プロローグ
叡弘と山口さんは、ギマ村を遠く離れ、
ナカグシク間切のバンショ前に来ていた。
蒼穹に突き刺さる様に、築城の名手・ゴサマルによって作られた
天下の名城、ナカグシクの御城が控えるこの間切にいる理由は、
意外にも叡弘が提案した事だった。中城湾の向こう側には、
うっすらとぼやけてカッチン間切と城下町が見える。
「もしかしたら、マイチさんの帰りが、中城湾から
見えるかもしれないよ?船旅になるマイチさんにお願いして手鏡とかで
合図を送ってもらえば、わかるだろうし。ギマ村で待つだけよりは、
いいんじゃないかな?」
山口さんとマイチが提案に乗り、島中からギマ村へ来ていた
大勢の若者たちは喜んだ。
特にミサト間切とカッチン間切の若者が彼らを誘致しようと本当に
必死だったが、グシカワ間切でのマラリア発生が決め手になり、
行き先が手前にあるナカグシク間切へ決まった。
ナカガミの青年たちは嬉々として帰り支度を始める。
叡弘達はマイチのサツマ行きを待って、同時にギマ村を発つ事になった。
マイチはその際に、ジャナウェーカタへ山口さんを将軍へ引き合わせるよう、
やりとりをする事にしていた。
出立の朝、ギマ村の門で、こんなやりとりがあった。
「大丈夫、クニガミとシマジリ組のカンショの栽培指導は
息子たちが見てくれる。それに人があんまり多すぎて、
実は人を分けたかったんだの。ありがとう、叡弘、山口。
……叡弘、前から気になっておったが、その、この乗り物は、
話もしてくれるんじゃの。冥途の土産代りにでもいいから、
名前を教えてはくれんかの?」と彼は笑顔で問いかける。
叡弘は「特に名前は……」と言うのを山口さんが早口で遮った。
「彼の名前はキーストン・オブ・ザ・パシフィックって、
ここでは珍しいエゲレス語で言うんです。
普段は長いから、キーちゃん、って2人で呼んでるんです。
キーちゃん、いいでしょ?な、叡弘?
あとサラッと不吉な事言わないでください。
マイチさんの「お菓子の夢」、叶わなくなりますよ?」
叡弘は無言で頷く。
すかさずバイクが「やっとアルジが名前つけてくれた」と安心していた。
この話になったのは、チャタン間切の一件からギマ村で管理されている
馬たちの名前が、あまりにも不思議な名前を付け変えられていた事が
そもそもの原因だった。
明るい栗毛の馬達が「ユエピン」と「コンタン」。
黒鹿毛の「マーホア」がいた。
それから最近カンショの普及に頑張っていると、
国王様から贈られた珍しい月毛の馬に、彼は「ロンシュータン」と名付ける。
いずれも明国の珍しい菓子で、実物を見ることはなかったものの、
明国に行った事のあるジャナウェーカタやマチューが話題づくりで
マイチに詳しく教えていたお菓子の名前だった。
現代的で言うならば、「ショートケーキ」とか
名付けるネーミングセンスである。
「明国は国のデカさだけではなくて、こんなに美味しいお菓子もある
国なんじゃの、いつかワシらでも作って、味を楽しめる日が来るのかの………?」と
馬たちを前に彼が感慨深くため息をついていたのを
2人が覚えていたためだった。
食べ物系よりは確かにバイクにはこっちの方が似合っているように、
叡弘には思えた。
「こちらの言葉では「太平洋の要石」というんです。
キーちゃんのいる場所には必ず、俺たちがいます。彼のいる場所は、
俺たちにとって欠かせない、肝心要の大事な場所なんですよ」と
山口さんがまとめた。
マイチは納得したように静かに頷く。暑くなり始めた夏の日差しを浴び、
毛並みを黄金に輝かせたロンシュータンに乗って、
使者の待ち合わせ場所にあるスイ城へ向かう。小さくまとめられたカンショの苗が、
進んでいく騎馬の腰の上に括りつけられ、葉が小刻みに揺れていた。
叡弘は、別れの様子を名残惜しそうに見ていた山口さんにそっと、
「キーちゃんが言うには遅くても今日の夕方ごろ、ナカグシク間切の
バンショに着く予定なんだけど、着いたら少し相談したいことが
あるんだ。お願いします」となぜか丁寧に告げる。
山口さんはこう言う時の叡弘の表情を、思い出していた。
以前、ナーファ港の奴隷売買を見て、体調を崩して立て直した時の、
何かを決意したような表情に似ていた。
彼らもギマ村を出発し、バイクの運転は山口さんと間切ごとに交代で進めた。
キーちゃんの定時報告が交代の合図になる。
山口さんはギマ村にいる間に、マイチさんの奥さんである
マナベさん達に頼みこんで、叡弘が着込んでいたライダースーツに
限りなく近い着物を仕立ててもらっていた。
残念ながらヘルメットは無しだが、北上するにつれて
バイクの単騎行は順調に進んだ。
旅程は、ギマ村→ナーファ(スイ)→イリバル→ニーノシマ→
ナカグシク間切のバンショまでであった。
ナカガミのアガリシュクルートを辿る旅をざっくり計画していると、
山口さんはこう呟く。
「県道29号線沿いの、市町村巡りか。のんびり観光できたら、
楽しめるよなぁ…」
叡弘は「無舗装の道も風情があって面白そうだけど、
ナカグシクのみんなから期待されているから、寄り道はできないよ?」と
困った表情で山口さんを見つめる。
「本気じゃないが、中頭は沖縄戦後、1番地形が変化したんだ。
離島に在る平安座の石油基地と在る本島と繋がる海中道路や、
西原のコンビナート基地。測量現場で行ったショッピングモールの、
あのライカムだって、現代の「中部地域」だからな。
那覇の戦後復興も目覚ましかったのは、ミサト間切にできた石川市で、
戦後早いうちに琉球政府が機能し始めたからなんだぜ。
だから、ちょっと見てみたかったんだよ。
怒らないでくれよ?」と簡単に解説してくれた。
叡弘は「……高速道路と、水族館は、気にならないの?」と
笑いながら返事をする。
山口さんは「トラウマだからヤメテ」と笑いながら彼の背中を軽く叩くが、
最近の叡弘はカンショ畑で鍛えた身体で、ビクともしなかった。
もう、「もやし」と彼が呼ばれることもないだろう。
……というわけでいま彼らはナカグシクのバンショ前の、
開けた広場の片隅にいた。叡弘の相談の時間だ。
「山口さん、最近、ボク嫌な夢を見るんだ。夢で何故か命がけで
飛行機に乗ってる夢で、どこから出発したかわからないけど、
とにかく絶対、台湾に行かなくちゃいけない夢で、台湾に近づくと、
汗びっしょりになって、それから、港で書類にたくさん署名を
しなくちゃいけないんだけど、どうしてもペンが見つからなくて、
泣きそうになって、起きるんだ。
とっても無気力な気持ちになって、怖かった。
眠るのが嫌になるほどなんだけど、どうしたらいいか、心当たりないかな?」
山口さんはホッとして返事をする。彼なりに心配をしていたようだ。
「叡弘、この時代の台湾は、なんの力もない島のはずだよ。
明や清の貿易グループには入っているかもしれないけど……
飛行機で命がけ?書類にサイン…?沖縄に来る前は学生だって言ってたけど、
台湾に旅行経験は?貨物のバイトでもしてたのか?」と不思議そうな顔だ。
「いいや旅行は国内しかなくて、台湾は行ったことないし、
貨物のバイトはした事ないかな。全然見当違いの夢なのに、すごくリアルで。
飛行機も大きな旅客機じゃなくて、テレビで見た貨物便みたいな
小さい飛行機で、揺れもひどくてさ。
書類も手一杯、港の事務所みたいなとこで一気に渡されて、
散らかしちゃうし、また同じ夢を見るから夜眠るのが辛いんだよね。」
うーむと2人が唸っているところに、クンクンと可愛らしい子犬が
駆け寄ってくる。
よく見るとチョコレートの、茶色と黒のマーブル模様で、
円らな瞳の少し鼻ぺちゃな犬……よく観光雑誌に載っていそうな、
ブサ可愛い琉球犬によく似ていた。主人や親犬を探して見るものの、
すでに遅い時間の広場には誰もおらず、たまに通行人がこちらを凝視していた。
「……叡弘、アニマルセラピーって、知ってるか?
理由はわからないけど、叡弘とっても疲れてる。
とりあえず犬の主人が見つかるまでコイツは俺たちで世話をしよう。
コイツと一緒に眠れば多分、治るかもしれないぜ」
自信なさげに山口さんは叡弘の足元にちょこんと座っている犬を見つめ、
やっと叡弘の満足出来るような解答が導き出せた。
「じゃ、バンショに入ろう。今日は、この子の名前を決めなくちゃ」と
キーちゃんを押しながら2人はナカグシクバンショへ向かっていった。
目の前にあるナカグシクの海は、夜の帳を降ろそうとしている。
子犬はトコトコ2人の後を、歩いて付いてきた。
【次のお話は……】
後の東照大権現、将軍イエヤス登場の巻。
プロローグ 太平洋の要石 了
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