かさは、叡弘を優しく現実へ引き戻した。
やがて中城湾に朝日がやってきた。
遠くからこの島独特のニワトリの鳴き声が聞こえる。
【次のお話は……】
ウヤンマ達との出会いで、新しい人々と交流する主人公たち。
たまにはこんな話もいいんじゃないかな……
【「旅の場所」沖縄県 中城村 当間】
第36話 ホーム・スイート・ホーム 了
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