閑話 後編
バックナージュニアは夢の中にいた。
家の近くにある広い草原で、
まだ幼い自分と父が別々の馬に乗って散歩へ出かける。
父に当たるバックナーシニアは当時、ケンタッキー州知事となり
忙しい業務の傍ら、こうして気分転換をする事もあった。
南北戦争へ従軍し生還した父は、軍人とはまた別のやり方で、
愛すべき故郷を守っていたのだ。
父が彼の先に進んで、ご機嫌にお気に入りの歌を歌う。
故郷ケンタッキーを題材にしたこの歌は、
彼がベテランの将校になる頃に州歌として歓迎される。
……郷愁を誘う優しいメロディは、彼にもう戻れない我が家を思い出させた。
馬を駐立させ、振り返って追いかけてくる幼いジュニアを明るい笑顔で見つめる。その光景はそのまま歌の通りだ。
夢はそこで途切れる。
……誰かが彼の頬をそっと、押したのだ。
(そういえば、昨日は馬房で夜を明かしたんだったっけな……)
彼はゆっくりと起き上がり、目を開ける。
緑色の瞳が最初に捉えたのは、馬のスラリとした脚だった。
眠って寝返りを打っているうちに、馬房の隅で横向きに寝ている
主人の頬へ、彼は鼻面をそっと押したようだ。
着物に絡まった寝藁を取り除きながら居住まいを正して
彼の顔を見つめる。
「おはようさん。今日もよろしくな、ビッグレッド。
出発の用意をしような。まずは俺の顔は、洗わせてくれよ?」
優しく鼻面を撫でると、彼は嬉しそうに嘶く。
寝ぼけ眼を覚まし体調を調べるためにそっと足元に触れて確かめる。
本日の馬体コンディションも絶好調らしい。
身支度を整えた将軍は、グシカワバンショの係員が
用意してくれた朝食を手早く平らげると、
食休みの休憩がてら、係員へカッチン間切の評判を尋ねる。
最近グシカワ間切で大量発生したマラリアを、カッチンのノロ様が
見慣れない風貌の異国人2人と一緒に治療を施している事と、
治療する薬を作るために、ペーチン様がノロ様の要請で、
国中のノロやユタたち魔法使いを、広く非常招集し、
カッチン半島の北にある離島のナーグシクで高等魔術とされる、
「ウシデーク」を執り行う予定を教えてもらった。
「魔法」と聞いた時の彼は、想定外の言葉に、思考停止してしまう。
動きの止まった彼はやがて平常を取り戻すと、なぜが自分で右頬をつね、
その様子を見ていた係員が急いで嘘では無い事を、空を指して説明を始める。
肉眼で北東の空に、虹色に輝く透明な柱が、遠くに見えたのだ。
「カッチンのノロ様が音頭をとって、魔力の柱を立ててるんで。
旦那様、ウソじゃないですよ。……両頬をつねるのは流石に
カッコ悪いですからね」
と係員が左頬を怖々、無意識のうちにつねろうとした動きを押し留める。
確かに両頬腫れあがった姿は、カッコ悪いなと彼は思い直し咳払いをした。
昨日馬具を外してくれた係員が馬具を装着してくれ、
目的地へ向かう用意が整う。
街道は概ね一本道なので横道にさえ入らなければ、
今日の昼前にはグスクに着ける距離になる。
グシカワ間切から、カッチン間切のハエバル村へ入ると、
人の往来が多くなって来た。
少し離れた南海の方に港が拓けており、
湾内では黒や赤で塗られた中型くらいの船が気持ちよさそうに、
帆へ風を取り込んで進んでいた。
長閑ではあるが、賑やかな港町の雰囲気を感じた彼は、
道行く彼らが好ましく映る。
ビッグレッドは人や荷物を避けながら、並足でゆっくりと進み、
昼前には余裕を持って無事に旅の目的地、カッチン間切のグスクに辿り着く。
彼を訝しむ様に見ていた門番は、馬に付けられた焼印を確認すると、
すぐに責任者のペーチンが城門の前まで出てきた。
彼はこの地では見慣れない風貌を見た途端、従者に何かを指示し、
馬上の人物に向き直った。
「これはこれは、スイ勤めのお役人様が。
遠い田舎のカッチン間切まで、ご足労様です。
今、ここハエバルでマラリアの治療に当たっている先生方を、
急いでお呼びいたしましたので、少しの間、私の部屋でお待ち
いただけますでしょうか?」と
半ば怯えられながも案内される。
その時、ビッグレッドを厩舎の係員に引き渡す時に、
「大丈夫、必ず戻ってくるから。厩で待っていてくれないか?」と
宥めすかす。しばらくして仕方なさそうに彼は厩舎へ引かれていった。
部屋で30分ぐらい待っただろうか。
将軍の通された部屋へ、大きな足音が聞こえてくる。
ドタバタと大きな足音に驚いたが、音の主を見た途端、笑顔がほころぶ。
彼の前に、2人の米国軍人が現れたのだから。
彼らの着ていた、かつての戦場で見慣れた戦闘服姿は、
彼にとってすでに懐かしい風景のようだ。
「私はサイモン・バックナーだ。君たちの名前をどうか教えて欲しい」
穏やかな低い声で優しく彼らへ語りかける。
「バックナー陸軍中将閣下。はるばる遠いところまでようこそ
お越しくださり、ありがとうございます。
私は第1海兵師団所属のマイク・アーヴィング一等兵と、
彼はヨシュア・バルトロー 一等兵になります」
笑顔でマイクが将軍の問いかけに答え、
彼は2人と熱烈な握手を取り交わす。
「ところで、ここは最近、大変な事になっているらしいな。
グシカワのバンショで聞いたぞ。君らが進んで現地人たちの
マラリア治療にあたっていることも。
スイにいると詳しい情報が全く入って来なかったから、
現場を確かめるために邪魔したんだ。
君らは海兵隊の誇りだ。
君達の様な素晴らしい部下に恵まれたニミッツ海軍元帥は果報者だ」
マイクは静かに頷き、ヨシュアは嬉しそうな表情をして
将軍を見つめている。
アイスバーグ作戦の情報には無い琉球の地へ迷い込んだ彼らはやっと、
ここで出会えたのだった。
【次のお話は……】
作品舞台と登場人物の紹介コラムになります。
【「旅の場所」沖縄県 那覇市首里城跡からうるま市勝連城跡】
閑話 「ビッグ・レッド」 後編 了
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